その刃を振り上げた瞬間、あちこちから悲鳴や叫び声が飛び交った。
『きゃあぁぁっ!アゼリア様ぁぁっ!』
『騎士様、お許しください、騎士様っ!』
アゼリア様の傍にいた見習い仲間たちは、斬られる恐怖で泣き叫びながら、アゼリア様にしがみついていた。
それを庇うように、仲間の子を腕に抱き留めるアゼリア様。刃を向けられても凛として、怯える素振りすら見せずにいた。
成り行きを黙って見守っていた観衆もまずいと思ったのか、辺りは騒々しくバタバタと動き出す。
アルフォード様の翳した刃は振り下ろされることはなかった。
この異常な事態を察して、誰かが呼んできたのか、現れた警備兵らによって、アルフォード様はあっという間に取り押さえられたのだった。
武器を取り上げられ、複数人に取り押さえられたアルフォード様はそれでも抵抗し、獣のように、吠えていた。
公子ともあろう者が、婦女に対して剣を抜く。
そんなとんでもない事件が起こり、学園内は騒然とした。もちろん、学園祭などこの時点で中止だ。
私は……ひとつひとつの出来事があまりにも衝撃的で、ショックで。その場に立ち尽くし、その光景を茫然と見ているしか出来なかった。
……その奇行を最後に、アルフォード様は学園、いや王都から姿を消した。
卒業まで学園に姿を現さなかったという。
誰もその消息を知らなかった……というが、私はアルフォード様のお兄様、聖騎士団のランクルーザー様からマーガレットお姐さまを伝って話は聞いていた。
今回の件でルビネスタ公爵様が憤慨し、アルフォード様を領地に連れ帰り、邸にほぼ軟禁状態になっているとのことだった。
初恋の君を、複雑な思いで案じる。
あのお優しいアルフォード様が何故、女性のアゼリア様に向かって剣を振り翳したのか。
何故、こんなことになってしまったのか。
ーー何故、あんな冷たい表情を見せるようになってしまったのか。
だけど、数ヶ月後にこの公爵領で再会したアルフォード様は……私の知る、昔のアルフォード様のままだった。
温かく笑う、優しい彼のままだった。
なのに……また。彼の顔が、変わった。
情熱的にローズマリー令嬢を見つめるあの視線。……あの時、学園祭で見かけた時と同じものだ。
何故?どうして?
と、疑念もあるが、まず、あの悪夢の事件の際に居合わせたあのローズマリー令嬢の出現が、私を恐怖で包み込む。
また、あの人が現れた。
ーー恐い。
彼女の存在を恐怖と見做し、私は逃れるようにただ、ただ。
宛てもなく、走り続けた。
《きゃっ!アゼリアさん、恐いわ……》
……恐い。私にとっては、貴女の方が恐い。
王太子様をはじめ婚約者のいる殿方らを虜にし、侍らせ、神殿を批判する得体の知れない存在。
その庇護欲掻き立てる仕草の裏に見える、憎悪、敵意。
そして、この公爵領に突然現れてはアルフォード様の顔を、表情を変える。
アルフォード様を……あの時と同じような表情に変える。
(恐い……!)
「……んでー。ラヴィちゃん。ホントに来ちゃったの」
「……」
ローズマリー令嬢の存在だけを脅威に感じ、逃げるようにして宛てもなく走り続けた結果。
辿り着いたのが、ここ。夜会会場から少し離れた場所にある庭師さんらの宿舎だった。
訪れた際、「ラヴィ様?!何故ここに!しかもそのメイドの格好、何?!」と全員にびっくり仰天されたが、それでも温かく迎え入れてくれて、現在に至る。
ファビオの言う通り、やはり庭師さん夜会は開催されており、男性陣は酒をかっくらいながらカードゲーム。奥様方はご馳走をお酒のつまみにお喋りの会となっていた。
「んで、ラヴィちゃんや。何故にメイドの格好?何のフェス?コスプレフェス?」
「え?ふぇふ?」
「フェフじゃねえよ、フェス。なんでそこだけ舌足らず?」
「……」
こすぷれ?ふぇす?って何だろう。よくわからない。
それは良いとして、何故にメイドの格好の理由は……ちょっと恥ずかしくて言えない。まさか夜会のご馳走を拝借するためにこの格好で会場に忍び込んだなど……。
と、答える気力がなく。私はローズマリー令嬢出現の衝撃で、さっきから口数少なく部屋の窓際に座り込むのみで。
ファビオも様子がおかしいと思ってるだろう。
「やれやれ。ラヴィ、何があった。おまえさんのその様子、ただカードゲーム大会に参加しに来ただけじゃないだろ」
「……うん」
事情を話したいのだけど。ローズマリー令嬢のことを話すには長くなる。
どこから説明をすべきか、考えていると……私のお腹がぐーっと鳴った。
「あっ」
そういや、ご馳走拝借に行ったのに、結局有り付けておらず、空腹だ。
私のお腹の音を聞いて、ファビオもブッと吹き出す。
「えー?腹減りなの?……ごっつぉーはほとんど食っちまったよ。もう、おまえさんがアク抜きしたワラビ草の和え物しかないぞ?ワラビ草のアク抜き難しいんだってなー?こんなに上手くアク抜き出来て、美味しく食べられることないって、奥様軍団感心してるぞ?」
ワラビ草のアク抜きは、とても自信がある。
神殿でも私が一番上手で、ワラビ草が手に入るといつも進んでやっていた。
王都にいた時は、市井の奥様方にもお裾分けして感謝されたこともあった。「こんなに苦味が抜けるなんて、どうやったら出来るの?コツは何?教えて!」と、絶賛されるのだが、当の本人はただ普通に手本通りのアク抜きをしただけなので、どう説明するべきか困ったという思い出がある。
……いや、昔のことは置いといて。
「奥様軍団が味付けした和物、食う?」
「……」
食べる、と口を開けようとした途端。
宿舎の入り口の方から、ガラガラガラガラと音がした。
「え?何の音?」と、室内にいる庭師さんや奥様らが辺りをキョロキョロと見回したその時。
広間のドアがバーン!と開いた。
そこには、食事を乗せたワゴンを押した、いつもお世話になっている侍女の姿があった。
「み、ミモザさん?!何でここに?」
「ラヴィ様、やはりここにいらっしゃいましたか。夕餉の時間でございます」
そう言って、ワゴンを押しながら、ガタンガタンと音をけたたましく鳴らして堂々と部屋の中に入ってくる。
「おいおいおいおい!」と、庭師さんらのツッコミが入った。
「え。わざわざ探しに来なくても……」
「いえ。ラヴィ様にはきちんと食事をさせろと公爵の御命令ですから」
だからと言って、庭師さんらの宿舎に突撃してこなくても……みんな驚いてる。
まあ、最初に突撃してしまったのは、私ですけど。
黒髪をギュッと後ろに束ねて、背が高くてスッとした体形のミモザさん。ニコリともせずに、辺りをキョロキョロ見回している。
そして、テーブル席でカードゲーム真っ最中の庭師さんに一言告げた。
「あなた方、そこをおどき下さい。ラヴィ様の夕餉の時間です」
「はぁ?ミモザ、何だなんだ急に」
「ラヴィ様の給仕をしたいので。テーブルがここにしかないようですが」
「どけとは!ゲームの真っ最中に!」
「おっ。ミモザ、おまえ食べ物持ってきたの?こっち持ってこーい!」
「これはラヴィ様の夕餉です。あげませんよ。あなた方にも配給されたじゃありませんか。この人でなし。ハイエナ」
「そこまで言う!血も涙もない女め」
「お上品なご馳走なんぞ、もう食っちまったよ!美味かったよ!……まあ、ええわ!俺らにはラヴィ様がアク抜きして下さった、このワラビ草の和物があるからな?うめーぞ、うめーぞコラ!」
「テーブルなら、上の広間にもあるよ……」
庭師さんらとミモザさんのやり取りにヒヤヒヤしたが、庭師さんらが笑ってるあたり大丈夫なのかなと思った。
私の不安を読み取ったのか、ファビオが横で「いつもの軽口なやり取りだろぅ?心配すんなぁ」と、私に呟く。
でも、押しかけたのは私で。庭師さんには申し訳ない。
結局、二階の広間を借りて、ミモザさんに給仕をしてもらうこととなった。
賑やかな一階とは違って、二階の広間には誰もいない。給仕された食事を黙々と食べる私と、傍で見守ってくれているミモザさん。何故か?私たちに着いてきたファビオの三人しかいなかった。
「ご馳走さまでした。ありがとうございます、ミモザさん」
黙々と食事を食べ終えて、ミモザさんにお礼を伝える。
「というか、ラヴィ様。そのメイド服姿はどうしたのですか。着ていたドレスはどこに?」
「あ……」
返事に困って言葉を詰まらせる。
どうしようか視線を泳がせた、ふと視線の先には、ファビオが窓際にいて、窓の外を覗いている姿が目に入った。
「ファビオ、何見てるの?」
近付いてきた私に、ファビオは「にひひーん」と笑う。
「ここから、夜会会場が見えるでー?何やってるか丸見えー!」
ファビオの指差したその先は、煌々と灯りが点る公爵家の本邸。夜会真っ最中の会場だった。
中の灯りに照らされて、人影がチラホラと見える。顔まではよく認識出来ないが。
目の前は広いバルコニー。そこには会場から離れて外に出て夜風に当たる男女の姿もちらほら。
「にひひひ。若いお兄ちゃんお姉ちゃんお貴族サマが逢瀬しとる。ランデヴー」
「らんでぶー?……って、あぁっ!」
思わず声をあげてしまった。
何故ならば、バルコニーにいる男女が体をくねくねと寄せ合っていて……なんと。キスをしていたのだ。
見てはいけない男女の秘め事、見てしまった。
見てしまった……!
「うーん。こりゃ、休憩室コースだな」
「あわわ……」
そして、ファビオの言う通り。キスをして体をピッタリとくっつけたままの男女は、肩を抱いてバルコニーを去ってしまった。ホントに休憩室行くの?
男女の逢瀬の深いところを初めて目撃してしまった私は、衝撃を隠せない。顔がカーッと熱くなるのがわかる。
成人前のお子ちゃまにはキツイ……!
「ラヴィちゃん、そんなに照れるなよー。オトナになったら皆こんなもんだぜ?」
「そ、そんなこと」
そんなことはわかっちゃいる。話だけはいろいろ聞いていたけど、でも。
実際目撃してしまったら、恥ずかしいの何のじゃありませんか……。
あまりの恥ずかしさにモジモジしていると、ミモザさんもやってきた。
「何をご覧になってるのですか」
「おう、ミモザ。ラヴィが食い散らかした皿の片付け終わったか?」
「く、食い散らかしたって!ちゃんと綺麗に食べたよ!」
「終わりましたよ。それで」
「わはは。今、覗きをしとるのだよ。の・ぞ・き?」
「まあ」
窓の外ののバルコニーを風景を見て、話の流れがわかったらしい。
特に何の表情も変えないまま、私たちと同じくじっと窓の外にある夜会会場の様子を眺めていた。
「ぷぷ。ミモザ、あんたも好きねー?」
「いえ、好きではありませんが」
……そんなこんなで。
私とファビオにミモザさん。三人頭を並べて、庭師宿舎の二階から見える夜会会場のバルコニーの覗きをする。
という、なんらおかしい光景となってしまったのだった。
「……ひゃぁ!あれ、あれっ!キスだけじゃなく、胸っ!」
「おひょー!パイ揉み!わはは、ラヴィよ、慌てるでない。おまえさんもオトナになったらやるのだぞ」
「し、しない!」
「……ガラトス男爵子息とマテラ子爵令嬢ですか。メモしておいて奥様に報告しましょう」
ミモザさん、密告?!