神社へ着くと、咲子はたくさんのお手伝いさん達に囲まれて奥の社務所と言われる建物に消えて行った。

映司は咲子を見送ると、少しだけ余裕ができたその時間を使って、神谷盛神社を散策する事にした。
今日は五月五日の端午の節句で、午前中はたくさんの男の子達が参拝に来ていた。

でも、午後からは、七条家がこの神谷盛神社を貸し切っている。
いや、神社に貸切るという言葉は使わないのかもしれないが、とにかく子供たちの参拝は午前に限定されていた。

映司はそんな光景を見ながら、子供の頃を思い出す。
映司は、15歳まではイタリアの母の元で育った。
両親は、あの頃には珍しく、別の国でそれぞれで暮らすという新しいスタイルを確立して、バカンスのたびにお互いの国を行き来する自由な結婚生活をしていた。

映司は15歳までに、両親の母国語と英語を完璧にマスターした。
子供の頃は日本に行く事がいつも楽しみだった。
日本に行けば父親が映司に日本らしさを教えてくれる。