「ウォルターズ伯爵!」
慌ただしい声とともに、街路の遠くから数人の人影がハンナたちの元へ駆けてきた。
タキシード姿の男たちは、全員息を切らせて疲弊しきった様子だ。察するにかなり長い間走り回っていたらしい。
「全く…! 探しましたよ、こんなところで一体何をなさっていたんです!」
1人が噛み付かんばかりに伯爵に詰め寄るが、当人はどこ吹く風でさらりと肩をすくめる。
「ちょっと気分転換を」
「勝手にパーティー会場から出られては困ります! カルロア夫妻が貴方をお探しですよ」
「話はもう済んだと思ったんだけど?」
「そうお思いなのは貴方だけですよ。マリアンヌ様もいつまで待たせるのかと気を揉んでおりましたし、早く戻りましょう」
ハンナはちらりと伯爵の方を覗き見る。
涼しげな表情のままの伯爵からは、感情の変化を読み取ることはできなかった。
召使いたちのお説教をくらい、しばらくして彼は観念したようにため息をつく。
「わかった、夫妻には謝罪にいくさ。もう戻ろうとしていたところだ。ーーーハンナ」
「は、はい!」
名を呼ばれ、反射的に姿勢を正す。
「今日はありがとう。また店に行くよ」
「はい。お待ちしています」
深々とお辞儀するハンナに、伯爵は笑い、召使いたちに囲まれながら去っていった。
ハンナはその姿が見えなくなるまで、ずっと伯爵の後ろ姿を見つめていた。
(伯爵さまのお名前…)
“ウォルターズ”
召使いの1人がたしかにそう呼んでいた。
ファーストネームではないだろうが、伯爵というありきたりな名称から、彼個人を表せる固有名詞を知ることができて、ハンナは頬が緩んだ。
(さっき、私の名前呼んでくれた)
聞き間違いじゃない。
確かに、伯爵の口から“ハンナ”と。
「〜〜〜〜〜」
その場で飛び跳ねたくなる衝動をなんとか抑えながら、紅潮する自分の頬を両手で覆う。
今日は最高の休日だ。
胸の小包を大事に持ち直し、ハンナは軽やかな足取りで家までの道を歩き出した。