思い慕う人の寝顔を見ながら、心の中で問いかける。少し触れていた手は、いつの間にか両手でアルフォード様の手を包み込むように強く握ってしまっていた。
多大なる決心のため、感情の昂ぶりを抑えずにはいられない。
(アルフォード様……)
……私、絶対公爵領に、あなたのところに戻ってきます。
母の思い出、あなたと過ごしたラベンダー畑に必ず戻ってきます。
だから、アルフォード様もーー二人で前を向いた、あのラベンダー畑で。待っていてもらえますか?
一方的に問いかけ、願うことで自分に発破をかけていたのかもしれない。
このような弱っている状態のアルフォード様を置いていくなんて、お傍にいられないなんて、本当は嫌だ。
……でも、私は行かねばならないのだ。
グッと堪えて、その手をそっと離した。
踵を返し、彼を背にして私は前に進む。
全ては、精霊王様の思し召し。
だからもう、逃げることはしない。
○○○
「じゃあ、道中は気をつけていけよ?俺もすぐに後を追うからな?」
「はい」
「護衛は心配ない。……あ、あと野宿はするな。ミモザにたんまりと路銀持たせてるからな?な?」
「はい」
「あと……あ、ああ、馬車酔いしたらすぐに馬車を停めてもらえ?」
「……はい」
「公爵様、どうでもいい部分でうるさくね?」
「ばっ!このファビオ!ラヴィの体調が第一だぞ!おまえも無茶な旅程立てるなよ!」
「はいはーい」
そうして、出立の時。
王都に向かうことになった私たちは、ルビネスタ公爵夫妻の見送りのもと、邸の裏口に停められた馬車に乗り込んでいた。
ファビオと……何故か、ミモザさんと。
サルビア様が、お供にミモザさんを連れて行けと私に命じたのだ。
そんな、王都への長い道のりを侍女とはいえ、子爵令嬢のミモザさんを付き合わせるわけには……。
そう遠慮したところ、「道のりは長いからこそ、侍女は必要でしょう」とサルビア様に諭された。
私、そこらの貴族令嬢とは違って、自分で身支度できますよ?化粧してドレス着るわけじゃないのに……。
だが、余計なことは言わずに厚意は受け取っておく。
そんなこんなで、ファビオと私、ミモザさんに御者さん二人との王都への旅が始まる。
馬車が出立しても、公爵様らは私らの姿が見えなくなるまでずっと見送ってくれていた。
あれよこれよと、王都行きが決まり即出立することになってしまった。
これも、公爵様が私に王都行きを命じた……勧めたから、ではあるのだけど。
(……)
揺られる馬車の中で、向かいに座るファビオを一瞥する。
元はと言えば、私の王都行きは彼ーーファビオが言い出したことだ。
全然大丈夫じゃないとか、ローズマリー令嬢に存在を認識されてしまったとか、私を王都に連れ戻し警護を強化するとか。天下の公爵様に面と向かってはっきり話をするなんて。
それに、王都でのローズマリー令嬢と王太子様らの件も詳しく知っている様子。
公爵邸に属するただの庭師見習いの少年、だと思っていたのに。どうも様子が違うようだ。
ファビオ。……あなたはいったい何者?
「ファビオ、貴方はいったい何者ですか」
私の疑問を代弁して問いただしたのは、隣に座るミモザさんだった。
心にふと思ったこのタイミングで本人に問う?……心の内を見透かされたと思って、内心ビックリだ。
問い詰められたファビオは、というと。
「え?俺?俺は何者かって?……しがない庭師見習いですよん?」
そう言って、懐から剪定バサミを取り出し、いつものふざけた感じでニッと笑いながら、シャキシャキシャキと小刻みに動かす。
そんなファビオを見て「チョキチョキしなくて結構です」と、ミモザさんは冷静に一言返していた。
「ただの庭師見習いが、社交界での旬の話題の詳細を知るはずがないでしょう。しかも、随分深いところまでご存知じゃないですか」
「えー。そう?だいぶ有名な話だぞ?トルコ風呂令嬢のハーレム事件は」
「王都住まいでもないのに、平民が知る話ではないですよ」
「大衆紙にもこの話、載ってるぜ?」
「……誰の遣いですか?公爵邸に身を置いた理由は?」
淡々とファビオを問い詰めるミモザさん。
ファビオは依然、ふざけた態度なのだが。
「まあー。俺の正体、こんなもの持ってる感じ?」
チャリンと金属の擦れる音がする。
ファビオが首にぶら下げていたペンダントのチェーンを引いて、服の中に隠れていたプレート状のペンダントトップを私たちに見せた。
……それを見て、ミモザさんと共に驚愕したのは言うまでもない。
「こ、これは……!」
ペンダントのプレートには、アゼリアの絵が刻まれている。紫色のガーネットの宝石もあしらわれていた。
……これは、婚姻の際に新しくした王太子様の紋章だ。
「貴方の主は、王太子殿下でしたか」
「うーん、ちょっと違う。本来の主の命で、今はこの御方の下に着いている。レンタルされてんの、俺ー!」
「れんたる?」
「駆り出されてるってことよ!」
そう言って、ガハガハと笑うファビオ。
笑い事じゃないですよ?
ペンダントプレートを持っているということは、側近同等の近しい存在であるということ……!
ファビオは、王太子様の側近に近い存在なのだ。
「平民の貴方がそれを持ってるということは、影ということですか」
ミモザさんの突き付ける一言に、私はゾッとした。
影、すなわち暗部。
ファビオが暗部の者……!
「まあまあ、そんな大それたモノではありませんよー?……って、そっちこそ何者だい?鉄仮面のミモザ。こんな危険な道中に着いてくる。まさか、ただの侍女じゃないよねー?」
「えっ!」
思わず声をあげて、ミモザさんの方を見てしまった。
当の本人は、感情が表に出ることはなく、淡々としているが。鉄仮面、なるほど。
すると、ミモザさんは口を開く。
「……私の生家、コランダム子爵家は、表向きはルビネスタ公爵領と隣り合わせの領地を持つ北部の一貴族ですが……実は、代々ルビネスタ公爵家に仕える暗部の家系です。もちろん、私も公爵閣下、夫人、公子様に仕える身の者です」
ミモザさんも……暗部の人!
これは、えらいことだ。
私の向かいに座る庭師見習いも、隣に座る侍女も、実は暗部の者。
暗部の方々に囲まれている……!
「ちなみに、馬番のポンセも御者のマクラも、執事のバモスさんもみんなみんな暗部の人?」
「というか、貴方が共に過ごした庭師らも含めて、公爵邸の使用人の三分のニは皆、暗部の者です」
「やっぱり?道理で過ごしやすかったわけだ。みんな同業だから」
……なんですって!
今、この馬車を動かしているポンセさんもその隣に座っているマクラさんも、執事のバモスさんも……公爵邸で優しくしてくれた皆さん、ほとんど暗部の方?!
なんということでしょう。全然わからなかった。
ただ、ただ驚愕でしかない。言葉がない。
と、なると。この王都に向かう御一行は、私以外は全員暗部所属の者である。暗部御一行だ。とんでもない事態だ。
あわわと狼狽えてしまう。
「……で?ラヴィは何者?」
「へ?」
突然、何なのか。私にその話、振ってくる?何ですか、その流れ。おまえはいったい何者だ!なんて?
ファビオはニヤニヤの表情そのまま私に向けていた。
今までの経過からすると、知ってるはずなのに。なんとも性格が悪い。
……私?何もないよ!そんな暗部とか大それた正体など……。
「私は……七年、聖女見習いとして王都の神殿にいました。……冤罪をかけられ神殿を追い出されてしまい、亡き両親の友人であるルビネスタ公爵様の元にやってきたんですけど」
なんだかんだ言いながらも、つられて暴露してしまいましたが。
だが、ふーんと聞き流されると思いきや。意外な反応を示したのが、隣に座る侍女兼暗部の御方であり。
「冤罪?追放?ラヴィ様っ、そのような辛い目に遭っていたなんて……!あぁ、おいたわしい……」
口元を覆い、信じられないと言わんばかりに首を横に振ったのは、ファビオ曰く鉄仮面のミモザさんだった。
え。どして、そこで感情出ちゃうの。
私、そこまでおいたわしいこと言っただろうか。
「いや、でも、それは間違いだったというか、相手を欺くための一芝居だったようで、私もそこは理解しましたし……」
「いえ!間違いだろうが一芝居だろうが、ほんのひとときでもラヴィ様を辛い目に遭わせた大神殿、何様のつもりですか!公爵邸の使用人一同、許しませんよ、そんなの!」
「え……」
何故。
……だが、爆弾発言を耳に入れてしまうのは、間もなく。
首を傾げていると、ファビオが「わはは」と笑っている。
「ミモザ怒ってるぅー。ラヴィが不当な扱い受けたこと、そんなに許せんかね」
「許せませんよ!未来のルビネスタ公爵夫人に、なんてことを!」
「え。ええっ!未来の公爵夫人……誰が?!」
あまりにも予想してない衝撃の話だったため、思わず立ち上がりそうになった。
ですが、馬車の中。身を乗り出す程度となる。
だが、慌て狼狽える私に、当のミモザさんは悪びれなくツラッと答えてくれてしまった。
「それはもう、ラヴィ様が」
「ちょ、ちょちょちょちょ、なんでー!」
貴族令嬢らしかぬ返答の仕方だ。思わず神殿で過ごす私の喋り方が出てしまった。
なんで私が未来の公爵夫人っ?!
未来の公爵夫人、ということは……未来の公爵閣下はアルフォード様で、その夫人?
私が、アルフォード様のつ、妻っ?!
(それは……!)
「ラヴィ様が公爵邸に来た経緯を知らず……使用人の間では専らの噂です。閣下が、醜聞まみれの公子様の嫁候補を探して邸に連れてきたのでは、と」
「なっ……」
「王都でやらかした公子様に、お嫁に来て下さる方が見つかって本当によかったと、使用人一同は安堵しておりました。貴族令嬢特有の傲慢さもない、素直でよく働く御方ですし」
「ななっ……」
「奥様から直接教育を受けていらしたので、そう確信していたのですが。奥様もラヴィ様のデビュタント、張り切ってましたし」
「ななななっ……!」
盛大なる勘違いですよ、それ!