・
四時間目の終わりを告げるチャイムほど嬉しいものはない。もちろん六時間目の終わりを告げるチャイムも嬉しいけれど、四時間目はそれに勝る。何せ、ご飯が食べられるのだから。
授業中は切っていたスマホの電源をつけると、3分ほど前に、先生からメッセージが届いていた。
《お弁当ありがとう。個人的には玉子焼きが好きだったよ》
そんな言葉とともに、綺麗になったお弁当箱の写真が添付されていた。どうやら一足先に食べたらしい。ここまで綺麗に食べてくれると、とても嬉しい。
《お口にあったのなら、よかったです》
そう返すと、すぐに既読がついて、先生は可愛らしいウサギが丸をつくっているスタンプを送ってきた。そのセンスに思わずふっと笑うと、隣席の男が面白そうに私を見た。
「一人で笑えるほど面白いことでもあったのか?」
佐藤はお弁当を広げながら、そう聞いてきた。私は軽く首を振ると、おにぎりを取り出す。
二年生になってからずっと、お昼ご飯は佐藤と食べている。別に何か約束したわけではないのだけれど、気がついたらそうなっていた。
互いに恋愛感情とかそういったものは一切ない分、たまに私は思ってしまう。
このまま佐藤とご飯を食べていると、そのうち佐藤のことを好きな女子から刺されるのではないかと。
「……どうした?」
__半ば本気で、思っている。何せこの男はとなりに私がいても、彼女だと勘違いされても平気な男だから。
「ん、なんでもない」
おにぎりを一口。今日は先生のお弁当に意識を傾けすぎたあまり、自分の分のおかずを作り忘れるという通常では信じられないミスを犯した。
いつもお弁当の私が、おにぎりだけで足りるはずもなく。
「……お腹すいた」
思わずそう呟くと、佐藤が驚いたようにこちらを見た。
「お前、今おにぎり食べてるだろ?」
「でも足りないの……」
「まあ、確かに、そんなちっこいおにぎりじゃなあ」
うーん、と佐藤は悩む。そして何か思いついたのか、食べかけのお弁当に蓋をすると、立ち上がった。
「いくぞ」
「え?」
いきなり、強引に引っ張られた。待って、という間すらもらえず、佐藤は痛いくらいに私の手首を掴んでずんずん進んでいく。
階段を降りて、廊下を進む。どうやら向かう先は食堂らしい。そこまで把握できてようやく、私は言葉を取り戻した。
「佐藤、いい加減、手、離して……?」
「え? ああ、おう。悪い」
言葉の割にはあまりに清々しい笑みだった。基本的に佐藤はポジティブ思考で、無鉄砲だ。
「食堂なんて、初めて来た」
列に並びながらふと呟くと、佐藤が驚いたように瞬きをした。
「……なに?」
「東って、結構変わり者だよな」
「そう、かな」
「だって普通いないだろ、食堂来たことないやつ」
「普段は足りる分のお弁当をちゃんと作るし……忘れないから、来る機会がまず無くて」
そんな話をしている間に、順番が回ってきた。そこで初めて、私は財布を教室に置きっぱなしだと思い出した。
「佐藤、財布忘れた」
ブラウスの袖を引っ張ってそう言うが、佐藤は私の話を聞かずに唐揚げを二個買ってしまった。
そして、そのうちの一個を私に手渡す。
「わ、ありがとう。いくらした?」
「いいよ、金は。奢るから」
その好意に、私は素直に甘えることにした。温かい唐揚げに、心も温かくなる。
ただし、周りは割とそうではない。今も刺すような視線が、私だけに降り注がれている。
無理もない、と思った。全国常連のサッカー部キャプテン、おまけにルックスは抜群。すらりと伸びた背と、大きな手。そしてこの楽観的な性格。
要するに、佐藤は男女学年問わず人気者なのだ。
行きは特に気にしていなかったけれど、廊下を歩いていると、嫉妬と好奇の入り混じった目で見られていると知った。たかが数秒程度。それが私にはあまりに厳しすぎた。
「……向こうから帰ろうぜ」
そんな私に気づいたのか、佐藤は私の手を握ると、今度は勢いよく走り出した。
サッカー部の脚力に、帰宅部の私の脚力は当然ながらあっさりと悲鳴をあげる。
「ま、待って、ムリ……! 死んじゃう……!」
佐藤は中庭まで走りきると、いい運動をしたとでも言いたげに、はあっと息を吐いた。私なんかとは鍛えがまるで違う。まあ、それも当然のことなのだけど。
「……あ、垂水先生だ」
私は息を整えながら、顔を上げる。
「……うそ、どこ……?」
「ほら、あれ」
指をさした方角、確かにそこには先生がいた。キャンディーを舐めながら渡り廊下をぼんやりと歩いている。
「垂水先生ー!」
佐藤がよく通る声でそう呼ぶと、先生は若干驚いたようにこちらを見た。そして苦笑気味にこちらに手を振る。
「いこうぜ」
佐藤は多分、私の手を握っていることすら忘れている。この状態で先生の前に立てば、何か言われる。面倒ごとは当然避けたい。
「せ、先生に用があるの?」
何とか引き止めようとする間にも、もう先生との距離は縮まっていて__
「いや、別に。ただ、垂水先生と話してるの、なんか俺好きなんだよなあ」
佐藤がその言葉を言い切ったのは、先生の前だった。
先生は他所向きの愛想笑いを浮かべて、佐藤にはまるで視線を向けず、私を見た。
「それは嬉しい限りだなあ。僕も多少は好かれたってことかな?」
「先生の説明はわかりやすいんで大好きっすよ」
「へぇ、そう。……ちなみに、二人は仲がいいの?」
笑っているのに、目が恐かった。切れ長の瞳をすっと細めて、先生は佐藤が握りっぱなしにしている私の手を見た。
でもここで言い訳をさせてもらえるなら、さっきからずっと、この手を振り解こうと努力している。
「まあ、普通だよな、東」
「えっ、あ、うん……普通、かな」
ここまで頑張って解けないなら、むしろ佐藤が意図的にそうしているとしか思えない。何のためにかは理解不能だけど。
「あ、ごめん。僕はそろそろ行くね。これからも仲良くね」
先生は白衣を揺らしながら、準備室のある西棟に入っていく。
その後ろ姿を見送っていると、不意にピコン、とスマホが鳴る。
《放課後、準備室に来ること》
素っ気ないその言葉に、先生の怒りを見た気がした。
__本当に、今日はつくづくついてない。
・
四時間目の終わりを告げるチャイムほど嬉しいものはない。もちろん六時間目の終わりを告げるチャイムも嬉しいけれど、四時間目はそれに勝る。何せ、ご飯が食べられるのだから。
授業中は切っていたスマホの電源をつけると、3分ほど前に、先生からメッセージが届いていた。
《お弁当ありがとう。個人的には玉子焼きが好きだったよ》
そんな言葉とともに、綺麗になったお弁当箱の写真が添付されていた。どうやら一足先に食べたらしい。ここまで綺麗に食べてくれると、とても嬉しい。
《お口にあったのなら、よかったです》
そう返すと、すぐに既読がついて、先生は可愛らしいウサギが丸をつくっているスタンプを送ってきた。そのセンスに思わずふっと笑うと、隣席の男が面白そうに私を見た。
「一人で笑えるほど面白いことでもあったのか?」
佐藤はお弁当を広げながら、そう聞いてきた。私は軽く首を振ると、おにぎりを取り出す。
二年生になってからずっと、お昼ご飯は佐藤と食べている。別に何か約束したわけではないのだけれど、気がついたらそうなっていた。
互いに恋愛感情とかそういったものは一切ない分、たまに私は思ってしまう。
このまま佐藤とご飯を食べていると、そのうち佐藤のことを好きな女子から刺されるのではないかと。
「……どうした?」
__半ば本気で、思っている。何せこの男はとなりに私がいても、彼女だと勘違いされても平気な男だから。
「ん、なんでもない」
おにぎりを一口。今日は先生のお弁当に意識を傾けすぎたあまり、自分の分のおかずを作り忘れるという通常では信じられないミスを犯した。
いつもお弁当の私が、おにぎりだけで足りるはずもなく。
「……お腹すいた」
思わずそう呟くと、佐藤が驚いたようにこちらを見た。
「お前、今おにぎり食べてるだろ?」
「でも足りないの……」
「まあ、確かに、そんなちっこいおにぎりじゃなあ」
うーん、と佐藤は悩む。そして何か思いついたのか、食べかけのお弁当に蓋をすると、立ち上がった。
「いくぞ」
「え?」
いきなり、強引に引っ張られた。待って、という間すらもらえず、佐藤は痛いくらいに私の手首を掴んでずんずん進んでいく。
階段を降りて、廊下を進む。どうやら向かう先は食堂らしい。そこまで把握できてようやく、私は言葉を取り戻した。
「佐藤、いい加減、手、離して……?」
「え? ああ、おう。悪い」
言葉の割にはあまりに清々しい笑みだった。基本的に佐藤はポジティブ思考で、無鉄砲だ。
「食堂なんて、初めて来た」
列に並びながらふと呟くと、佐藤が驚いたように瞬きをした。
「……なに?」
「東って、結構変わり者だよな」
「そう、かな」
「だって普通いないだろ、食堂来たことないやつ」
「普段は足りる分のお弁当をちゃんと作るし……忘れないから、来る機会がまず無くて」
そんな話をしている間に、順番が回ってきた。そこで初めて、私は財布を教室に置きっぱなしだと思い出した。
「佐藤、財布忘れた」
ブラウスの袖を引っ張ってそう言うが、佐藤は私の話を聞かずに唐揚げを二個買ってしまった。
そして、そのうちの一個を私に手渡す。
「わ、ありがとう。いくらした?」
「いいよ、金は。奢るから」
その好意に、私は素直に甘えることにした。温かい唐揚げに、心も温かくなる。
ただし、周りは割とそうではない。今も刺すような視線が、私だけに降り注がれている。
無理もない、と思った。全国常連のサッカー部キャプテン、おまけにルックスは抜群。すらりと伸びた背と、大きな手。そしてこの楽観的な性格。
要するに、佐藤は男女学年問わず人気者なのだ。
行きは特に気にしていなかったけれど、廊下を歩いていると、嫉妬と好奇の入り混じった目で見られていると知った。たかが数秒程度。それが私にはあまりに厳しすぎた。
「……向こうから帰ろうぜ」
そんな私に気づいたのか、佐藤は私の手を握ると、今度は勢いよく走り出した。
サッカー部の脚力に、帰宅部の私の脚力は当然ながらあっさりと悲鳴をあげる。
「ま、待って、ムリ……! 死んじゃう……!」
佐藤は中庭まで走りきると、いい運動をしたとでも言いたげに、はあっと息を吐いた。私なんかとは鍛えがまるで違う。まあ、それも当然のことなのだけど。
「……あ、垂水先生だ」
私は息を整えながら、顔を上げる。
「……うそ、どこ……?」
「ほら、あれ」
指をさした方角、確かにそこには先生がいた。キャンディーを舐めながら渡り廊下をぼんやりと歩いている。
「垂水先生ー!」
佐藤がよく通る声でそう呼ぶと、先生は若干驚いたようにこちらを見た。そして苦笑気味にこちらに手を振る。
「いこうぜ」
佐藤は多分、私の手を握っていることすら忘れている。この状態で先生の前に立てば、何か言われる。面倒ごとは当然避けたい。
「せ、先生に用があるの?」
何とか引き止めようとする間にも、もう先生との距離は縮まっていて__
「いや、別に。ただ、垂水先生と話してるの、なんか俺好きなんだよなあ」
佐藤がその言葉を言い切ったのは、先生の前だった。
先生は他所向きの愛想笑いを浮かべて、佐藤にはまるで視線を向けず、私を見た。
「それは嬉しい限りだなあ。僕も多少は好かれたってことかな?」
「先生の説明はわかりやすいんで大好きっすよ」
「へぇ、そう。……ちなみに、二人は仲がいいの?」
笑っているのに、目が恐かった。切れ長の瞳をすっと細めて、先生は佐藤が握りっぱなしにしている私の手を見た。
でもここで言い訳をさせてもらえるなら、さっきからずっと、この手を振り解こうと努力している。
「まあ、普通だよな、東」
「えっ、あ、うん……普通、かな」
ここまで頑張って解けないなら、むしろ佐藤が意図的にそうしているとしか思えない。何のためにかは理解不能だけど。
「あ、ごめん。僕はそろそろ行くね。これからも仲良くね」
先生は白衣を揺らしながら、準備室のある西棟に入っていく。
その後ろ姿を見送っていると、不意にピコン、とスマホが鳴る。
《放課後、準備室に来ること》
素っ気ないその言葉に、先生の怒りを見た気がした。
__本当に、今日はつくづくついてない。
・