ひとりだと思っていた君へ


慌てて朝芽が「京はもう帰って! 帰るのじゃ!」とまた独特な口調で追い払う。双子ならではの話し方らしい。

「え、なんで?」
「空気読まないから、嫌いじゃ」

そう言われてしゅんとする。仕方なく立ち上がる彼を柚月が止めた。

「髪を切ったってなんですか?」

髪を切られるなんて、よっぽどショックな出来事だろう。柚月の口調も厳しくなる。

「なんかね、あいつがあーちゃんのこと好きだったんだけど、あーちゃんが振ったら逆上したような感じだったよね。ね、あーちゃん?」

柚月の顔がさらに険しくなるから、話さないほうが疑惑を深めてしまう気がして、ようやく

「あのね……ええと説明するよ。まずリラックスしてね」
そう前置きをするから、気分のいい話ではなことは想像がついた。
「はい」
「ええと……なんていうんだろう。
ハローくんに告白をされて断ったんだ。
で、付き合わないなら髪を切るみたいな感じで脅されたというか……悪い冗談だったのかもしれないけど、そう言われて。
それでも無理だと伝えたら、確かハローくんが、何が俺に足りないのみたいなことを訊くから、
あたしはハローくんに自信が足りないって言っちゃったんだ。
きっと自分でもどこかでそう思ってたんだと思う。
図星じゃないと人って怒らないもんね。
その言い方が、あたしに見下されたように感じたみたいで、その勢いで……」

「どんな理由であれ、最低な奴だよ、本当に」
忌々しそうな顔をする京先輩とは対照的に
「でも今じゃないから」
と朝芽先輩はさっぱりした表情で言った。

だからと続ける。
「あのときは怖かったよ。当分会いたくなかったし。でも今は怖くないよ。ハローくんが本当はすごく優しい人だってわかってるから。
あのハローくんはあたしの中にも、きっと今のハローくんの中にもいないんじゃないかな」

聞かせてあげたいと柚月は思った。
彼が天使だと言った彼女の言葉なら何か伝わるような気がしたからだ。

「言ってもらえませんか。ハローくんに。今の言葉」
「え?」
「ハローくん、真逆のこと言ってました。自分は優しくないって。でも朝芽先輩から、今の言葉を言われたらすごく嬉しいと思うんです」

きょとんとしてからふっと笑った。

「柚月ちゃんは、どっちが本当のハローくんだと思うのかの?」
「え?」

それは考えなくてもわかる。一緒にいるとき、ふわりと感じる心地良い空気や自分の中から光が溢れ出すような喜び。それを一緒に体現できる。それが本当のハローくんだとわかっている。

「優しいハローくんです」
「じゃあ伝えたら。柚月ちゃんだってわかってるんだもん。本当にわかってる人が伝えるべきなんだよ。あたしのすることじゃないから。伝えてあげて」
「でも、私なんかが言っても」
「……そうだね。そんな自信のない人が言っても仕方ないかもしれないね」
はっきり言われて、柚月の気持ちはさらに沈む。
けど、と続けた。

「あのね、文化祭で最初に中庭にいる2人を見かけたんだけど、そのときハローくんの頭の中の傷の話を思い出したの。
それでね、ああもうそんな傷ハローくんにはないんじゃないのかなって感じた。
ハローくんに彼女って伝えられて疑問を持たなかったのは、そんな空気が2人の中にあったからだよ。
そのときの柚月ちゃんなら、ちゃんと伝わると思う。伝えようとしなくても」
と朝芽先輩は柚月を見つめながら真剣に伝えた。

自分というものは、幾つもいるのだろうか。
心臓がとか、そういうことじゃなくて、みんなそれぞれが自分を勘違いして生きているようにも感じた。
文化祭のときの自分と今の自分はどう違うんだろう。
自信か。ハローくんに拒絶されたように感じて、今は話すことさえ躊躇っている。
それはやっぱり、自信がないからだ。
確かに自信のない人の話なんて、何も伝わらない気がする。

校門を出ると白い学ランが目に入りどきりとした。

「柚月さん?」

一瞬誰だかわからなかったけど、すぐにハローくんの後輩のミッチーだと気づいた。

「あ、ミッチーくんだっけ?」
「そうっす。覚えててくれたんすね」
「うん。そりゃもう」
「良かったー」
「どうしたの? 誰かと待ち合わせ?」
「いや、柚月さんに用事なんす」
思いがけない言葉に驚く。
「え? 私に? なんで?」
「いやなんか、ハローさんの様子が変で気になって。このところ腑抜けてるというか」
「腑抜け?」
「ちょっと心配になって。何か知らないすか?」
「そう言われても」

この前のことが原因だとは柚月には思えなかった。

「渋さんは柚月さんと何かあったんじゃないかって言うし、余計気になって」
「ハローくんが私のことで落ち込むことはないと思うけど」
「そうすか」
渋谷の言っていたことを真に受けていたようで、しゅんとする。
ハローくんがいう、あることないことを言いふらすとはこの事かと苦笑いした。

「うん、ごめんね」
「急に押しかけてすみません」
「ううん」

駅の方まで行くというので、一緒に向かうことにした。

「ミッチーくんって、ハローくんに憧れて高校に入ったって言ってたけど、中学の頃から知ってたの?」
「あ、はい。そうなんす。なんか俺、中学の頃、ちょっと友達と夜遊びしてたら高校生に絡まれたことがあって」
「うん」
「金盗られたあげく、殴られて」
「えっ? 酷い」
「酷い話っすよね。それでその高校生が立ち去ろうとした瞬間、ハローさんがそこを通りかかったんすよ」
もしや助けてくれたのかと思って聞いていると

「したら、そいつらの一人がハローさんの肩にぶつかって、ハローさんが食べようとした肉まんを落としちゃったんです。揚げ句に踏まれて。で、ハローさんがブチ切れてそいつらを一瞬で倒したっていう」
柚月はぶっと噴き出してから笑った。
「え? 何かおかしいすか」

「ううん。なんかハローくんぽくて」
「でしょ。ハローさんまじ食べ物リスペクトしてますからね。まあ、そんとき初めてハローさんを見たんですけど、喧嘩してるところが強くて美しかったんすよね」
「喧嘩してるところが強くて美しい?」
「うん。そのときは感じました」
「だから、ハローくんに憧れてるんだ」
「だからっていうとよくわかんないっす。ただ惹かれたから、高校入っちゃったって感じっすかね」

ミッチーの言うことはとてもシンプルで、だからこそ本当にハローくんのことを思っているような説得力があった。
憧れも好きも本当はとてもシンプルなもので、感じるから自然と動かしてくれるものなのかもしれない。

駅前に着くと、青色の学ランを着ている生徒が数人目についた。
附学と対立している陽高の生徒だ。
もちろん柚月はそんなことは知らないが、ミッチーは最近陽高の生徒がいきがっているのが気にくわないのもあり、自然とガンを飛ばしてしまう。
柚月が隣にいるとかそういう気は回らないようだ。

それに向こうも気がついたらしく、睨みを返し、こちらに近づいてくる。
柚月も不穏な空気に気がついた。
まさかここで喧嘩なんてしないだろうと思いつつ気が気ではない。

「お前、何ガン飛ばしてんだよ」
目の前まで来ると、お決まりのような科白でミッチーに喧嘩を吹っ掛けてきた。
「ガン飛ばしてわりーかよ」
応戦する。
「ああ?」
柚月はどう立ち振る舞っていいかわからず、その場で立ちすくんでしまった。

すると、その中の一人が急に柚月の顔をじっと見て、
「あ、この女、あれだ。この前、三波といた女」
探し物を見つけたような喜びの声を上げた。





ハローくんは渋谷とファミレスにいた。
トイレから戻ってくると、渋谷の様子がおかしかった。携帯を手にしたまま画面をずっと睨んでいる。

「どうした? ようやく湖夏ちゃんに振られた? 良かったね」
いつもいじられるので、言い返したつもりだが、
「ハロー、やられたよ」と舌打ちをした。

「はあ、何が?」
テーブルに置いていたイチゴミルクのグラスを手前に引き寄せる。

「ミッチーから連絡あって、どういうことかわかんねーんだけど、柚月ちゃんと一緒にいたときに陽高の奴らに絡まれたらしいんだ。それが鶴見のグループの奴らだったらしい。んでハローの彼女だって勘違いされて人質にとられたとよ。ミッチーも一緒だ」
「はっ?」
「返してほしければ、ケリつけろって。あれだな。お前、前、呼び出されたときすっぽかしただろ。あれでコケにされたと思ったらしいな。なんか人質にとるって嫌なこと考えてなきゃいいけど」
「どこ?」
「あ?」
「どこに行けばいい?」
「そうこなくっちゃ」
と渋谷は伝票を持った。

ここから10キロ程先の廃工場に来るように指定された。
渋谷のバイクの後ろに乗る。

「あっち何人くらいいっかな。ハロー、誰か呼ぶか?」
「時間がないから、いいや」とメットを被る。
「久しぶりの大人数かもな」
「余裕だよ」
渋谷はハッと笑う。久しぶりにキレた目のハローくんを見た気がした。

「つうかさ、ミッチーのことだから喧嘩よえーのに、因縁つけたとかだろうな。絡まれたとかいうけど」
渋谷が言う。想像がついて
「あいつ、バカだからな」と呟くが、バカは自分かもしれない。

因果応報という言葉が浮かんで、その言葉に責められている。
過去に自分がしてきたことが、こうして関係のない人を巻き込むことになるとでも言いたいのか。そんな言葉に貶められてたまるかと感じる部分と罪悪感があい混じり、苦しくなった。
だけど、今はそんなことはどうでもいいと、ふっと力を抜いた。

車道に流れ込む。
「なあ、ハローはさ、本当はどう思ってんだよ」
「んー?」
「だから柚月ちゃんのこと!」
「どうって」
「だから、俺はさ、お似合いだから付き合えばって感じで、柚月ちゃんと付き合ってんだろって言い続けてたんだけど、お前は本当はどう思ってんだよ」

渋谷は本当に余計なことをべらべら喋る。
お陰で集中力が途切れてしまう。
呆れながら
「お前が湖夏ちゃんと付き合ったら教えてやるよー」
無理だと思っているから、そう答えた。
「ああ? なんだよ、今、言えよ!」
「たぶん、きっと……」

好きなんだとも思う。
柚月の明るさや優しさ、素直な気持ちが響いて、季節が変わるように自然に心が移り変わっていくのを感じてはいた。

だけど、喧嘩をやめろとか優等生のような発言をする柚月に苛立ちを感じたのも正直な気持ちだった。

自分でも抑えられなかったし、昔みたいに手を出さないだけマシだとも思えた。

だけど、正論を言われると歯向かいたくなるのは変わらないし、彼女もきっとそんな自分に呆れたし、嫌われたに違いないだろう。

今回だってこんなことに巻き込んでしまったし、最悪だと思われているはずだ。

だから、この気持ちの答えは突き詰めなくていい。
何も考えず、ただ助けて後はもう会わない。
そうすればきっと彼女に迷惑をかけることもないし、自分が何かをしてしまう前に終わることが一番だ。

「え、何?」
「なんでもねー! もっとスピードあげろって」
「なんだよ、偉そうに。まあ、そういうことか」

気持ちは打ち明けてこなかったが、急かされたことで彼女のことを大事に思っているのが伝わり、渋谷はにやりと笑った。