先生は授業中、恐ろしい迄に紳士的だった。

 例えば授業中、誰かわからない生徒が一人でもいたら、その子が分かるまで何度も繰り返し、丁寧に教えてあげる。

 ちなみにそのわからない生徒とは、私のとなりの席に座っている佐藤晃一ただ一人だ。先生の説明は基本的にとても丁寧で分かりやすい。

 「えーっと、つまり……ブレンステッド・ローリーの定義を使えば、その問題が分かると」

 「そう。だからこの問題の答えは塩基だってわかるね」

 成る程、と佐藤は重々しく頷いてみせた。ようやく理解した内容は、本来なら一年生の化学基礎の範囲だ。そのうえ、これは今日の小テストのなかでは比較的簡単なものだ。

 ちなみに佐藤の点数はこのクラスで最下位だった。らしい。

 先生はその後も佐藤に懇切丁寧に解説をして、授業を終えた。

 「うわあ、すっげえ分かりやすいな、東」

 佐藤は休み時間、まだ幼さの残る笑みでそう話しかけてきた。クラス一のムードメーカーの彼は全国レベルのサッカーの腕前を誇るが、代償としてまるで勉強はできない。テスト前は半ば佐藤の家庭教師役になってしまう私も、これで少しは負担軽減になるかもしれない。

 なんて、淡い期待。

 「何点だったの? 小テスト」

 「30点」

 「……ばかなの?」

 「何でそんなバカにされなくちゃいけないんだよ? しょうがないだろ、夏休みは合宿があったんだよ。U-18の」

 「はあ、また一からか……」

 先生はもちろんそれが仕事だが、正直私には家庭教師紛いのことはまるで向いてない。佐藤に教えながら私も学ぶことがいかに大変かは筆舌に尽くしがたい。

 佐藤も勉強すればいいものを、絶対にそれをしない。しかし私も私で、普段の学級会等では佐藤に頼りっぱなしなのでまあ、そこは助け合い____あれ、これ、私の方が助けてるんじゃ?

 なんてことは口には出さずに、心の中だけでとどめておこう。

「なあ、東、この問題は?」

不意に、佐藤がぐっと近づいてきて、私の口から変な声が出た。先生と違って、逞しい腕をしてるなあ、なんて思いながら、そっと距離をとる。

私はシャーペンを取り出すと、くるりと一周回してから____考え事をするときの癖だ____ん、と軽く頷いた。

「この問題はね……」

解説を始めると、佐藤はすぐに真面目な瞳になる。その真剣さがあるのに、成績がついてこないのは少しだけ不憫に思う。

真面目で、熱心で、そして才能のある人。先生とはまるで真逆だ。才能は、わからないけど。

東さん、と呼ぶ紳士的な先生と、レイ、と呼ぶ少し強引な先生。

一体どちらが本当だろうかと、なんとなく思った。