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ご飯を食べ終わって、先生がシャワーを浴びている間、私は本を読みふけっていた。
「その本、好きなの?」
先ほど引っ張り出した本。私の思い出が詰まった一冊。懐かしさから、もう一度読み返していた。
大きくこくこくと頷くと、先生はなぜか曖昧に笑って。
「そう、なんだ。僕も好きだよ、その本」
先生は飲みかけの赤ワインをくいっと飲み干す。そしてまた、新しく注いだ。くらりと酔いそうな香りと混じって、先生のタバコの匂いがする。
「ラストのシーンがいいよね。あの時のトキの台詞はなかなかに感動したよ」
「わかります! すっごくいいですよね。私、この本は人に勧められたんですけど、その中では多分、一番好きです」
「ふうん……あ、そうだ」
先生はふと立ち上がって、ふらりとどこかに姿を消す。その背が高くて、私なんかにはきっと届かない。
少しだけまた本の世界に落ちると、気がついたら背後に先生を感じた。
「祝うなんて言いながら、プレゼント渡さずに寝るとこだった」
私なんかよりずっと綺麗な腕がそっと後ろから伸びてくる。
「誕生日おめでとう、レイ」
先生の声が耳元に吹き込まれる。視線をそっと落として、首元で光る星をモチーフにしたネックレスを見たとき、突然泣きたくなった。
まさか先生にこんなものをプレゼントされるなんて夢にも思わなかった。もう私は先生からたくさんもらっているのに、これ以上何をすればいいのかわからない。そんな嬉しさと戸惑いが心の中で同居している。
「ありがとう、ございます……っ」
半分だけ、泣いてしまったかもしれない。けれど大人の先生は、私のその涙を見なかったことにして、代わりに優しく頭を抱き寄せるのだ。
嬉しくて泣くなんて、今までもこれからもないと思っていた。でも先生の優しさに触れると、息をするように、自然とこぼれてしまう。私は多分、先生といると素直になれるのだろう。
「大切にします……」
「そうしてくれるなら、嬉しいよ。とても」
ああ__どうしよう。私は先生に好きなんかじゃ言い表せないくらいに恋をしていると、ここにきてようやく気がついた。
いや、きっと恋じゃない。これはどうしようもなく純粋な好意でできた、愛だ。
だけどまだ約束の日じゃないから__この気持ちは、今は私だけのもの。
「そろそろ寝る?」
先生が離れて、聞いてくる。その声で急に現実に戻された。まだ問題が残っていた。
「ああ、ええっと……」
視線を彷徨わせた私を見て、先生はくるくると赤ワインを回しながら面白そうに目を細める。
「レイはベット使っていいよ。別に一緒に寝る必要はないでしょ」
「……じゃあ先生はどこで寝るんですか?」
「ん? うーん……ソファーとか?」
それはダメだと流石に理性が咎めた。
確かに先生と一緒に寝るのは私の心が持たないだろうけれど、かといってそれで先生に気を遣わせるのは嫌だ。私は結構わがままなのかもしれない。
悩んだ末に、私は提案してみた。
「先生さえ良ければ、一緒に寝ませんか……?」
先生は驚きのあまり、飲んでいた赤ワインを気管にいれてしまったのか、けほけほとむせた。
「大丈夫ですか?」
軽く先生の背中をさすると、少しして先生は元の呼吸を取り戻した。
「ああ、うん、ありがとう。大丈夫なんだけど……それ本気で言ってるの?」
「やっぱり、嫌ですか?」
「むしろ嬉しいけど……嬉しいから困ってる」
照れたように笑う先生が、普段私をどう思っているのか、なんて、そこまで深く考えたことがなかった。
だから嬉しいから困ってる、というのも『その感情をどう処理したらいいかわからないから困ってる』と、この期に及んで馬鹿な考えで結論づけた私は、もう一歩と勇気を出してみる。
「先生、お祝いしてくれるんじゃなかったんですか? それとももうおしまいですか?」
軽い冗談のつもりだったのに、先生は不意に、身体の中から獣を引っ張り出してくる。
「……まだ足りないって言いたいの?」
「いえ、冗談で……」
強引に肩を掴まれて、押し倒された。今までよりずっと切迫した顔で、先生が唇を重ねてくる。そのうちに、そのキスは深いものに変わる。
「せん……っ、」
一緒に寝るという私の提案は文字どおりで、言い換えるなら__あまり言い換えたくないけれど__添い寝だ。なのにどうしてか先生は、それを受け入れてくれない。
すっと切れ長の瞳に見つめられた時、背筋がぞくりとした。そんな瞳で見られても、今の私はこの先を受け入れられない。
ぎゅっと目を瞑ると、先生は何を思ったのか私から離れて、口直しをするように、また赤ワインに手を伸ばす。
「……ごめん。怖かった?」
やがて先生が短くそう言う。なんだか、距離を測り損ねたような響きがあった。
「レイはどうしても僕と寝たい?」
先生が言いたいことはわかる。つまり、もしこの後またこういう思いをすることになってもいいのか、ということだ。
いいか悪いかで言えばよくはないけれど、でも、今日くらいは先生に甘えたい。
「本気で嫌になったら、また嫌いって言いますから」
「わかった。そこまで言うなら一緒に寝るよ」
互いの言葉は毒にも薬にもなる。恋人とは、難しい。
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ご飯を食べ終わって、先生がシャワーを浴びている間、私は本を読みふけっていた。
「その本、好きなの?」
先ほど引っ張り出した本。私の思い出が詰まった一冊。懐かしさから、もう一度読み返していた。
大きくこくこくと頷くと、先生はなぜか曖昧に笑って。
「そう、なんだ。僕も好きだよ、その本」
先生は飲みかけの赤ワインをくいっと飲み干す。そしてまた、新しく注いだ。くらりと酔いそうな香りと混じって、先生のタバコの匂いがする。
「ラストのシーンがいいよね。あの時のトキの台詞はなかなかに感動したよ」
「わかります! すっごくいいですよね。私、この本は人に勧められたんですけど、その中では多分、一番好きです」
「ふうん……あ、そうだ」
先生はふと立ち上がって、ふらりとどこかに姿を消す。その背が高くて、私なんかにはきっと届かない。
少しだけまた本の世界に落ちると、気がついたら背後に先生を感じた。
「祝うなんて言いながら、プレゼント渡さずに寝るとこだった」
私なんかよりずっと綺麗な腕がそっと後ろから伸びてくる。
「誕生日おめでとう、レイ」
先生の声が耳元に吹き込まれる。視線をそっと落として、首元で光る星をモチーフにしたネックレスを見たとき、突然泣きたくなった。
まさか先生にこんなものをプレゼントされるなんて夢にも思わなかった。もう私は先生からたくさんもらっているのに、これ以上何をすればいいのかわからない。そんな嬉しさと戸惑いが心の中で同居している。
「ありがとう、ございます……っ」
半分だけ、泣いてしまったかもしれない。けれど大人の先生は、私のその涙を見なかったことにして、代わりに優しく頭を抱き寄せるのだ。
嬉しくて泣くなんて、今までもこれからもないと思っていた。でも先生の優しさに触れると、息をするように、自然とこぼれてしまう。私は多分、先生といると素直になれるのだろう。
「大切にします……」
「そうしてくれるなら、嬉しいよ。とても」
ああ__どうしよう。私は先生に好きなんかじゃ言い表せないくらいに恋をしていると、ここにきてようやく気がついた。
いや、きっと恋じゃない。これはどうしようもなく純粋な好意でできた、愛だ。
だけどまだ約束の日じゃないから__この気持ちは、今は私だけのもの。
「そろそろ寝る?」
先生が離れて、聞いてくる。その声で急に現実に戻された。まだ問題が残っていた。
「ああ、ええっと……」
視線を彷徨わせた私を見て、先生はくるくると赤ワインを回しながら面白そうに目を細める。
「レイはベット使っていいよ。別に一緒に寝る必要はないでしょ」
「……じゃあ先生はどこで寝るんですか?」
「ん? うーん……ソファーとか?」
それはダメだと流石に理性が咎めた。
確かに先生と一緒に寝るのは私の心が持たないだろうけれど、かといってそれで先生に気を遣わせるのは嫌だ。私は結構わがままなのかもしれない。
悩んだ末に、私は提案してみた。
「先生さえ良ければ、一緒に寝ませんか……?」
先生は驚きのあまり、飲んでいた赤ワインを気管にいれてしまったのか、けほけほとむせた。
「大丈夫ですか?」
軽く先生の背中をさすると、少しして先生は元の呼吸を取り戻した。
「ああ、うん、ありがとう。大丈夫なんだけど……それ本気で言ってるの?」
「やっぱり、嫌ですか?」
「むしろ嬉しいけど……嬉しいから困ってる」
照れたように笑う先生が、普段私をどう思っているのか、なんて、そこまで深く考えたことがなかった。
だから嬉しいから困ってる、というのも『その感情をどう処理したらいいかわからないから困ってる』と、この期に及んで馬鹿な考えで結論づけた私は、もう一歩と勇気を出してみる。
「先生、お祝いしてくれるんじゃなかったんですか? それとももうおしまいですか?」
軽い冗談のつもりだったのに、先生は不意に、身体の中から獣を引っ張り出してくる。
「……まだ足りないって言いたいの?」
「いえ、冗談で……」
強引に肩を掴まれて、押し倒された。今までよりずっと切迫した顔で、先生が唇を重ねてくる。そのうちに、そのキスは深いものに変わる。
「せん……っ、」
一緒に寝るという私の提案は文字どおりで、言い換えるなら__あまり言い換えたくないけれど__添い寝だ。なのにどうしてか先生は、それを受け入れてくれない。
すっと切れ長の瞳に見つめられた時、背筋がぞくりとした。そんな瞳で見られても、今の私はこの先を受け入れられない。
ぎゅっと目を瞑ると、先生は何を思ったのか私から離れて、口直しをするように、また赤ワインに手を伸ばす。
「……ごめん。怖かった?」
やがて先生が短くそう言う。なんだか、距離を測り損ねたような響きがあった。
「レイはどうしても僕と寝たい?」
先生が言いたいことはわかる。つまり、もしこの後またこういう思いをすることになってもいいのか、ということだ。
いいか悪いかで言えばよくはないけれど、でも、今日くらいは先生に甘えたい。
「本気で嫌になったら、また嫌いって言いますから」
「わかった。そこまで言うなら一緒に寝るよ」
互いの言葉は毒にも薬にもなる。恋人とは、難しい。
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