秘匿されし聖女が、邪に牙を剥ける時〜神殿を追放された聖女は、乙女ゲームの横行を許さない


「自覚はないかもしれませんが、今回の功労者は貴女です、ラヴィ。よくぞ【秘匿されし聖女】の務めを果たしてくれました。……母と同じく」

「母って……お母様ですか?私の?」

「ええ、そうですよ。貴女の母、プリムラも実は貴女と同じく【秘匿されし聖女】でした」

「お母様が……!」

突如明かされた真実に、言葉を失った。

というか、母と自分が同じ立場であるという偶然に、ただ驚いただけだが。

しかし、亡きお母様も【秘匿されし聖女】……?!



「貴女の母・プリムラは【時戻り】の聖女でした。……27年前、二人が婚姻前の学生時代の話です。【邪気】に支配された隣国の間者が王宮内に巧妙に忍び込み、当時の王妃陛下を殺害するという。その時の【邪気】が原因で、たくさんの貴族が命を奪われるいう惨い事件があり、国が一時混乱するという歴史があったのです」

「えっ?そんな事件が?で、でも王太后様は生きて……?」

「ええ、生きてますし、歴史上、そんな事件は語り継がれてはいません。それはプリムラが時を戻したからです。殺害事件も巻き戻され、王妃陛下が殺害される前に間者を確保しました。貴方の父・セドリックや現ルビネスタ公爵とその夫人、当時は隣国の公爵令嬢で留学に来ていたサルビア嬢と奔走したのですよ?……プリムラは【秘匿されし聖女】として、王族を救ったのです」


「そんな話が!」

そのような話は、聞いたことがない。

お母様が、お父様や公爵様らと王族や国を救った?なんてカッコいいのだろう!……落ち着いたら公爵様にぜひお聞きしなければ。



ーー続きを聞きたいのは山々だけれども、興味深い昔の思い出話のその前に。

まずは、やらねばならないことがある。



(……全ては、明日)



この、事件の終焉を見届ける。

今一度、自分自身に確認し発破をかけていた。

ーーその時だった。





「ーーねぇ、【秘匿されし聖女】って何?」



(……はっ!)



その鈴を転がしたような高い声に、全身の毛という毛が逆立つかの如く、虫が這うような感触の寒気が走った。

儀式の間には、私と大聖女様しかいないはず。

なのに、第三者の声が聞こえてくるなんて、おかしい話だ。



「……ラヴィ!」



振り向いて、その姿を視界に入れると同時に、大聖女様に身体を抱き込まれて庇われる。

だが……いるはずのない人の、あり得ない登場に全身だけではなく、思考も固まりそうになった。

そこには、何故かいたのだ。

ピンクブロンドの髪を靡かせた、豊満な肢体を持つ、妖艶で美しい彼女が。



(……ローズマリー令嬢!)

何?何故?何で?

何故、彼女ーーローズマリー令嬢が、この神殿の儀式の間にいるの?

私らが中から扉を開けるまで、誰も中に入ってこれないはずなのに、どうやって入って……入り口に待機していた姐さまや、ファビオらは?!

いるはずのない人物がいることに、何故こんなことになっているのかもわからない。混乱が混乱を呼ぶ。



狼狽える私と、そんな私を護るように腕の中に収め、目の前に突然出現した彼女を睨みつける。大聖女様。

そんな私らを見て、ローズマリー令嬢は「うふふ」と笑う。

彼女の背後には、あの赤い星ーー赤いてんとう虫が大量発生したかのように、辺りを埋め尽くして飛び交う。

これは……彼女の【邪気】。



「……ねぇ、もう一度聞いてもいい?」



ローズマリー令嬢はそう言って、大量の赤いてんとう虫を侍らせながら、一歩ずつ、私たちに近付いてくる。

幾多の男性を虜にした、あの無邪気な笑みを浮かべながら。




「【秘匿されし聖女】って、何?」







○○○






意識はいつも、ふわふわと心地よい綿毛の中にいるような気分でーー。



『アル、貴方はお兄さんになる必要はないの。比べることはない、貴方は貴方なんだから』



ーー耳障りの良い言葉を、君はくれる。

優秀な兄と、この変に美麗な見目に劣等感を抱いていた自分を肯定した言葉をくれるのだ。



『私は、そのままのアルの方が好きよ?』



薔薇のような甘い甘い香りに包まれると、心地良くて。



『……アルのこと、大好きよ?』

『……愛してるわ?』



君を……何度も、何度も欲するのだ。

笑顔、言葉、香り、そして……肌の温もり。

何度も何度も求めては、その心地良さに浸る。



どうしてこんなに愛おしいんだ。ずっと、ずっと傍にいたくなる。

ローズ、愛してるよ。君は俺の女神だ。



『時間は戻らない、儚いものです』



君を、愛して……。



『起こってしまったことを悔やむのか、これからを見据えて励むのか。どちらがいいか』



……いや、違う?


『アル、貴方はそのままで十分素敵なんだから』

『……ならば、前を向いて今の自分に出来ることをした方が良いのでは?って』

愛してる?違う?愛してる?……違う?



『悔やみ続ける毎日より、自分の出来ることを考えて励む毎日の方が良いに決まってます!』



……そうだ。

俺ーーアルフォード・ルビネスタに必要だったのは、劣等感に塗れた自分を肯定する言葉ではなく、そんな自分を鼓舞する言葉だったんだ。

居心地の良い、甘い薔薇の香りがする人の傍ではなく。

辛いことがあっても、背筋を伸ばしてひたすら前を向いている。

ラベンダーのような爽やかな香りがする人の、隣……。



『ラベンダー畑で、待っていて下さいね……』







(……はっ!)



理由のない激しい焦燥に駆られて、ハッと目が覚めたそこは、自室の寝床の中という見慣れた風景だった。

だが、何故ここで寝ているのか。重い頭と汗まみれになっているこの状況がわからず、混乱する。

(何が……)

記憶が曖昧で、ごちゃごちゃとしていて。

……でも、何があったか覚えていないわけではなくて。

(夜会に、ローズが……でも)

でも、そこで自分は何をどうしたのか?

何を、したのか……。今も、今までも。





「やっと起きたか、このヤロー」



乱暴にドアが開いたと思ったら、実父が現れてズカズカとこっちにやってくる。

眉間にシワを寄せて、とても不機嫌そうに。

脳内の混乱の最中、その姿を茫然と見つめるしかしなかった。

ベッドサイドで立ち止まる父は、見下ろして様子を窺う。



「気分はどうだ?」

「……」

「何が起こったか、自分はどうしたかわかるか?ってんだ」 

「……」

何をどう、答えれば。

だが、そう迷ってる間にも、父は息を吸っては怒号と共に吐き出した。

「夜会に脳内お花畑ピンク頭女が乗り込んできて、おまえも一緒になってイチャイチャしていて、バルコニーでキスして、調子に乗って休憩室に行こうとしたのを、覚えてるかってんだ!」

「……」

「何?無抵抗か?……うーん。あの侯爵令嬢を『脳内お花畑ピンク頭女』と罵って、おまえが逆ギレしなくなったということは、【魅了】は解けたということか?王都から連れ戻した当時、同じことを言ったら『ローズを悪く言うなぁぁ!』って、怒ってたもんな?……何だ。ようやく目が覚めたか」


「……」

それは、そういうことなのか……。

でも、『ようやく目が覚めた』その言葉がとても腑に落ちるぐらい、久々に意識がすっきりとしているのは否めない。

今までは意識に薄い膜が張られていたような感覚で、それが綺麗さっぱり無くなったのだ。何だか、清々しくはある。

の、だが……。



(魅了……)



頭の中は、清々しいとは言えないぐらいの大混惑だ。

自分が【魅了】?

父の言う【魅了】があったとして、それはいつ?いつから毒されていた?

いったい誰が、何のために?

こちらとしては、意識が操られていたにも関わらず、記憶はしっかりと残っているのだ。

自分が王都の学園にいた際、何をしていたのか、何を思っていたのかーーどんな罪深き所業に出ていたのか。

乱心していたと言わざるを得ない程の所業。

だが、あの時はそれが正しいと信じて疑わなかった。

……今は、何故あのようなことをしたのか、理解に苦しむ。



しかし、そこで。数ヶ月前のことははっきり覚えていても、近々の記憶が途切れていることに気付いた。

(……あれ?)

そして、率直な疑問も生じる。


「……父上、【魅了】が解けたと仰いましたよね」

「ああ」

「その、【魅了】は何故解けたのですか」



……ローズが夜会に現れたのは、覚えている。

ローズに触れられた途端、制御の出来ない激情が溢れ出し、共に寄り添っていたことも。

学園にいた、あの時のように。

父の言った通り、バルコニーにもいたし休憩室にも入ろうとした。

……だが、そこからの記憶がない。



俺の質問を耳にして、父は大きくため息をついた。

そして、口にしたこととは……予想もつかなかったことであった。



「ラヴィだよ」

「……えっ」

「ラヴィがおまえに掛けられた【魅了】を解いた。……いや、おまえだけじゃない。王太子やおまえの学友たちの【魅了】も。全部、ラヴィだ」

「ラヴィが、どうして……?」



ーーそうして、父の口から全ての経緯か明かされる。

学園にいた時の自分の行動は、どう見ても病的で【魅了】への疑惑が拭えなかったこと。

だが、自分が領地に強制連行され、父やガーネット公爵が動きだそうとしたその矢先、予想だにしない事が起こった。

突然、王太子殿下が正気に戻ったのだ。

その現場と状況、とは。【魅了】の衝動で王太子……エリシオンが、婚約者のアゼリアに婚約破棄を突き付けるという名目の茶会で、アゼリアと懇意にしている神殿の聖女見習いたちが押しかけてきた。

その中にいたのがラヴィで、エリシオンは彼女に触れられた途端、何故か急に正気に戻った。

ローズを自分の妃にすると豪語していた、あれだけ過激だった恋情も綺麗さっぱりと無くして。

その現場を間近で目撃し、状況を瞬時に悟って判断したのがアゼリアで、『ラヴィが触れると【魅了】が解ける』という推測論のもと、同じく【魅了】に囚われていた学友らを忌まわしき呪いから解放していったという。アゼリアの行動力が功を奏した、一連の騒動。

……俺が、領地に軟禁されている間に、王都ではそんな出来事が起こっていたなんて。



そして、何故ラヴィがこのルビネスタ公爵領に来ることになったのか。その経緯も明かされ、想像を遥かに超えた展開にただ驚くしかなかった。

「神殿で毒殺騒ぎ?!……何故、そのような!」

聖女らの安寧を護る、神殿の強固な警備を潜り抜けて、毒殺騒動が起こるなど前代未聞のことだ。

狙われたのは聖女見習いの6名だが……エリシオンの【魅了】を解いたと思われる誰かーーラヴィを狙っての犯行だった。