・
そのあとも、ドキドキしながら勉強を続けた。周りに誰もいないからか、先生の距離はやけに近くて、その度に緊張してしまったけれど、終わる頃にはある程度は慣れていた。
「ありがとうございました」
途中、休憩もはさみつつ、今は午後六時。今日は両親がお祝いをしてくれると言っていたので、そろそろ帰らないといけない。
ちょっと心の片隅が寂しいような気もするけれど、そこは我慢しよう。月曜日にだって会えるのだから。
閉じた問題集をリュックにしまうと、ぐいーっと伸びる。意外と疲れている。私でこれなら、先生はもっと疲れているに違いない。
「またお礼させてください」
「さっきチャーハン作ってもらったのに?」
「なんだか、随分先生に頼ってしまったので……」
先生はぽんぽんと私の頭を軽く叩く。
「僕は教師だから、勉強に関しては好きなだけ頼るといいよ」
それが仕事だから、そう先生は笑う。
そういえば……
「先生は、どうして教師になったんですか?」
先生は灰皿を引き寄せながら、苦笑いを浮かべる。
「昔お世話になった先生に、しつこくお前は教師になれって言われたからかな」
「へえ……」
そんな風に決めてしまうこともあるのだと、私が納得していると、先生は煙を吐き出しながら
「ごめん。全部うそ」
と、明るく囁いた。
「……じゃあ、本当は?」
「それは秘密。それに、レイはきっと知ってるよ」
「え?」
以前、同じ質問をしただろうか。したような気もするし、しなかったような気もする。その辺は妙に曖昧で、よくわからない。
でも、先生のタバコを吸う横顔に、無性に懐かしさを覚えてしまう。昔会ったことがあるような、そんな感じの。
「先生、今から変な質問してもいいですか?」
「言うだけ言ってみて」
「昔、私と会ったことありますか」
不意に私の耳は、一切の音を遮断した。
何もない無音の世界で、先生は私の目をまっすぐと見つめて__くしゃりと、髪を撫でた。
「それは秋祭りまでの宿題ね」
「じゃあ、やっぱり……」
そこから先を言わせないようにしたかったのか、先生は火をもみ消しながら、私の唇を奪った。
タバコの味がする、大人のキス。苦いのに、それ以上に甘くて、くらりとめまいがする。ふっと力を抜くと、ゆっくりと押し倒された。
「……レイ」
頭上から降ってくる視線の熱さに、私は静かに目をそらす。
帰らないといけないとか、この人は先生だから好きになってはいけないとか、そんなことは全部置いて、ただもう少しだけそばにいたい。
でも、それを言う勇気が私にはない。17歳になったって、いや、きっといくつになっても、私は言えないのだろう。
欲を言うなら、誕生日だって言いたかった。両親じゃなくて、先生に祝ってもらって、今日だけでいいからずっと一緒に居たい。
それでも結局は全部心の中だけだ。自己主張ができないから、いつも変なところで、感情に蓋をする。
「先生。私、もう帰らないといけないんです」
いつもみたいに、話したつもりだった。
だけど、声は微かに震えていた。
「じゃあ、なんでそんな寂しそうな顔するの?」
「してないです」
「してるよ。今までで、一番寂しそうな顔だ」
どうして先生は、そんなにも私の脆いところを突いてくるのだろう。
「さっきのお礼の話って、なんでもいいの?」
突然の話題に、できることならと返すと、先生はぎゅっと私を抱きしめた。
「なら、今夜はレイのそばにいたい。嫌がることはしないって、約束するから」
先生の甘い囁きに、心が溶け出していく。
「そんな顔してるレイを、僕は家まで送れないよ」
それに、と先生は付け加える。
「今日はレイの誕生日でしょ? ちゃんと祝わせて」
「え、なんで、そのこと……っ」
まさか先生が知っていたなんて思わず、寂しいとか全部無くなって、驚きに固まる。
「そんなの、書類でも見ればすぐわかるよ」
「じゃあ、もしかして先生が今日会おうって言ったのも……?」
「うん、そう。拒まれなくてよかったよ」
先生は私の身体をゆっくりと起こして、髪を耳にかけた。私の耳は、というか全身が先生のせいで熱い。ドキドキしすぎて、心臓が何個あったって足りない。
「それで、どうかな。急なことだし、無理なら送ってくけど……」
立ち上がる先生は、今にもやっぱり送ると言い出しそうだ。
この機会を逃したら、もうこの先なんてない。私は必死に勇気を掻き集めて、先生のシャツの袖をつかんだ。
「聞いてみますから……待っててもらえますか」
なんていいながら、両親がダメだと言わないとなんとなく思っていた。お母さんはあの性格だ。絶対に、むしろ茶化される。
先生に断りを入れて、少し離れたところで電話をかける。
案の定、電話口でお母さんは笑って許してくれた。
『誕生日に彼氏の家なんて、レイもなかなかねえ』
「だから、彼氏じゃなくて、友達の……」
『あのねえ、レイ。あなたのために言っておくけど、そういうことになりそうな時はちゃんと考えるのよ。お母さんはできても自己責任だと思うけど、お父さんはショックで倒れちゃうから』
「ちょっと待って、何言って……!」
『じゃあね。お誕生日おめでとうレイ。いい夜をね』
ぷつんと強引に切られた電話を恨めしく思う。お母さんには、常に振り回されている。
先生は目だけでどうだったと聞いてくるので、私は静かにこくりと頷く。
__長い夜の、始まりだ。
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そのあとも、ドキドキしながら勉強を続けた。周りに誰もいないからか、先生の距離はやけに近くて、その度に緊張してしまったけれど、終わる頃にはある程度は慣れていた。
「ありがとうございました」
途中、休憩もはさみつつ、今は午後六時。今日は両親がお祝いをしてくれると言っていたので、そろそろ帰らないといけない。
ちょっと心の片隅が寂しいような気もするけれど、そこは我慢しよう。月曜日にだって会えるのだから。
閉じた問題集をリュックにしまうと、ぐいーっと伸びる。意外と疲れている。私でこれなら、先生はもっと疲れているに違いない。
「またお礼させてください」
「さっきチャーハン作ってもらったのに?」
「なんだか、随分先生に頼ってしまったので……」
先生はぽんぽんと私の頭を軽く叩く。
「僕は教師だから、勉強に関しては好きなだけ頼るといいよ」
それが仕事だから、そう先生は笑う。
そういえば……
「先生は、どうして教師になったんですか?」
先生は灰皿を引き寄せながら、苦笑いを浮かべる。
「昔お世話になった先生に、しつこくお前は教師になれって言われたからかな」
「へえ……」
そんな風に決めてしまうこともあるのだと、私が納得していると、先生は煙を吐き出しながら
「ごめん。全部うそ」
と、明るく囁いた。
「……じゃあ、本当は?」
「それは秘密。それに、レイはきっと知ってるよ」
「え?」
以前、同じ質問をしただろうか。したような気もするし、しなかったような気もする。その辺は妙に曖昧で、よくわからない。
でも、先生のタバコを吸う横顔に、無性に懐かしさを覚えてしまう。昔会ったことがあるような、そんな感じの。
「先生、今から変な質問してもいいですか?」
「言うだけ言ってみて」
「昔、私と会ったことありますか」
不意に私の耳は、一切の音を遮断した。
何もない無音の世界で、先生は私の目をまっすぐと見つめて__くしゃりと、髪を撫でた。
「それは秋祭りまでの宿題ね」
「じゃあ、やっぱり……」
そこから先を言わせないようにしたかったのか、先生は火をもみ消しながら、私の唇を奪った。
タバコの味がする、大人のキス。苦いのに、それ以上に甘くて、くらりとめまいがする。ふっと力を抜くと、ゆっくりと押し倒された。
「……レイ」
頭上から降ってくる視線の熱さに、私は静かに目をそらす。
帰らないといけないとか、この人は先生だから好きになってはいけないとか、そんなことは全部置いて、ただもう少しだけそばにいたい。
でも、それを言う勇気が私にはない。17歳になったって、いや、きっといくつになっても、私は言えないのだろう。
欲を言うなら、誕生日だって言いたかった。両親じゃなくて、先生に祝ってもらって、今日だけでいいからずっと一緒に居たい。
それでも結局は全部心の中だけだ。自己主張ができないから、いつも変なところで、感情に蓋をする。
「先生。私、もう帰らないといけないんです」
いつもみたいに、話したつもりだった。
だけど、声は微かに震えていた。
「じゃあ、なんでそんな寂しそうな顔するの?」
「してないです」
「してるよ。今までで、一番寂しそうな顔だ」
どうして先生は、そんなにも私の脆いところを突いてくるのだろう。
「さっきのお礼の話って、なんでもいいの?」
突然の話題に、できることならと返すと、先生はぎゅっと私を抱きしめた。
「なら、今夜はレイのそばにいたい。嫌がることはしないって、約束するから」
先生の甘い囁きに、心が溶け出していく。
「そんな顔してるレイを、僕は家まで送れないよ」
それに、と先生は付け加える。
「今日はレイの誕生日でしょ? ちゃんと祝わせて」
「え、なんで、そのこと……っ」
まさか先生が知っていたなんて思わず、寂しいとか全部無くなって、驚きに固まる。
「そんなの、書類でも見ればすぐわかるよ」
「じゃあ、もしかして先生が今日会おうって言ったのも……?」
「うん、そう。拒まれなくてよかったよ」
先生は私の身体をゆっくりと起こして、髪を耳にかけた。私の耳は、というか全身が先生のせいで熱い。ドキドキしすぎて、心臓が何個あったって足りない。
「それで、どうかな。急なことだし、無理なら送ってくけど……」
立ち上がる先生は、今にもやっぱり送ると言い出しそうだ。
この機会を逃したら、もうこの先なんてない。私は必死に勇気を掻き集めて、先生のシャツの袖をつかんだ。
「聞いてみますから……待っててもらえますか」
なんていいながら、両親がダメだと言わないとなんとなく思っていた。お母さんはあの性格だ。絶対に、むしろ茶化される。
先生に断りを入れて、少し離れたところで電話をかける。
案の定、電話口でお母さんは笑って許してくれた。
『誕生日に彼氏の家なんて、レイもなかなかねえ』
「だから、彼氏じゃなくて、友達の……」
『あのねえ、レイ。あなたのために言っておくけど、そういうことになりそうな時はちゃんと考えるのよ。お母さんはできても自己責任だと思うけど、お父さんはショックで倒れちゃうから』
「ちょっと待って、何言って……!」
『じゃあね。お誕生日おめでとうレイ。いい夜をね』
ぷつんと強引に切られた電話を恨めしく思う。お母さんには、常に振り回されている。
先生は目だけでどうだったと聞いてくるので、私は静かにこくりと頷く。
__長い夜の、始まりだ。
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