「ハンナ、ちょっと接客を変わってくれるかい」
お昼時が過ぎ客足も緩やかになってきたころ、マルレーネがカウンター越しにハンナに言った。
「商品の減りが早いから、ちょっと厨房の様子を見てくるよ」
「わかりました」
ハンナが頷くのを見ると、マルレーネは早足で厨房への通路に消えていく。
サンドウィッチをバスケットに陳列していた作業に区切りをつけると、ハンナはカウンターに回った。
「いらっしゃいませ、お預かりします」
「ここはいつも焼きたてでいいね。うちの娘たちがハンナちゃんのアップルパイを気に入っちゃって、他の店のやつは食べようとしないのよ」
「ローザさん、いつもありがとうございます。喜んでいただけて、私も嬉しいです」
この時間は常連の主婦たちが代わる代わる来店する。
見慣れた顔ぶれが次々とやってきては、それぞれのお気に入りのパンを買っていく。
掃除接客を中心にこなした下積み時代のおかげで、ハンナはすっかりベーカリー・シュガーの看板娘だ。
買っていくお客さんは必ずハンナに一声かけていく。それにハンナも笑顔でこたえる。
朝早くから夜遅くまで働くハンナにとっては、この接客が唯一、この下町に住む人々との交流の場所になっていた。
「あたしはハンナちゃんが定休日以外に休んでるところを見たことがないけど、身体は大丈夫? あの仕事馬鹿なマルレーネと気の抜けたヘンドリックは、そういうとこに気が利かなさそうじゃないか」
「そんなことありません、週に1度休めるだけで十分です。それに私、休んでいるよりパンを焼いていた方が充実してますから、毎日働いたって苦じゃありません」
てきぱきパンを紙包みに詰めながら言ったハンナに、ローザは眉を上げて目を瞬かせた。
「呆れた、あんたも相当な仕事好きだねえ。もともとなのか、どっかの誰かに似ちまったんだか…。まあ、ハンナちゃんが良いなら良いさ。あたしとしても、毎日こうしてお喋りできるのは楽しいからね」
「ふふ、ありがとうございます。私もローザさんと話せるのが毎日楽しみですから」
「やだ、嬉しいこと言ってくれるじゃないの。まったく、16とは思えないくらいしっかりした子だよ。うちの娘にも見習ってほしいもんだ」
ハンナから包みを受け取ると、ローザは肩をすくめて笑いながら帰っていった。
入れ替わるようにまた誰かが来店し、店のドアベルが軽やかに鳴る。
今日はいつもより客の入りが良い。
ハンナは今来た客の顔を見る前に、引き出しの奥にぐちゃぐちゃに詰め込まれてしまった紙袋を整えようと腰をかがめた。
(急ぐと袋を雑に扱っちゃうくせ、なんとかしなきゃな)
毎回奥まで手を突っ込んで出すのは面倒だし、時間がもったいない。
なかなか取り出せずに引き出しを覗き込んでいると、ふいに頭上で「もしもし」と声がかかった。