「天音ってさぁ、実は勘が鋭いよねぇ。それとも野生の鼻が効くのかなぁ?」
「……うん、いい。多分効いてる」
野生とか、獣か何かみたいに冗談を言われても無視しなかったのは、琉羽が心配だったから。
「何それ」って、そう言って少しでも笑ってほしかっただけなんだけど柄じゃないことしたのは分かってる。
だって琉羽、笑ってくれない。
「光邦……うーん、今更変な感じするなぁ。みっつーは知ってるよ、こんな僕。一応幼なじみだもん」
足をぷらぷら動かして、けろりと言う琉羽。
なんだか気を紛らわせてるみたい。
「昔はね、大人の人たちが求めてくるから演じてたんだけど、今は違うよ。
今はこのキャラが板に付いちゃってるし、けっこー自然になってるし、別に苦でもないしね。ま、別にいっかぁ……なぁーんて思ってる」
いつもと違って見える琉羽。
一喜一憂して、案外顔に出る琉羽。
堂々としてさえ見える琉羽。
「そうやって思えるようになったのは、寮に入ってからだから。
だからね、今の僕があるのはみーんなのお陰!」
そんな琉羽を見て、何かが心の中に渦巻いた。
全然嫌じゃなくて、むしろ居心地がいい。
なんだろう、この感じ。
分からないけど、言えることは一つだけ。
「嫌いじゃない、よ?」
こぼれ落ちた言葉が、もともと大きな琉羽の目を見開かせる。
「琉羽のことも、みんなのことも嫌いじゃない」
“一緒にいたい人”
借り物競争のお題で、どうして5人を選んだのか。
分かってたはずだったけど、今やっと……納得した気がする。
「それ、ほんと?」
「うん」
ようやく実感が湧いてきた。
素直に頷くと、驚いていた琉羽が嬉しそうにする。
……やっと、笑ってくれた。
それが嬉しくて、でも照れくさくて下を向いてしまう。
「あ、じゃあさ…」
よっ、と立ち上がって店内に入ろうとする気配。
ふいに小さく聞こえた声に顔を上げる。
「僕これでも本気だから、これから覚悟しててよ。
色々仲良くしよーね。ね、天音?」
そこには、怪しく笑う琉羽がいて。
一瞬、身震いがした。
何を……なんて、私に聞く暇も与えないままさっさと中に戻った琉羽。
きっと、今のが本当の琉羽で。
……私は、何かとんでもない怪物をその気にさせてしまったのかもしれない。
後悔先に立たずとはこういう事だと、私は初めて実感したのだった。
***
それは、体育祭が終わってしばらく経ったある日のこと。
……うっとうしい。
さっきから何度そう思ったか知れない。
開け放たれた窓から入り込む生暖かい風も。
妙に耳障りなセミの鳴き声も。
そして……
「……暑い…」
「溶けちゃうよーっ」
左右からしなだれかかってくる2つの物体も。
みんな鬱陶しくて仕方ない。
体育祭から数週間が過ぎて、7月。
東明学園もいつの間にか夏休みに突入していた。
いろんな意味で今年の夏は暑い。
元々こんな感じの空はともかくとして、最近では琉羽まで距離が近いと思う。
多分、体育祭の日からだ。
あの日の宣言からだと思えば、琉羽がここまで粘着質になった理由というか、きっかけを作ったのは間違いなく私で。
こんなことになるなら、あの時一人にならなければよかった。
今ほどそれを後悔したことはなくて。
とにかく、何が言いたいのかというと……
「暑苦しい」
その一言に尽きる。
「ね、だよねぇー…」
「……ん」
同意して更に距離を縮める琉羽と、こくりと首を縦に振る空。
私とこの二人とで、明らかな認識の違いがあることに一刻も早く気づいてほしい。
「や、ジブンらが暑苦しいわぁ」
向かいの椅子で伸びている光邦の言葉に、私は激しく同意する。
ほんとに、まったくだ。
そう思うけど、もはやそんな言葉さえ返す気力もない。
「ったく、見てるこっちが暑苦しいっての」
ホールに入ってきた楓斗は、汗を拭うように前髪をかき上げると、またすぐに出て行った。
……分かってるなら、助けて欲しかったな。
力なくソファーの背もたれに沈み込むと、更に2人の重みがのし掛かってきた。
「どいて…」
弱々しく両手をブンと振って押しのけるけど。
「やぁーだっ」
腕にしがみつく琉羽は離してくれない。
より密着されて、そこが急速に汗ばんでいくのが分かる。
「って琉羽。単に天音に引っ付きたいだけやろ」
暑いのにようやるわぁ、なんて言う光邦の言葉には覇気がない。
……ああ、どうして。
なんで今日に限って、寮の空調設備が悪いんだろう。
自室のクーラーも使えなくて、日当たり抜群の灼熱地獄から解放されるためにここに来たのに。
同じ考えだったのか、人が集まったリビングでは常に熱が集中していた。
既に室内だけで気温は30度を超える。
とても耐えられない。
ついに、ぐでっと溶けるように体中の力が抜けたところで。
「アイスがあるけど食べる人はいる?」
こんな日でも汗ひとつ見せない、涼しげな聖の言葉は神様かと思った。
「!食べる…っ」
瞬時に反応した私は、素早く体を起こす。
その反動で、私が座っていた場所に支えをなくして顔面ダイブする琉羽と空。
暑さで口の中はカラカラ。
水分と冷感が今はすごく欲しかった。
聖からアイスキャンディーを受け取って口にくわえると、その瞬間に広がるソーダの爽やかな味。
……あ、ラムネ入ってる。
嬉しいオマケに思わず頬が緩む。
「あぁっ、僕も食べるーっ」
食堂に駆けていった琉羽と入れ違いにソファーに座る。
隣で空が物欲しそうな顔してるけど、今回ばかりはスルー。
私もちょっとくらい、怒るもん。
プイッと顔を逸らして、あげないアピール。
私から貰えないと悟った空は、のそのそと立ち上がって食堂へと消えていった。
♪〜♪〜♪♪
と、聞き覚えのある音楽が流れて、アイスをくわえたまま首を傾げる。
「これ天音のとちゃうんか?」
光邦の言葉に目を向けると、テーブルに置かれた、薄ピンクの点滅する携帯が目に入る。
……あ、私のか。
周りはみんなスマホだし、頻繁に連絡を取り合う人もいないから私のだと一瞬気付かなかった。
「ガラケーなんて珍しいね」とか言われるけど、多機能でも困るだけだし私にはこれでちょうどいいと思ってる。
相手が誰かも確認しないまま耳に当てる。
その直後、自分の安易な行動を後悔した。
電話口から聞こえてきたのは、信じられないくらいの大音声。
『あーまねぇー!元気にしてる?お母さんよー♪』
陽気な母の第一声に、思いっきり顔をしかめて携帯を耳から30センチは離す。
一瞬、携帯の音量が最大になってるのかと思ったけど、単にお母さんの声が異常なだけだった。
これだけ離してもまだ聞こえてくる声は、前に座る光邦を唖然とさせている。
「……マヌケ顔」
私の呟きに、慌てて口を閉じる光邦の姿を横目に、ケータイを耳に当て直して電話の主に言葉を返す。
「なに?」
『もーおっ、なーに?素っ気無いわねぇ。久しぶりのお母さんよ?あなた全然連絡よこさないんだもの、こっちからかけちゃった』
「連絡するほどの用件、ないけど」
『もうっ!用がなくても連絡くらいしてきなさいよ!!』
……お説教?
いや、逆ギレ……?
怒られる意味がよく分からなくて、見えない相手にまた首を傾ける。
『だいたいねぇ――』
「どうでもいいけど、用が無いなら切るから」
早くも延々と続きそうな雰囲気を感じで、話を遮る。
付き合ってたら、この暑さに溶かされながら夕方になってしまいそうだ。
『あるわよ用件!もお、せっかちね。本当にお父さんそっくりなんだからっ』
イラッ、として本気で電話を切りたくなった。
無愛想で全然喋らなくて、何考えてるのか分からないし、お父さんはとにかく変な人。
……どこが似てるのか、全然分からない。