先生なんて、嫌いだ。はっきりとそういって、心のなかでそう決意して____会わずにすむ、筈だった。

 だけど実際、私は学校をサボるなんて選択肢を選べないままに、朝を迎えた。

 憂鬱な気分を引きずって、校門を潜る。悩みなんて何一つ無さそうに笑顔で通りすぎていく生徒たちを見ると、つくづく自分はついていないのだと思い知る。

 いつも通り靴を履きかえ、教室に向かう。朝早く来る私にたいして、クラスメイトの大半はチャイムギリギリに滑り込むように入ってくる。私は毎日、二十分程を、この暑苦しい教室で一人で過ごしていた。

 昨日の二学期始業式。あそこまでが私の平和のピークらしい。

 「おはよう」

 誰もいないと分かっているのに、つい挨拶をしてしまう癖は治らない。

 「おはよう、レイ。早いね」

 今までの暑さがまるで嘘のようにひいた。背筋が凍るとはまさにこの事だ。

 教卓に向かうようにして、そこに先生がいる。

 瞬間的に逃げようとした私を、先生は立ち上がって肘を掴んで引き戻した。

 「なんで逃げるの?」

 「それは先生が嫌いだからで……」

 肘をつかむ力が少し強い。思わず顔をしかめると、先生はその手を離した。

 「昨日のことなら、僕はあのあとしっかり反省したんだよ?」

 「……嘘つき」

 「本当だって。レイに嫌いって言われて、ずいぶん堪えた」

 先生の目は、昨日私に告白してきたときと同じ、真剣なもの。ならば先生の言葉に、おそらく嘘はない。とりあえず私は信じてみることにした。

 「それで、どうしてわざわざクーラーの効いた準備室じゃなくて、ここにいるんでしょうか」

 「レイは彼女なんだから、その彼女と少しでも長くいたいと思うのは普通じゃない?」

 ああそうだろう。これが契約じみた関係ではなく、本当に好きだから付き合っているのなら。

 だが、私と先生のこの関係は、仮初めの、恋人未満。

 「……まあ一ヶ月すれば先生とは別れるんですから、どうぞお好きになさって下さい」

 席につくと先生は私の前の席にすかさず座って、私と向かい合った。こうして朝日に照らされた横顔は、なるほど好青年だ。さらりと流された黒髪と、白い首筋。ふっと目を伏せるとわかるまつげの長さ。テレビの中で、爽やかイケメン俳優と謳われていても不思議じゃない。

 だけど、だから何だと言うのだろう。この男は私を半ば脅して付き合った上に、結局キスまでしてきたではないか。

 「レイ、今週デートしようよ」

 「すみません、今週は勉強したいので」

 「じゃあ来週は?」

 「来週も、きっと勉強したくなるので」

 先生はあからさまにため息をつく。諦めてくれただろうか?

 「そんなに勉強したいならデート中でも僕が教えてあげるから、デートしようよ」

 ____この人は、狡い。私が断りづらくなるように誘導してくる。

 「……分かりました、一回だけですよ」

 かくして今週の日曜日に嫌いな男とのデートという予定が入ってしまった。

 先生は必要だからといって私の連絡先を手にすると、嬉しそうに笑った。その笑みのあまりの無邪気さに、心臓が一瞬、高鳴る。

 この人は、先生。好きになってはいけない人。

 「デートするのはいいんですが、ばれるかも、とか、考えないんですか?」

 先生は軽く首をかしげると、私の目を____心を見て、言った。

 「教え子に恋してるんだから、それくらいは覚悟のうちだよ」

 じゃあ、またね、と先生は笑って帰った。その後ろ姿はあまり頼りがいが無さそうなのに、先生は将棋のプロなんかよりずっと多くの手数を読んでいる。策士だ。

 不意に鼻腔をくすぐる、煙草の香り。銘柄なんてまるでわからないのに、ただなんとなく、私は懐かしいと思ってしまった。