翌朝。彼方はいつもよりかなり早く出勤して、一人で缶コーヒーを飲みながら、ロッカーを見張っていた。

『この手紙が、こなくなれば嬉しいですけど』

レイが求めているのがそこまででよかった、とその時の彼方は内心で安堵した。それ以上を求められていたら、きっと彼方は多少手荒な行動を取っていたに違いない。

昨日の放課後は、レイ自身が、ロッカーに何もないことを確認済みである。だから、恐らく犯行は朝。そして数日の行動の末に、手馴れているから、あまり警戒しなくなっているだろうと踏んだ。

そうして彼方は、レイのために、ここにいる。

バカだと言われればそこまでだ。 “何年も前に出会った少女” への恋心を燻らせて生きてきた。

おにいさん。レイが寝言でそう呟いた時には、さすがに心臓が一瞬止まったが。

ざっ、と、不意に足音が響く。息を潜めて音のする方を見ると、レイ以外の人間が、レイのロッカーに立っている。上履きの色から、三年生だと判断できた。

ショートカットの髪を揺らして、彼女は静かに辺りを窺い、そしてカバンからあの封筒を取り出すと、隙間から差し込んだ。間違いない、彼女だ。

彼方はそこまで判断すると、静かに携帯のシャッターを切った。そして、飲み終わった缶を床に落とす。

からんころん、と静かな空間に金属質な音が響く。

「えっ、なに……?」

怖がる女は、慌てて立ち去る。彼方は立ち上がると缶を拾い、急ぐ女の背中に、優しく声をかける。

「ねえ」

びくっ、と女の肩が露骨に跳ねた。

「あ、先生。おはようございます」

笑顔が強張っている。自分すら騙せない女がレイを苦しめていたのかと思うと、こらえようのない衝動が沸き起こるが、理性でなんとか抑える。

レイに引かれたくない。あともう少しで、自分のものにできるのだから。

「おはよう」

言いながら、彼方は女に近づくと、あくまで優しく囁く。

「僕ね、この間ある生徒に相談されてね」

「な、なにを……」

「ロッカーに毎日手紙が入ってるって。怖いから助けてって言われたんだ。だから、見張ってたんだよね」

彼方は冷たい笑みを女に向かって浮かべる。

「それ……君だよね?」

「ち、ちがっ」

「本当に? じゃあ、手紙と君の文字とを比べる? それとも……この写真を見せたほうが早いのかな」

ひらりとスマホのカメラに自身の犯行の一部始終が映っているのを見て、女は抵抗を諦めた。

「なによ……なにが悪いっていうの!? だいたい、あの女がっ!!」

「あの女が……なに?」

「ひっ……!」

女の目が恐怖で歪んでいる。ああ、自分はどうやら、想像以上に怒っているようだ。

「ねえ、君はちゃんと、佐藤が好きだって言ったの? 好かれる努力をしたの? そんなこともせずに、大事な教え子に害を与えないでほしいな」

「な、なんなの……」

「それはこっちのセリフだよ。……久しぶりにこんな気持ちになったよ。ちゃんと責任とってくれるよね」

どうすればいいかわかる、と目だけで問うと、女はしきりに首を縦にふる。

「もう、しないから……っ!」

彼方はそれを見て少しだけ満足したのか、いつもの愛想笑いを浮かべて、諭すように言った。

「次は、ないよ」

その一言がよほど効いたのだろう、女は半分泣きながらもうしないから許してと懇願する。三年生。内申への影響は進路に直結する。いっそのこと、少し下げてやろうか。

もちろんそんなことを口には出さずに、じゃあね、と彼方は何事もなかったかのように立ち去るのだった。