「相変わらずハンナちゃんのアップルパイは人気だね。俺のクロワッサンも頑張らないとすぐに追い越されちゃうなあ!」
ヘンドリックは彫りの深い目元を細めながらへらへらと笑う。
殺伐としていた厨房が、その場違いな笑い声によって少し和らぐのをハンナは感じた。
ついつられて自分も頰が緩みそうになるが、すかさず横からマルレーネがぴしゃりと言う。
「ヘンドリック、無駄口叩いてる暇があんなら手を動かしな。さっきからパンをトレイに移す手が止まってるよ」
「え? ああ、はい。わかってるよ。もうすぐ終わるから」
「終わったら倉庫から小麦粉と砂糖を持ってきて棚に補充しといて。それも終わったらレーズンロールの追加を作り始めておきな」
「はいはい…、オーナー」
「ふふっ」
いつもの2人のやりとりを見届けてから、ハンナは早足でカウンターへ戻った。
「お待たせいたしました。アップルパイはおひとつでよろしいですか?」
伯爵は来た時と同じように、微かに口元を微笑ませながら、「ふたつ貰おうかな」と答えた。
「ついでに、クロワッサンもひとつ追加してくれるかい」
「あっ、はい!」
ハンナは言われたとおり、アップルパイ2つとクロワッサン1つを紙包みに入れる。
梱包をしている間も、常に上から伯爵の視線を感じて、指の動きがいつもより鈍くなる。
(私を見ているんじゃなくて、私の作業を見てるだけ。………だめ、よけい緊張する)
伯爵は背が高いので、ハンナがピンッと立って正面を向いても、彼の胸元に目線がくるだろう。
顔を見なくていい口実はできるけれど、こういう風に見下ろさられる場合逆に落ち着かない。
(私のアップルパイ、買ってくださるなんて嬉しいな。来店されるたびに買っていかれるけど、お気に召してくださった…とか。ううん、そんなおこがましい。きっと偶然…ああでも、一言でもいいから感想をお聞きしてみたい)
伯爵がベーカリー・シュガーにくる頻度は週に4回。曜日は決まっていないが、時間は必ず今日のようにお昼を過ぎた午後1時近くだ。買っていくのはいつもアップルパイなので、ハンナの小さな恋心が浮き立つのも無理はない。