不機嫌ですが、クールな部長に溺愛されています

そんな私から視線を逸らさない耀は、なぜか優しく微笑む。つい先ほどの、小悪魔のような彼は影を潜めている。


「やっぱり、なっちゃんはいい女だね。言葉がキツいから誤解されやすいけど、心の奥はすごくあったかくて、素敵な人」


思ってもみない言葉を投げかけられ、私は目を丸くする。本性を知っている人からこんなふうに言われたのは初めてだ。

というかあなた、私に仕返ししようとしているのよね? 私のことを嫌っているはずなのに、どうしてそんなセリフが吐けるわけ?

矛盾している彼の言動に混乱し、私はこめかみに軽く手を添えて眉根を寄せる。


「あんたの思考回路はどうなってんのよ。私、そんないい人じゃないし──」


困惑を露わにして吐き捨てていたとき、耳にかかる髪がそっと掻き上げられ、口をつぐんだ。

彼の手による仕業だと気づくと同時に、温かく大きなそれが頬に当てられ、心臓がドキンと跳ねる。

驚いて目線を上げれば、男の色気を漂わせた瞳に射抜かれる。こんな耀は、もちろん見たことがない。


「自覚してないみたいだから、僕がきっちり教えてあげる。本当の君も魅力的で、愛されるべき女の子だってこと」
──糖度高めな指南の予感に、不覚にも胸がときめいてしまった。

私の中にそんな愛らしい部分が眠っているのか、自分でも定かではないのに耀にはわかるというのだろうか。

ほのめかされる甘い空気に、あわや飲み込まれそうになった直後、彼は再びいたずらっぽく口角を上げて言う。


「これが僕なりの仕返し。いつも素っ気ない君の顔が、赤く染まるところをたくさん見させてもらうから。今みたいに」


キスされるんじゃ、というくらい近くに綺麗な瞳を寄せて見つめられ、顔が熱いことに気づくと同時に我に返った。

私、なにされるがままになっているんだろう。恥ずかしすぎる。


「い、意味わかんないことばっかり言わないで」


不本意ながら赤くなっているらしい顔を背けて耀の胸を押し返し、壁と彼の間から脱出した。

今の言葉でなんとなくわかった。耀は私を困らせて楽しみたいだけなのだと。そんな悪趣味に乗せられてたまるか。


「仕返しだかなんだか知らないけど、あんたの思い通りにはならないからね!」


無意識に自分を抱きしめるように腕を掴み、耀をキッと睨みつけて精一杯吠えてみた。

しかし、当の本人にはまったく効いている様子はなく、真顔で顎に片手を当ててこんなことを言う。
「僕、おかしいのかな。強がるなっちゃんが可愛くしか見えない」

「眼科にでも行ってきなさい!」


耳まで熱くなるのを感じつつ即座にツッコみ、勢いに任せてミーティングルームからひとり飛び出した。そのまま早足で廊下を抜け、広がった熱を冷ます。

あの人、本当におかしくなっちゃったんじゃないの。仕返しの方法が明らかに変でしょ。いや、本性や過去をバラされたらそれはそれで困るが。

魅力的だとか、可愛いとか、秘書としてなら言われたことはある。でも、素の自分に対してはさっぱりだったから慣れていないのだ。

これまでにできた彼氏にさえ、そろそろいいかと思って本音をこぼし始めたら、それだけで引かれて破局してしまったくらいだから。

そういう意味では、確かに調子を狂わされるし屈辱的だし、仕返しは成功しているのかもしれない。けれど……。


「……甘すぎる」


階段を下りる歩調を緩め、ぽつりと独り言をこぼした。

私を見つめる瞳も、声も、触れた手も甘く感じてしまって、胸の奥がくすぐったくて仕方ない。嫌われているはずの相手に、こんな感覚を抱いてしまうなんて。

小悪魔なのか、王子様なのか。成長した彼の本性は、今の私にはまだ見分けられそうにない。



十月も終わりに近づき、いよいよ肌寒くなってきた。日が暮れるのも早くなり、午後五時半の今、すでに外は真っ暗だ。

今日は社長が早くお帰りになったので、私も残業せずこの時間に退社することができる。あれから耀には会っていないから、例の仕返しをされることもなく、心穏やかに過ごす日々だ。

耀に振り回されるのは御免だけれど、パッケージのほうはどうなっているのか早く拝見したいな。

そう思いながらAkaruがデザインしたお気に入りの手帳をめくって、明日の予定ややり残しがないかを確認したあと、トレンチコートを羽織って秘書課をあとにした。

そうして、今日も何事もなく終えるはずだったのに。

一階のロビーで、社員と向き合って話していた男性が腰を上げたのをなにげなく見やり、私はギクリとした。

あれは、耀……! こんな時間に打ち合わせに来ていたの!?

今日はスーツではなくカジュアルな服装をしているから、予定していた打ち合わせではないのかもしれない。

しかし、そんなことはどうでもいい。彼も荷物を持つところからして今終わったみたいだし、気づかれる前に早くここを出なければ!
ロビーのほうから顔を背け、そそくさとエントランスに向かう。そして自動ドアを通り抜けようとした、そのときだ。


「きゃっ!?」


ヒールの踵が溝に引っかかってしまい、よたよたと転びそうになりながら歩道に飛び出た。ヒールを置き去りにして。

片足だけストッキングでつんのめる滑稽な私に、道行く人が驚きと憐みの視線を向けてくる。

めっ、ちゃくちゃ恥ずかしい! 転ばないだけよかったけど!

地中深くに潜りたい気分で、急いでヒールを取ろうとしたとき、本社の中から耀が駆けてくるのが見えた。しまった、と思ってももう遅い。


「なっちゃん! 大丈夫?」

「だ、大丈夫……」


気づかれずに帰るどころか、こんなドジな場面を目撃されてしまうとは……と、一瞬屈辱を覚えたものの、守るようにしっかりと肩を抱かれてドキッとする。

私を支えてくれる彼は、溝に嵌ったままのヒールを一瞥し、クスッと笑って私の耳元に唇を寄せてきた。


「まだ十二時には早いですよ、シンデレラ」


甘い声が流れ込んできて、恥ずかしさとくすぐったさが全身に広がっていく。

いつものようになにか返さなくてはと思うのに、なぜか言葉が出てこない。
言い淀んでいるうちに、耀はヒールを取って戻ってきて、私にそれを持たせる。

次の瞬間、足が浮き、身体がふわりと持ち上げられた。なんと、いわゆるお姫様抱っこをされたのだ。しかも会社の目前で。


「ひゃぁ! ちょっと、耀!?」


私は目を白黒させ、反射的に靴を持っていないほうの手で彼の首にしがみついた。

耀はあろうことか社内に戻っていく。まだ社員がいるのだから、皆に見られてしまうではないか。

私を軽々と抱きかかえている彼に、足をジタバタさせて小声で必死に訴える。


「なにすんの、下ろして!」

「あれ、おしとやかな秘書さんでいなくていいの?」


さらりと痛いところを突かれ、うっと喉を詰まらせる私。そう言われると、確かにみっともない抵抗はできない……。

呆気なく黙らせられ、腕の中で縮こまるしかなくなる私を見下ろし、耀は“いい子だ”とでも言いたげなしたり顔で囁く。


「そう。おとなしく抱かれてて」


……いちいち色っぽい声を出さないでほしい。熱い顔がさらに火照って、彼に宣言された通りに真っ赤になってしまう。

仕方なくじっとしていると、ロビーのソファにようやく下ろされた。皆の好奇の視線をひしひしと感じて、顔を上げられない。
しかし、耀は周りの人たちなどお構いなしに、私の前に跪く。驚いて目を丸くしたのもつかの間、片足を軽く持ち上げられ、脱げてしまったヒールを履かされた。

その姿は、まさに王子様さながら。こんなふうにされたら、否応なく胸がときめく。

さっきから脈拍はおかしいし、体温調節もうまくできない。本当にシンデレラにでもなったつもりなんだろうか。キモいよ、私。

乙女な自分には慣れていないから、ものすごくむず痒くて俯いていると、耀が私の顔を覗き込んでいたずらっぽく口角を上げる。


「どう? お姫様になった気分は」


私の心が見透かされているようでいたたまれず、目を逸らして口を尖らせる。


「……最悪」

「素直じゃないんだから」


つい無愛想な言葉を吐いてしまったが、彼はそれが本心ではないとわかっているらしく、余裕の笑みを浮かべて立ち上がった。

耀と一緒にいると、つんけんしている自分がとても大人げなく感じる。今の彼の行動は仕返しの一部だとしても、助けてくれたことには違いないのだし……。


「でも、ありがとう」


やっぱりお礼くらいは言っておこうと思い、きちんと伝えた。

それが意外だったのか、耀は目を丸くする。しかしすぐに口元をほころばせ、「前言撤回する」と言った。
そして、私に手の平を差し出してくる。


「一緒に帰ろう。エスコートしますよ。また靴を落とさなくていいように」


もう、冗談でもお姫様扱いはしないでほしいのに……無駄に胸が鳴いてしまうから。

憎らしいほどの王子様スマイルを向ける彼に戸惑いの視線を送るも、皆が見ている今この手を振り払うこともできない。

結局従うしかなく、私はそろそろと自分の手を彼のそれに乗せた。


手を繋がれて本社を出ると、ようやくいたたまれない視線から逃れることができ、大きなため息を吐き出した。


「はぁ、明日が怖いわ……女性社員の餌食にされそう」

「なっちゃんなら、いざとなれば口から毒を盛れるから平気じゃないの」


無邪気な笑顔であっけらかんと言う耀を、据わった目でじろりと睨む。

あながち間違いじゃないけど失礼な。さっきまでの王子様対応は、やっぱり皆の前で私を困らせたかったからに違いない。

彼は不満げな私など気にせず、「電車?」と問いかけてくる。とりあえず頷くと、「僕も同じ」と言って駅方面へと歩き出す。手は繋いだままだ。
「ねぇ、いつまでこうしてるつもり?」

「別れるまで。なっちゃん手冷たいし」


耀は繋いだ私の手を自分の口元に近づけ、はーっと温かい息を吹きかけた。

その仕草に幾度となくドキッとしつつ、自然にこんなことができる男がいるとは、と妙に感心すらしてしまう。

「女の子かっ」とツッコみ、手を離そうとするも、強くギュッと握られて阻止される。少々おかしな攻防戦を繰り広げた結果、敵わないようなので諦め、力を抜いた。

なんでこんなカップルみたいなことをしているんだろうか……。真面目に考えるとよくわからなくなってくるので、とにかく早く帰りたい一心で問いかける。


「耀の家の最寄り駅は?」

「天王町。最近引っ越したんだ」

「げっ、同じじゃない……」

「ほんと? じゃあしばらくこうしていられるな」


嬉しそうに微笑む耀は、まさかの事実に顔をしかめる私に、「あからさまに嫌そうな顔しない」とたしなめた。

それから、案の定ずっとくっついていることになって参ってしまった。ただ、混雑する電車内で私を壁側に立たせ、守るように身体で囲っていてくれたのは乙女心をくすぐられる。