――ドオォォォン!!




それは、初雪の降った、ある冬の日に起こった。




「きゃあ!?」

「なに!?」

「爆発!?」

「み、皆様、落ち着いて……」

「いやあああ!!」

「助けて……!!」




突然だった。


日本を出発して10時間が経とうとしていたとき、得体の知れない爆発に、飛行機が揺らぎ傾いた。

いちだんと冷え込む深夜の密室。あわてふためく100人の乗客と、10人の乗務員。

酸素マスクが下りてきたことにも気づかず、悲鳴と絶叫がひしめき合い、さらに機内は壊れていく。



怒号。

慟哭。

絶望。



作動しない安全装置。照明が点滅し、次いでアナウンスが消え、電気までもが爆発を起こす。

重力に負けた鉄の塊は、無抵抗のまま沈んでいく。黒煙を吹かせながらだんだんと速度は上がり、炎は燃え広がっていく。




「大丈夫。大丈夫……」

「私たちが守るから」




窓際のとある席では、救命胴衣をしっかりと身につけた若夫婦が、真ん中の席に座る幼い我が子を抱きしめながら、内臓ごと持っていかれるような浮遊感に耐え忍んでいた。


純日本人の愛らしい顔立ちをした黒髪の男と、ヨーロッパ系の彫りの深い顔立ちをしたブロンドヘアの女。

そのふたりの間に産まれた、ブロンドヘアにくりくりの黒い瞳を持った子どもは、明日、7歳の誕生日を迎える。

誕生日祝いをかねて、女の故郷であるスペインで1週間のバカンスを過ごす──予定だった。



男と女は、我が子を見つめた。

阿鼻叫喚の現実をよそに、子どもはひとり、夢の世界を旅行している。寝顔は天使のように甘く、まちがいなくここにいる誰よりも幸せそうだった。

ふわふわと柔らかい髪の毛は、気づけば肩ほどまで伸びていた。女はそれをやさしくとかしてやる。震える指に触れる髪から、自分と同じ匂いがして、たまらず涙がこぼれた。

男は女の肩を抱きながら、子の頭を包み込むように腕を回した。かすかに感じる心音。涙腺はとうに崩壊していた。



ふたりの左の薬指には、永遠の愛の証。光をなくした機内でもまばゆくきらめていた。

まるで夜闇に咲く一等星。

けれどわかっている、きっと、太陽の光に敵うことはないのだろう。


男と女は一度視線を絡めた。酸素マスクを外し、涙で濡れた唇を重ねる。お互いの残りわずかな希望を、お互いに捧げ合うように、何度も何度も熱いキスをした。

意識が遠くなっていく。

血の気が引いていくふたりは、それでも無理をして笑顔をつくり、いまだに眠る我が子にもキスを贈った。




「おはよう、誕生日おめでとう」

「ずっと、大好きよ」




明日伝えるはずだった言葉は、届かないのだろう。ならばせめて、どうか明日も、いい夢が見れますように。


そんな願いを込めて、落ちていく。

堕ちていく。




やがて、世界に無音が訪れた。






『――速報です。

スペイン行きのXX940便の飛行機で爆発が起こったとの情報が入りました。爆発の原因は不明。インド洋方面に下降し、墜落したと見られています。

現在、救助隊が捜索していますが、生存者はいまだ確認できておりません。続報が届き次第、お伝えします。

繰り返します。先ほど、スペイン行きの――』






偉大なる大海に、荒波が立つ。


大人の半分にも満たない小さな体が、人気どころか生物の気配ひとつ感じないどこかの岸辺に打ち上げられていた。


暁色の空の下、黄金に透けたきれいな髪に、少し鈍い赤色がしみている。

頭に駆け抜ける激痛で、その子どもは意識を覚ました。しかし、思うように息ができない。変な匂いもする。

起き上がろうとするも、足があさっての方向を向いていて立つこともままならない。痛みが強くなるばかりだった。




(ここはどこ? パパとママは?)




泣きたいし叫びたくて仕方がないのに、痛覚がそれを許してくれない。煙たい空気が声をも奪っていく。限界は近かった。



そんなとき。


ジャリ……。


不意に、足音が聞こえた。



おぼろげの視界の中、男物の黒いブーツが入り込む。

顔を上げたくても上げられない。なぜだろう、怖くて仕方がなかった。

震え上がる恐怖心に追い討ちをかけるがごとく、目の前にいるであろう謎の男は舌打ちをし、重々しくため息を吐いた。




「……ガキが生き残ってんじゃねえか」




聞こえてきたのは、日本語。




(……あ、そうか。ゆめだ。これ、ゆめなんだ)




ブロンドヘアの子どもは、思った。


だって、ここはスペインのはずだ。知らない現地の人が日本語をしゃべるわけがない。

だから夢だ。絶対。悪い夢なんだ。

次に目を覚ましたら、パパとママがいて、スペインにもう着いてるよと教えてくれる。悪い夢を見たと抱きつけば、もう7歳でしょう? と言いながらも頭を撫でてキスをしてくれる。そうだ。誕生日プレゼントもくれるはずなんだ。だから……。


ガラス玉のような黒い瞳から、涙があふれた。頬を伝っていくにつれ、黒く、赤く、汚れていく。

目を閉じれば、いともたやすくまた意識を手放せた。



おはよう、大好き──そんないとしくてあたたかな声がどこからか降ってきたような気がして、すべての苦痛を忘れられた。







「──……まあいいか。生きてみろよ、クソガキ」








あなたになら殺されてもいい。








地元で一番栄えている繁華街から、道をそれた先にある、外れの町。

とたんに閑散としたそこに、まるで町の象徴だったかのようにたたずむ大きな洋館が、心許ない月明かりに照らされていた。




「ここか……」




その洋館の前で、少年、成瀬 円(ナルセ エン)は足を止めた。

手に持っている、簡易的な手書きの地図と照らし合わせ、やっぱりここだと確信する。してすぐに、本当にここなのか、どうしようもない不安がよぎった。



周囲の荒地に忘れ去られたボロボロの空き家を4棟足してもあまりある、洋館の膨大な敷地は、例に漏れず廃れた雰囲気をまとっている。


腐った跡のあるツタと黒煙の汚れに覆われた屋根と壁。

泥でまみれたタイヤ跡であふれ返った玄関前。

錆びついた窓と、閉め切ったカーテンによって内側から光の漏れない陰鬱としたオーラ。


そんな不清潔な外観に反して、玄関の扉や窓枠などところどころに施された黄金の装飾は、どれも手入れが行き届いていて光沢がある。

空気はとても澄んでいて、異臭がしないどころか、庭園に咲き誇る深紅の薔薇の香りで満ちている。



だから、よけいに怖い。


何かある。

ここには何かがある。



成瀬はしばらく立ち尽くしていた。得も言われぬ恐怖に、らしくもなく足がすくんで動けなかった。

街から追い出されたようなこんなへんぴな場所に、人が住んでいるとは思えない。幽霊の住処だと言われれば、納得できてしまいそうだった。

逃げてしまおうか。元より来たくて来たわけじゃない。仕方なくこの地図のとおりに来ただけだ。こんなところに用はない。やめてしまえばいい。何もかも。



けれど、わかっている。

ここまで来てしまえば、もう、逃げられない。



彼は、知っている。


ここに何があるのか。

その正体を。



彼だけではない。この街に住む者ならば、誰もが一度は耳にしたことはあるだろう。知っていたらふつうは近づかない。

ガキ大将の度胸試しも、ミーハーなLJKのお遊びも、会社員の嘲笑う肴も、老人の確証のない否定も、その噂には何も効かず、ひれ伏すほかない。それほど有名で、異質で、怪しい噂。

絶対的な、暗黙の了解。





――あの館は、“神雷(ジンライ)”のもの。立ち入ったら最後……。







遡ること、8時間前。





『──アクションッ!』




都内某所のスタジオ。

カメラ、照明、音声、多くの機材とそれ以上のスタッフに囲まれながら、青い袴を羽織った少年、成瀬は精密に作られた模造刀を振りかざした。



『俺の名は、土方(ヒジカタ) トシヤ。土方 歳三(トシゾウ)の弟だ!』




『……カット!』



カチン、と音が響いたのを皮切りに、スタジオ内は忙しなく動き始める。



新年一発目に放送を予定している月9ドラマ。

【純真な刃】

新選組壊滅後、タイムスリップしてきた男子高校生・トシヤが、土方歳三の弟と騙り新たな新選組を立ち上げ、戦い抜いていく物語。


その撮影が、今日ついに始まった。


12月の寒さをもろともしない荒い息遣いが立ち込めるなか、主役のトシヤを演じる成瀬はひとり、熱をあげることなく、持っていた刀をすぐさまスタッフに放り投げた。

呼びかけるスタッフの声も聞かずに黙って歩いていく。大きなカメラの、その隣、男性特有の肩幅ががっちりした背中の元へ。

ひときわ広く感じるその背中が、今、振り返ろうとしていた。




『円! ちょっとこっちに……』

『もういます』




振り返るより先に、成瀬は横に並び立つ。


成瀬よりも頭ひとつ分大きな男は、名を風都 誠一郎(カザト セイイチロウ)といい、この現場を取り仕切っている。背丈だけでなく権力も一番でかい人間だ。

これまで映画を専門に携わり、数々の賞を総なめにしてきた名監督であり、齢40にして早くも映画作りで右に出る者はいないとまで噂されている。


そんな彼が初めてドラマに挑戦するということで、放送前からすでに話題を呼び、期待値が日々更新されている。

それでこの熱気だ。

あの風都監督と一緒にやれる。最高の作品をつくってやる。がんばりたい。今にも湯気がわきそうなほどやる気に満ちあふれ、現場の士気は自然と上がり続けていた。


ただひとり、主演を除いて。




『なに、監督』

『よく呼ばれるってわかったな』

『本読みのときもリハのときも呼んでたじゃないですか』

『なら呼ばれる理由も自覚してるってことか』

『……はあ』




肯定ともとれるため息に、風都はやれやれと肩をすくめ、カメラ横に設置されたモニターに手を置いた。

モニター画面に、撮りたてほやほやの先ほどのシーンが流れる。昼休憩をはさみ、ヘアメイクやセットの手直しを完璧に仕上げてからの撮影だったからか、1分も経たずに終わるにしてはもったいない華やかさがあった。


太陽の下を生きているとは思えない透き通った白い肌を、戦闘中の汚れをイメージしてわざとすすけさせてもなお、美しさを損なわない浮世離れした顔立ち。

銀の光のすべる刀を振った瞬間、あでやかになびく衣装と、ドラマのために肩に触れるほど伸ばし、黒く染めた髪の毛。

なんてことのない立ち姿さえ、戦国時代の舞台セットも相まって、凡人には出し得ない圧倒的な存在感を放っていた。