「はあぁ……」

放課後、佐藤は盛大にため息を漏らした。その手にはすっかり汚れた筆が握られている。

文化祭まであと三日ということもあり、学校はにわかに活気づいている。

窓に貼られたポスター、廊下や教室に置かれた道具たち。すでに浮かれ気味の雰囲気は、これからの楽しさを彷彿とさせる。

ちなみに、私と佐藤が担当している学級委員は、校内の見回り当番に当たっている。

「あーあ、見回りなんてだるいだけだよなあ」

佐藤は、ダンボールに丁寧に色を塗りながら愚痴を吐いた。私たちのクラスは無難にたこ焼きをする予定である。それを提案した佐藤が作っているのは、一番目立つ看板だ。

「まあ、人もたくさん来るから、先生だけじゃ足りないんでしょ?」

「そうだとしてもさあ……」

どうやら佐藤は、ちょうど見回りにあてられている時間に見たい劇があったらしく、さっきからずっとこんな感じだ。

「私は、入り口で募金を呼びかけるよりはいいけどね。回るだけなら楽でいいし」

「うーん……それもそうなんだけどなあ……」

佐藤は予定をかなり詰めるタイプらしい。というか、満喫派。とことん回り尽くしてやろうという性格だ。

一方の私は、特に予定もなければ、何なら回る人もいない。基本的に一人が平気なタイプなので、適当に回ろうと思っている。

すでに配られたパンフレットをぼんやりとみる。今のところ興味を引かれるのは、コーヒーカップとジェットコースターだ。というかこれ、大丈夫なのだろうか。

「東はいいのかよ。たかが30分とはいえ、潰れるんだぞ?」

「私は別にいいよ。特に行きたいところもないし」

筆を筆洗ですすぐと、佐藤は絵の具をパレットに出して、色を微調整させる。たこ焼きのソースを塗るつもりらしい。

「東って、なんか大人っていうか……悪く言ったら、冷めてるよな?」

「冷めてたら、手伝わないでさっさと帰ってるよ」

佐藤が塗っているダンボールは、何を隠そう、私が切ったものだ。もっとも、作業時間的に考えれば手伝ったと言えるのかは怪しいレベルだが。

「友達いねえし、勉強ばっかだしな」

ぐさりと、胸に何かが突き刺さった。それはすぐに毒を運び、私の心に傷を与える。

佐藤のいうことに、否定できる面は一切ない。私は所詮一人ぼっちで勉強しか取り柄のない女だ。

でも、それを面と向かって言ってくるのは、少なくともこの男だけだろう。

「どうせ好きな人もいないんだろ?」

「ん……そうみえる?」

「え、いるのか?」

聞いた本人が一番驚いていた。私にどうあって欲しいのだろう、この人は。

「東の好きな人は、ちょっと気になるな」

「誰もそんなこと言ってないけど」

「そう見える、なんて聞いてくる時点でいるんだよばーか」

舌を出してバカにしてくる佐藤に無性に腹が立つ。もういっそこのまま置いて帰ろうか。

「んで、どういうやつなの?」

「……」

私は脳裏に先生のことを思い浮かべてみる。

「……何考えてるかわからない人」

「はあ?」

「だって、それ以外に言いようがないの」

よもやいつでもどこでも私を口説いてくる挙句に、実は今だけ付き合ってる、なんて言えるはずもない。

佐藤はふうん、と、含みのある相槌を返す。

それっきり、まるで話していたことすら忘れたように、何も言わなくなる。

茜色の空がやがて塗りつぶしたように黒くなっていく。佐藤はそんなことにすら気づかずに、真剣にダンボールに向き合って、ソース色の絵の具を塗っている。

「……佐藤?」

「っし、終わったー」

私が声をかけたとほぼ同時、佐藤は満足げに立ち上がった。

「うわ、もう7時前かよ。悪いな、付き合わせて」

「え……ああ、別にいいけど」

「待ってろ。送るついでになんか奢ってやる」

汚れた筆やら筆洗やらパレットやらを手に、佐藤は教室を出て行く。その後ろ姿をぼんやりと見送りながら、思う。

__佐藤とは、ただのクラスメイト。それはもう、間違いなく。

だから、先生が考えていることは杞憂で。

『レイは、佐藤がただのクラスメイトの手を、いつまでも握ってたって本気で信じるの?』

なのに、その言葉は、妙に私を悩ます。