案内された部屋は王宮にいくつかある特別な部屋の一つ。
全ての力を無効化する部屋。
この部屋ではどんな力も意味を持たない。
一部のヴァンパイアを除いて。
侵入者には優しさを見せてはならない。
それは隙をみせるのと同じことだ。
恐怖で支配せよ。
それがヴァンパイアのやり方だ。
リリィの瞳は既に紅くなっている。
ウィルが扉を開けると、中にいた騎士達がいっせいに跪く。
ヴァンパイアの上に立つものの一人としてのリリィの纏うオーラーにみな圧倒される。
「あなたたち、人間ね。何の御用でこちらにいらしたのかしら?」
スッと冷たい視線で三人の人間を見る。
「…」
勿論、人間は何も話さない。
簡単に話すわけないわよね。
それに、そのために私が呼ばれたのだから。
「しょうがないわ。話しなさい」
リリィの瞳が一瞬、さらに真紅に輝く。
するとその瞳に見つめられた人間の一人が話し始める。
「おれたちはめいれいされた」
「それは誰に?」
喋ってる本人はなぜ自分の口が動いているのか理解していない。
無理矢理口を手で押さえようとするも口は動き続ける。
「しらない。かねをやるからキュウケツキのヒメをさらえといわれた」
人間がそう言った瞬間ウィルが私の前に立ちはだかり、剣の先が人間に向けられる。
「ウィル、大丈夫よ。この人たちは何も出来ないわ」
拘束されている上に、相手は人間だ。
ここで今、何かをできる状況ではない。
「ウィル」
私がもう一度名前を呼ぶと、ウィルは納得してなさそうだったが剣をしまい私の隣に立つ。
しかしウィルの瞳もリリィと同じように紅く、人間に対してかなりの警戒をしている。
人間が下手な動きをすれば一瞬でその命が飛びそうだ。
「私を連れてってどうするつもりだったのかしら?」
「やしきにつれていけばヒメとこうかんでカネをくれるといっていた。そのあとはしらない」
「そう。そのあなた達に頼んだのも人間?」
「にんげん」
「頼んだ人間は本気で私を誘拐できるとも思ってたのかしら?それともこれは、私への警告かも」
思わず口元に笑みが浮かぶ。
私が笑っているのを見て、人間たちが恐怖の表情を浮かべる。
「いいわ。あなた達は使われただけだし、帰してあげる。まぁ、少しだけ記憶は消させて頂くけれど。…けれど覚えときなさい。あなた達のことなんて秒で殺せるということを。ヴァンパイアには慈悲なんてないわ。殺すことに躊躇いはないの」
「姫、」
「…記憶を消すのはまかせるわ。消したら、どこかに捨てておきなさい。後は頼みました」
ウィルが私を呼ぶ声を無視して言い切ったあと、そのまま部屋を出る。
「姫っ!」
私が部屋を出たあと、ウィルが当たり前のように私を追いかけてくる。
「ウィル…人間は嫌い?」
「えっ?」
私の突然の問いかけにウィルは少し戸惑った後、
「特別な感情はありません。ただヴァンパイアの民を傷つけたり、姫を傷つけるならばその人間を私は殺すでしょう」
「そう…」
「姫、どうしたのですか?」
「…何でもないの。ただ自分が人間に言ったとおりのヴァンパイアであると思っただけよ」
無慈悲で人間なんて簡単に殺せる。
「そんなことありません!なぜ、いつもそうやって自分を卑下するのですか?!」
「ウィル…」
私には声を荒げることなんて今までなかった。ウィルが怒っていることがその表情と視線からも伝わってくる。
「今だけはお願い…」
リリィはそう言ってウィルの胸元に飛び込む。
「姫…」
ウィルはただ黙って抱きしめ返してくれる。
「今日はどこにも行かないで…」
クロード家に呼ばれていることをわかってるのにこんなことを言う私は最低ね。
「勿論です」
それにウィルは私のお願いを断れない。
ごめんなさい、ウィル。
月明かりが二人を静かに照らしていた。
それはパーティーからの数日後のこと。
リリィはあの日ウィルの前で弱っていたのは嘘だったのかのように次の日にはいつも通りに振舞っていた。
リリィは昼食のあと、庭のベンチで本を読んでいたが本のページはずっと捲られないままだ。
数日前の一件について、纏められた報告書を見たがやはり侵入した人間はお金目当てであり、ただの駒に過ぎなかった。結局私が狙われた理由も何もわからなかった。
頼んだ人間は本気で私を狙ったのか。
どこの種族でも王族が狙われることは多々ある。
‥考えても無駄ね。
それに王族として生まれた以上平穏に暮らせるなんて思ってないもの。
正直、男のヴァンパイア相手でもリリィは力を使えば勝てる。
ウィルにだって、身体能力においては圧倒的に負けているけど力を使えば勝てるかもしれない。
そういえばあれからウィルに会ってない。
抱きしめてもらった後、リリィの部屋まで送ってくれたウィル。
本当はもう少し側にいて欲しかったが、それは許されないこと。
小さい頃からずっと一緒にいて兄妹の様なのにな。
けれどお兄様が私の結婚相手はウィルだってみんなが噂してると言ってたし、周りにはそう見られてしまっている。
…抱きしめてもらうことも、もう駄目ね。
ウィルと私が同じ道を進むことはない。
私もそろそろウィル離れしないと。
その時、庭の向こうから何かが凄いスピードでこちらに来ているのが見えた。
あの速さと大きさはまさか‥。
リリィは逃げようと思ったが、時既に遅し。
リリィよりも大きなグレーの毛並みの動物が飛びかかってきた。
ぎゅっと目を瞑るも、衝撃は襲ってこない。
その代わりザラザラとした舌がリリィの顔をペロペロと舐めている。
「…まったくその登場は心臓に悪いからやめてって言ってるでしょ!ロイ!」
リリィが顔を舐めている動物、狼にそう言う。
「まず降りて!」
リリィの上に覆いかぶさる様にしている狼にキッと睨んで言うと、クアッと欠伸をしたあとゆったりと降りる。
そして、
「相変わらず冷たいねぇ、リリィは」
たちまち人間の姿に変わった。
「冷たいもなにも。いつも狼になって私に飛び乗るのだから当たり前だわ」
狼の時と同じグレーの短い髪。
高い身長とがっしりした体型、さらに鋭い瞳。
見た目はかなり怖そうだが、実際はそれどころか呑気でいつもふざけているような狼だ。
ロイは狼人間であり、狼人間を治めている王の息子。つまり王子だ。
「久しぶり。お姫様」
ロイはそう言って、今度は人間の姿でリリィの頬にキスを落とす。
「相変わらずリリィは甘い匂いがする」
「甘い匂い?私にはまったくわからないけれど。狼はやっぱり嗅覚が鋭いのね」
「やっぱ俺の結婚相手はリリィがいいな。リリィとなら毎日楽しそう」
「そうね。私の貰い手がいなかったら、貰ってちょうだ…」
リリィはロイの後ろにウィルがいるのを見つけて言葉が続かなかった。
ウィルは殺気立ってロイを睨みつけていた。
「そんなに睨まれたら後ろからでもわかるよ。怖いなぁ、ウィルくんは」
ロイはまったく怖くないのか振り返ってウィルに言う。
私からじゃ見えないけれどロイはきっと笑顔に違いない。
「黙れ。姫に触るな」
今にも剣を抜きそうなウィル。
「ウィル!一応ロイは王子よ!」
「一応ってリリィ、それ全然フォローになってないんだけど」
「ロイもロイでウィルを挑発しないで!」
きっとキスも結婚の話もウィルを挑発するためにわざとやったのだ。
昔から何かとウィルを挑発しては楽しんでいるロイ。
‥あとで私もウィルに怒られるのだから勘弁して欲しい。
「リリィとはね、君がリリィと知り合うずっと前に出会ってるんだよ。俺の方がリリィと仲良いからね」
私の言葉を無視して、やれやれと首を振りながら言うロイ。
本当にウィルを挑発をするのが好きなのね。
これじゃあ好きな子にわざと悪戯してるみたい。
しかしこの挑発を無視してウィルはリリィと向き合って、
「やすやすと触れさせないで下さい」
機嫌の悪い表情でリリィに言う。
「ごめんなさい。ほら、ロイって狼だからなんかペットみたいで…」
「ですがあいつは男です」
「そうよね。気をつけるわ」
「いつもそう言ってますが?」
「‥二度としません」
「次があった場合、覚悟しといて下さい」
「わかったわ」
覚悟って…きっとお説教2時間ぐらいされるんだわ。
「ちょっと、俺の存在は無視ですか?」
「あ、…無視してないわ」
「絶対忘れてたよね。まぁ、いいけどさ。で、俺が今回来たわけなんだけど…周りには聞かれたくない話なんだ」
「えぇ。とりあえず城の中に入りましょう」
「助かるよ」
王子が直々に来たということはそれだけ重要な話があるということだ。
そもそも来るって連絡もしてないわよね?
緊急事態なのかしら。
「お兄様を呼んだ方がいい?」
「ルークと王には後で俺から話す」
「そう。ウィルは?」
「ウィルくんは別に聞いてもいいよ。ただ、いい話ではないけど」
「姫、私も行きます」
「わかったわ」
落ちた本を拾って三人で城の中に入る。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
城の中にある一室。
侍女を部屋に入れなかったため、やろうとするウィルを断ってリリィ自ら紅茶を入れて渡す。
「それで、話は」
リリィがソファに座って静かに尋ねる。
「実はさ…家出したからしばらく泊めてね」
「‥は?」
ニコリと笑って言うロイ。
家出した‥?
「バカなじじいどもがウザくて。アホすぎる議案を通そうとしたから俺が逃亡して会議が出来ないようにしたんだよ。議会の全員の賛成がなければ通らないからね」
「‥それ。全然人払いする必要ないと思うのだけれど」
ちらりと隣のウィルも見ると何を言っているんだという視線で呆れつつ見ている。
何の話か緊張したのがバカみたいだわ。
けれど、今度はロイは真剣な表情になる。
「ただの家出。だけど、その無理矢理通そうとした内容が問題なんだよね。…人間と協力してヴァンパイアの上に立つ」
ガチャンッ。
リリィの持っていたカップが倒れる。
「姫、火傷は?!」
「してないわ。していてもすぐ治るもの」
どういうこと?ヴァンパイアの上に立つ?
そもそもどの種族もみな平等だ。優劣なんてつけられない。
「––––– 戦争が起こるかもしれない」
「なぜ…どうしてヴァンパイアの上に立つなんて」
「人狼、人間、ヴァンパイアは見た目はほぼ同じだ。しかし人間や人狼はヴァンパイアの奴隷にされていた過去がある。今でもヴァンパイアを恨んでいる奴はいるよ。さらにその寿命、力は他の種族が羨むのは無理もないからね」
「‥」
確かに何千年前、そういうことがあったのは事実だ。
だけどなぜ今になってヴァンパイアと戦い、上に立とうなど考えるのか。
「人間の王がこの間来たんだ。そして、協力を持ちかけて来た」
「人間の王…」
リリィはまだ見たことのない人物を頭の中で想像する。
人間の王は他種族の前には滅多に顔を見せないため、顔を知っているのはごく一部のみである。
「でも心配しないで。俺はそんなこと思ってないから。親父が、王が死にそうな今しかないとじじいどもはそれを通そうとしてるけど俺はいないし?そもそも民も戦争などしたくないに決まっている。だけど、人間の王は本気だった」