・
試験監督としていつも通り教室に入ってすぐに、彼方はレイに元気がないことを悟った。
というよりかは、むしろレイはわかりやすいくらいに絶望していて、それがテストへの不安じゃないことくらいすぐに気づいた。
(佐藤と何かあったんだろうなぁ……)
その考えにいたるまで、時間はさほどかからなかった。やはり、不安は嫌なくらいに的中してしまう。
彼方は心の中でそっとため息を吐き、ひとまずは先生として、挨拶する。あくまでも、今優先すべきは仕事だ。
「おはよう、ちゃんと勉強した?」
バッチリした、という生徒と、寝てた、と慌てている生徒。レイは変わらずに、思いつめたように机を見つめている。
しかし、不意に一瞬だけ彼方を見て、目が合うと慌ててその視線を逸らした。ここまで露骨な反応をするからには、やはり後ろめたいことがあるのだろう。
一時間目は、世界史A。まだ問題を配るまで少し時間がある。彼方はメモを取りだすと、そこにさらさらと文章を書いていく。
やがてチャイムが鳴ると、彼方は問題用紙を配る流れで、ごく自然にそのメモをレイの机に落とした。
レイはすぐに、それに気づいた。
「あの……」
困ったように視線を彷徨わせるレイは、メモを落としたと言いたいのだろう。だが彼方はそれをあえて無視する。
するとレイだって決して馬鹿ではないから、自分に当てられたものだと考える。みんなにばれないように、こそこそとそのメモを広げる。
「…………っ」
レイが息を飲んだのが、テスト開始のチャイムに混じって耳に届く。
彼方はそのメモに、いたってシンプルにこう書いた。__怒らないから、あとで佐藤と何があったか話して。
レイはしばらくそのメモを見つめると、裏返しのままだった問題用紙をひっくり返して、ようやくスタートする。五分ほど他の生徒より遅れたとはいえ、レイのペースなら、きっと余裕で時間が余るに違いない。
気になるとかそういうのではないけれど、話すことで楽になるなら、レイの力になりたかった。いつだって、彼方の頭の中にはレイしかいない。
教室中を見ているふりをして、彼方はずっとその視線をレイだけに注いだ。必死で頭をひねって、その問題がわかった時、レイはとても嬉しそうな顔をする。それを見ているのが、とても楽しい。
いつまでも見つめていたからだろうか。彼女がそれに気づいて、一瞬だけ手元を狂わせる。
ぽとりと、消しゴムが落ちた。
「……ぁ」
レイはどこか切なそうにそれを見つめた。自分で拾えないから、彼方を頼るしかない。そう分かっているから、若干嫌そうだ。
彼方は立ち上がると、ごく自然にその消しゴムを拾った。新品のように綺麗だ。
「はい、どうぞ」
「……りがと、ございます」
控えめに礼をして、彼女はまた問題を解き始める。もうすべて埋まりきっているのに、いつまでも悩んでいるふりを続けている。
それが “ふり” だとわかるのは、レイの意識がそこにないから。やっぱり、可愛い。
チャイムが鳴って、解答用紙を集める。
「うん、ちゃんとあるね。終わっていいよ」
緊張が緩んだ教室をあとにしようとすると、彼方は白衣の裾を誰かに引っ張られた。
そこには、うつむき気味な顔のレイがいた。
「どうかした?」
彼方はいつも通りの、他の生徒に向ける何もない空っぽな笑みをうかべる。本当はレイに引き止められただけでも小躍りしそうなくらい嬉しいが、それをここで出すわけにはいかない。
今は、まだ。
「テスト、全部終わったあとでもいいですか?」
「……いいよ。待ってるね」
ふと佐藤に目線を向けると、彼は恐ろしいくらいに鋭く、彼方を見ていた。
「じゃあ、次も頑張って」
佐藤に渡すくらいなら、レイは自分のものにしたい。彼方はまだ、レイとしたいことがたくさんある。
「……あと一週間、か」
秋祭り。その日のことを考えて、彼方の頬はつい緩んでしまう。テストなんて、早く終わってしまえばいい。
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試験監督としていつも通り教室に入ってすぐに、彼方はレイに元気がないことを悟った。
というよりかは、むしろレイはわかりやすいくらいに絶望していて、それがテストへの不安じゃないことくらいすぐに気づいた。
(佐藤と何かあったんだろうなぁ……)
その考えにいたるまで、時間はさほどかからなかった。やはり、不安は嫌なくらいに的中してしまう。
彼方は心の中でそっとため息を吐き、ひとまずは先生として、挨拶する。あくまでも、今優先すべきは仕事だ。
「おはよう、ちゃんと勉強した?」
バッチリした、という生徒と、寝てた、と慌てている生徒。レイは変わらずに、思いつめたように机を見つめている。
しかし、不意に一瞬だけ彼方を見て、目が合うと慌ててその視線を逸らした。ここまで露骨な反応をするからには、やはり後ろめたいことがあるのだろう。
一時間目は、世界史A。まだ問題を配るまで少し時間がある。彼方はメモを取りだすと、そこにさらさらと文章を書いていく。
やがてチャイムが鳴ると、彼方は問題用紙を配る流れで、ごく自然にそのメモをレイの机に落とした。
レイはすぐに、それに気づいた。
「あの……」
困ったように視線を彷徨わせるレイは、メモを落としたと言いたいのだろう。だが彼方はそれをあえて無視する。
するとレイだって決して馬鹿ではないから、自分に当てられたものだと考える。みんなにばれないように、こそこそとそのメモを広げる。
「…………っ」
レイが息を飲んだのが、テスト開始のチャイムに混じって耳に届く。
彼方はそのメモに、いたってシンプルにこう書いた。__怒らないから、あとで佐藤と何があったか話して。
レイはしばらくそのメモを見つめると、裏返しのままだった問題用紙をひっくり返して、ようやくスタートする。五分ほど他の生徒より遅れたとはいえ、レイのペースなら、きっと余裕で時間が余るに違いない。
気になるとかそういうのではないけれど、話すことで楽になるなら、レイの力になりたかった。いつだって、彼方の頭の中にはレイしかいない。
教室中を見ているふりをして、彼方はずっとその視線をレイだけに注いだ。必死で頭をひねって、その問題がわかった時、レイはとても嬉しそうな顔をする。それを見ているのが、とても楽しい。
いつまでも見つめていたからだろうか。彼女がそれに気づいて、一瞬だけ手元を狂わせる。
ぽとりと、消しゴムが落ちた。
「……ぁ」
レイはどこか切なそうにそれを見つめた。自分で拾えないから、彼方を頼るしかない。そう分かっているから、若干嫌そうだ。
彼方は立ち上がると、ごく自然にその消しゴムを拾った。新品のように綺麗だ。
「はい、どうぞ」
「……りがと、ございます」
控えめに礼をして、彼女はまた問題を解き始める。もうすべて埋まりきっているのに、いつまでも悩んでいるふりを続けている。
それが “ふり” だとわかるのは、レイの意識がそこにないから。やっぱり、可愛い。
チャイムが鳴って、解答用紙を集める。
「うん、ちゃんとあるね。終わっていいよ」
緊張が緩んだ教室をあとにしようとすると、彼方は白衣の裾を誰かに引っ張られた。
そこには、うつむき気味な顔のレイがいた。
「どうかした?」
彼方はいつも通りの、他の生徒に向ける何もない空っぽな笑みをうかべる。本当はレイに引き止められただけでも小躍りしそうなくらい嬉しいが、それをここで出すわけにはいかない。
今は、まだ。
「テスト、全部終わったあとでもいいですか?」
「……いいよ。待ってるね」
ふと佐藤に目線を向けると、彼は恐ろしいくらいに鋭く、彼方を見ていた。
「じゃあ、次も頑張って」
佐藤に渡すくらいなら、レイは自分のものにしたい。彼方はまだ、レイとしたいことがたくさんある。
「……あと一週間、か」
秋祭り。その日のことを考えて、彼方の頬はつい緩んでしまう。テストなんて、早く終わってしまえばいい。
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