秘匿されし聖女が、邪に牙を剥ける時〜神殿を追放された聖女は、乙女ゲームの横行を許さない


しかし、違和感があった。

あるはずがないものが公衆の面前に出現したにも関わらず、他の招待客は全くの無反応だったことだ。出現と共に悲鳴が上がってもおかしくはない。

観衆の注目は、変わらずアルフォード様と抱きついて泣いている令嬢だ。

赤い風のことなんて、誰も気に留めちゃいない。



これは……他の人には見えてないの?

そして、近くにいる人の衣類が風に煽られている様子はない。

つまり、普通の風ではないのだ。

グッと目を凝らして警戒しながらよく見ると、更なる違和感に気付く。風に乗せて小さな粒子みたいなものがフワフワと浮かんでいた。

赤くて小さな……虫?

まるで、赤い星のよう。



(何、これ……?)

この現象の説明がつかなくて、違和感だけでなく恐怖をも覚える。自分の心拍数がますますドクドクと上がっているのがわかった。

と、同時に不安にもなる。

令嬢の一番傍にいる、アルフォード様の身が心配であった。

アルフォード様は、自分の胸に顔を埋めてしくしくと泣いている令嬢を、混惑しながらも冷静に宥めている。



「ローズ、落ち着いて。落ちつ……」



ーーその時、彼の顔が変わった。

「……あぁっ、ローズ!なんて可哀想に!君に涙を流させるなんて、万死に値する行いだというに……!」



ほんの少しの間のような沈黙を経てから、その口から声高らかにそう吐き出した。

私はまたしても衝撃で体を震わせる。

だって、いつも静かで穏やかな口調のはずのアルフォード様が、急に舞台俳優のように声を張り上げたのだから。

顔つきが変わったと思ったら次、話し方まで変わるだなんて……!



「大丈夫、大丈夫だよローズ。俺が傍にいるから。もう、君に寂しい思いをさせないから……」

「えぇ、約束よ、アル?もう、私を置いてどこにも行かないで?離さないで……!」

「約束するよ、ローズ。俺の愛しい女神、愛してる……」



そう言い合いながら、夜会会場のど真ん中で愛を叫び合って熱く抱擁し合う二人。

二人の情熱的な感動の再会の一部始終を目撃した周囲の反応は、真正直に感動して拍手する者もいたり、ヒソヒソと疑惑の呟きが聞こえてきたりと微妙だ。

だが、当の二人はそんな周りの反応を気にせず抱擁を続けている。見つめ合ったりと、今にも接吻しそうな勢いだ。

(嘘っ……)



私は……愕然としていた。

ほんのさっきまで、私に柔らかな笑みを向けてくれたアルフォード様が。

私がずっと想いを寄せて慕っていた、アルフォード様が。

ものの数分後には、美しい女性に情熱的に愛を騙り、公衆の面前でも構わず抱擁という行動を起こしている。

そして、彼女を見つめるアルフォード様の視線は甘く、熱を帯びていた。情熱を持って想い焦がれていると、見ている誰もが感じ取るだろう。

私の前では見せたことのないものだ。



ーー嫌だ。



嫌悪を自覚すると同時に、私はその場を背にし、逃げ出していた。

華やかな夜会会場を飛び出し、駆け抜ける。胸中に、いくつもの複雑な感情を抱えながら。



想い慕うアルフォード様が、他の令嬢と寄り添う姿に傷付いたのか。

いや、それと同じくらい……私は、突如現れたあの令嬢に恐怖と、違和感。そして、なぜか危機を感じていた。

何故、何故?

何故、王都にいたあの令嬢が、今ここで、アルフォード様の前に、このルビネスタ公爵領に現れたの?

そして……会場にいた人々は誰も気付いていなかった、彼女から発する禍々しい何かと赤い粒子の数々を伴った風。



あれはーー何?






恋敵が現れたという悋気よりも、あのローズマリー令嬢が突然現れ、他人には気付かれなかった現象に対する疑問、恐怖の方が私の心を占めていたのかもしれない。

(恐い……恐い!)

ドクドクとうるさく響く心臓。これは、根拠のない脅威を無意識に感じていたからだった。

逃げるにしても宛てもなく走り続けていたその頭の中で、私は……あのローズマリー令嬢との王都での出来事を思い出していた。






ローズマリー・トルコバス侯爵令嬢。

トルコバス侯爵家とは、貴族派筆頭の一門。現当主のトルコバス侯爵がやり手で、領地経営で収益を上げてはここ数年頭角を現し、議会でも強い発言権を持ち始めたという。

ローズマリー嬢は当主の末娘。歳の離れた長兄が侯爵家を継ぐらしい。



そんなローズマリー嬢が、突然社交界に姿を現したのは、一年と数ヶ月前。

王太子殿下やアルフォード様、アゼリア様の通う王都の学園に、最終学年の始まりと共に急に編入してきた。

侯爵家の末娘。その存在が急に明かされたので、ローズマリー嬢は婚外子なのでは?もしくは下位貴族からの養子か?と密かに囁かれた。その詳細は明らかになっていない。


だが、彼女の子犬のような愛らしい顔つきや、そんな顔とは違った艶やかな大人の体のラインといった魅惑凝縮の麗しい見目の方が、疑惑の出自よりも衝撃だった。

麗しい。まるで、女神が舞い降りたかのようだ。

……しかし、彼女の魅力はそれだけではなく、喜怒哀楽をもろに表現する高位貴族の令嬢らしかぬ表情の変化や、明朗快活な性格は学園に通うお堅い貴族令息の目には新鮮に映ったらしい。

華やかで笑顔いっぱいのローズマリー令嬢の存在に、どの貴族令息も虜になる。

貴族令嬢からは、令嬢としての矜持のカケラもない、マナーがなっていないと冷たい目で見られていたようだが。



……中でも特に、彼女に懸想して側を離れなかったというのが、なんと。同級生であるエリシオン王太子殿下と、その側近といわれる高位貴族の子息四名だったそうだ。

宰相の甥、騎士団長の次男、外交担当大臣の嫡男。

そして、アルフォード様。



……私も、この噂を神殿に訪れた令嬢らから聞いた時は、驚いた。

長年想い慕っていた殿方の名前を、まさかこんなカタチで聞くとは思いもしなかったからだ。


そして、嘘だと信じたかった。

あのアルフォード様が、王太子様らと揃って一人の令嬢を崇拝するように愛を囁き、人目も憚らず肩を寄せ合ったり触れ合ったりと、貴族らしかぬ行動をしていたこと。二人きりで密室で長く過ごしていたという目撃情報もあったらしい。

あの優しいアルフォード様が、側近らと共にローズマリー令嬢を悪く思う女子生徒らを脅しも同然で次々と咎めていたこと。

特に、王太子様の婚約者である、あのアゼリア様に対して敵意を向けていたこと。

何もかもが、信じられなかった。

……学園祭のあの日、アルフォード様に実際にお会いするまでは。




あの日、私は聖女見習いの仲間と共に、王都内の貴族学園に来ていた。

貴族学園では年に一度、生徒主催で『学園祭』というお祭りを開き、普段貴族の者しか足を踏み入れることが出来ない学園の敷地だが、この日だけは平民向けに一般開放をするのだ。

ガーネット公爵令嬢のアゼリア様は、孤児院の慰問やバザーを定期的に開いていて、地域貢献で毎回お手伝いに来ていた私たちは、そこでアゼリア様と知り合う。

貴族でありながらも、身分関係なく全ての民に優しいアゼリア様。聖女見習いの私らにも優しくしてくれていた。


そんなアゼリア様に、私らは学園の『学園祭』に招待された。

貴族学園の訪問なんて、神殿や市井でしか過ごしていない私たちにはもちろん初めてで、とても緊張したのを覚えている。

だけど、アゼリア様とそのご友人である令嬢らに歓迎され、お店や展示場を共に回ってくれて、とても楽しい時間を過ごしたのだった。

貴族間で流行っているスイーツを食べたり、女子生徒らが刺繍したハンカチを購入したり。騎士科の生徒の模擬演舞を見たり、本当に楽しかった。

……だが、事件は私らの帰り際に起きる。



お店や展示場を一通り案内してもらって、神殿のみんなへのお土産も購入して、アゼリア様たちに出口である校門まで送って頂く、その最中。

王太子殿下と、その側近の令息ら。……そして、その真ん中に護られるようにして共に歩いていたローズマリー令嬢と、私らは鉢合わせたのである。



最初に声を掛けてきたのは、ローズマリー令嬢。

『あら、アゼリアさん』と、アゼリア様に向かって、鈴を転がしたような声でにこやかに話しかけてきたのだが。

『あら?平民の子らの案内しているのね?なんてお優しいのかしら』と、傲慢な貴族らしい、上から目線の物言いで、私たち聖女見習いの方へと目を移した。

すると、アゼリア様の学友である令嬢が、その発言を諌める。

『そのような言い方はおやめ下さい、トルコバス侯爵令嬢。彼女らは、神殿で働く聖女見習いの方々ですよ?』と。

『神殿の……聖女見習い?』

そう呟きながら、ローズマリー令嬢の表情が一瞬変わった。

あからさまな憎悪が滲み出た目つき。

ハッと気付いた時には既に、先程と変わらないにこやかな表情に戻っていた。変化はほんの一瞬だったので、私と同じく気付いた人は他にいないだろう。

だが、一瞬でも垣間見えた敵意。あまり良い気分ではなかった。



聖女見習いであると紹介されたので、王太子殿下の手前もあるし、私たちは挨拶のため頭を下げようとした。

のだが、遮るようにローズマリー令嬢が、私たちに言葉を投げ掛ける。



『あら、挨拶は不要よ?ここは学園、身分関係ないし?神殿ではお祈りばっかでカーテシーなんて教わらないでしょ?いいのよいいのよ』

『ローズは優しいな?平民らに敬意を強要しないなんて』

『ええ、だって身分違えど同じ人間ですもの』

『やはり君は聖女のようだ!』

『……』



ローズマリー令嬢の一言に、私たちは凍りつき固まった。

この令嬢はいったい、何を言っているのだ。


挨拶不要なんて、王太子殿下の手前許されるわけもないし、それに……この令嬢が言うことではない。

学園は身分関係ないだなんて、それはあくまでも学園内の生徒の間のことだけであって、私たちに適用されるわけがない。

しかも、神殿のことをさりげなく侮辱した。お祈りばっかでカーテシーを教わらない?なんて偏見だ。

頭を下げようとした私たちに、気を遣わないで?と優しく対応したかのような口調で、実はとんでもないことを言っている。

身分を違えど同じ人間?明らかに貶されている。……そんなあからさまな敵意に私たちが気付かないわけないだろう。

その証拠に、聖女見習い仲間の面々の表情は真っ青になって震えたり、強張っている子もいる。

気付かないのは、そんな発言をした彼女を優しいと言った背後の騎士団長の令息ぐらいだ。

この令息は、今の彼女の発言をちゃんと理解してるのだろうか。聖女のよう?耳は確かか。甘ったるい視線でローズマリー令嬢の顔しか見ていないようだから、無理もないのか。