お兄さんは、いつも地域の図書館で小説を読み耽っている大学生だった。

開館と同時に読書スペースで何冊か本を抱え込んで、物凄い速度で本を読み終え、閉館する頃には持ってきた本全て、きっちり読み終わっているような人だった。

読みたい本が決まっているのかと言われればそうではないらしく、休日は本棚の前で悩むお兄さんを見ることも少なくなかった。手に取ってパラパラと読んでは戻してを繰り返しているのも、何回か見たことがあった。

でも、それだけだった。わざわざ話しかけにいくようなことも、その逆も決してなかった。中学生の私は、お兄さんのことが気になっても話すことすらできなかった。

お兄さんはいつ図書館に行っても必ず同じ席に座っていた。意外に感情豊かで、たまに柔らかく笑ったり、少し眉を寄せて怒ったような顔をしながら読んでいる時もあった。私はお兄さんが一瞬だけ、嬉しそうに笑う横顔が好きだった。

ある日、いつものように図書館に行くと、お兄さんはあの席に座っていなかった。しょんぼりと気持ちが落ち込んでから、いつのまにか図書館に来る理由が本ではなくお兄さんになっていることに気づいて、焦った。

「……だめだめ、ちゃんと本を読まないと」

蔵書をぐるりと眺めて、今日は何にしようかなあ、と本棚の前で悩む。その時、ちょうど上の方にこの間ネットで見て気になった本を見つけた。今日はこれにしよう。


手を伸ばして取ろうとするが、私の身長ではうまくいかない。確かこの図書館にはこんな私のために、踏み台があったはず。あれを見つければあの本が読める。

そう思ってキョロキョロとあたりを見回していると、不意に視界に大きな影が入った。

「……はい、どうぞ」

柔らかい男性の声が頭上から降ってくる。ありがとうございます、とお礼を言おうとして、顔を上げると、そこにいたのはお兄さんだった。

「あ、お兄さん」

「お兄さん?」

切長の瞳できょとんとこちらを見るお兄さんを見て、しまった、と思った。うっかり心の中で呼んでた名前で呼んでしまった。

「あっ、いえ、あの、ええっと」

恥ずかしくて慌てていると、お兄さんは本を読んでいるときのあの笑顔でくすりと笑った。

「君、いつも近くで本読んでる子でしょ?」

「は、はい」

「たまに僕のことみてるもんね」

意地悪っぽく囁かれ、羞恥心で全身が熱くなった。まさか気づかれていたとは思わなかった。

「あぁ、別に怒ってはないよ。ちょっとからかっただけ。気にしてないから」

受け取ったこの本を抱えて今すぐ読みたかったのに、お兄さんと話せるなんて思わなくて、この時間にもう少しだけ浸っていたくなる。

「君、中学生なのにカルロス・ルイス・サフォンなんて読むんだね」

「基本、なんでも読んでから判断するので……」

「そういうの、いいと思うよ」

お兄さんはそれだけ言って、ふらりとどこかに消えてしまった。

その日読んだ本の内容は、結局あんまり頭に残ってない。面白かったのは確かだけれど、それ以上にお兄さんのことで頭がいっぱいだった。

また明日も図書館に行こう。帰り道はひどく浮かれていたのを覚えている。