【短】君がくれた出逢い


 花奈がどうしたものかと困っていると、咲也はまた手を繋いできた。



「次、行こう」

「次?」



 公園に行ってははしゃぎ、商店街で美味しそうなお惣菜に惹かれ、温かい魚のフライにかぶりついて子供のように笑顔になる。


 いつの間にか花奈も嬉しくなっていて、ジャックを忘れたわけではないけれどとても楽しい時間だと思った。



「こうやってよく、散歩した」

「ん?」

「花奈ちゃんが好きなのは商店街で、おれが……いや。ジャックが好きなのはあの空き地」

「なんで? なんで、知ってるの」

「なんでかな。そう、つまりさ……」



 咲也は困ったように笑って、ぽつりぽつりと丁寧に言葉を紡いでいく。


 とても悲しくて、とても寂しくて、辛いことを彼は花奈に話し始めた。



 *


 咲也が不登校になったのは怪我が原因だった。


 彼はテニスが好きで、幼少の頃からラケットやテニスボールで遊んでいたのだと言う。
 中学ではそれなりのいい成績を残していて、高校最初の大会では一年生ながら入賞することが出来た。


 しかし利き腕の調子が悪く、大会後に受診してみれば肩や肘に異常が見つかった。日常生活に問題はないが、テニスを続けることは難しい。


 ずっと側にあったテニスと別れる選択を迫られて、学校に行くことさえ苦痛になって不登校となった。



「改めて考えてみたらさ、テニスを取られたらなにも残らないんだよ。おれ、すごく勉強出来るわけじゃないし、人付き合いがいいわけじゃないし、仲間と呼べる奴もあんまいなくてさ。怪我したって言ったら、部活の奴らみんな離れていったよ」



 そこまで話してから、咲也はため息をついた。



「テニスで有名な選手になる。本当に夢で終わったよ」



 掛ける言葉が見つからない。
 慰めるのも励ますのも違うと思ってしまい、花奈は思った以上に冷たい言い方で質問していた。



「そのこととジャックと、なんの関係があるの?」

「あー。それは……」



 二人は寒さから逃れるためにコンビニエンスストアにいた。
 その一角、カフェコーナーでミルクティーを飲みながら、花奈は咲也の言葉を待つ。


 同じくコーヒーを飲んでいた彼は少し俯いて、赤らんだ顔をしていた。



「実はジャックのこと、知ってんだよ」

「知ってる?」

「あいつ、脱走して一週間帰らなかったことあっただろ?」



 花奈は思い出していた。


 それは春頃。散歩の途中でうっかりリードを離してしまい、ジャックと離れ離れになった。
 どんなに捜してもいなかったジャックだが、一週間後に家の庭で遊んでいた。



「学校の近くにいてさ。リードついてたから、飼い主捜してたんだ。しばらくおれの家で預かってた」



 初めて知ったジャック謎の一週間。


 必死に捜していた花奈とは裏腹に、違う場所で楽しんでいた。想像すると花奈は急に可笑しくなってきた。



「それで?」

「あいつに助けられた。ちょうど落ち込んでた時でさ、傍にいてくれたんだよ。ジャック」



 毎日、咲也に散歩を要求して、ご飯を要求して、気楽に過ごしていたジャック。
 飼い主のところへ帰る気配もなく、気がつけばジャックの世話が日課になっていた。


 だから咲也は知っていた。


 ジャックが好きな散歩の場所がどこなのか。
 商店街でじっと待つ素振りから、花奈が好んでそこを通っていたこともわかったのだと語る。



「でさ、なんか落ち込んでるのが馬鹿らしくなってきて。用事済ませて帰ったら、ジャックいなくなってたんだ」



 そして、いつの間にか花奈の所へ帰ってきていた。
 確かに行方不明だったというのに、ジャックは汚れていなかった。


 そういうことだったのかと、花奈はジャックを撫でたくなる。



「気のせいかもしれないけど、ジャックが勇気くれた。元気になったから安心して帰ったのかなって」

「そうかもね」



 花奈はふと思って咲也を見つめた。



「じゃあ、なんで学校来ないの?」

「あ……それは、なんとなくタイミングが」

「ジャックが悲しんでるわ、きっと」

「……うん、わかってるけど」

「じゃあ、さ」



 花奈はその時、なぜそんな風に思ったのかはわからなかった。


 ただ、ジャックが心配して咲也のそばにいて前に進む勇気をくれたのだと言うのに、言い訳をして進むことを拒み続ける咲也が気に入らなかっただけ。


 ジャックの行動を、一週間を無駄にしたような気がしたから。



「どうかな? わたしの考え」

「本気で言ってるの? なんでおれのため――――」

「違う。ジャックのため」



 まるでジャックの後を継いだような気分だ。


 花奈にとっても、第一歩。
 咲也にとっては大きな一歩だ。



 *


 降っていた雪が花弁に変わった春の日。進級した花奈はホームルームが終わると、職員室の前にいた。


 それぞれが部活をするために教室を離れていき、廊下はあっという間に静かになる。



「失礼しました」



 待っていた人物が出てきたのを見て、花奈は笑う。



「行きましょうか、後輩くん」

「全く。カッコつかねえ」



 咲也は笑顔で花奈の隣に並ぶ。そのまま目的の場所に向かって歩き出す。


 ずっと学校を休んでいた咲也は、進級することはかなわなかった。


 一年からまたやり直すことになり、一度は退学を考える。しかし、花奈の説得で頑張ることを決意したのだった。



「花奈ちゃん、よかったの?」

「なにが?」

「部活だよ、部活」

「わたしが決めたこと。あそこにいたら辛いことを思い出すだけ」



 花奈は部活を辞めた。


 ジャックの最期を看取れなかったことは今でも傷として残っている。とても、あの場所ではやっていけないと思ったのだ。



「ここにきて、新しいことを始めるなんて強いな。花奈ちゃんは」

「ジャックのお陰よ」

「なんか妬けるな」

「なに、それ」



 咲也の顔がみるみる赤くなっていく。顔を見られないように背く咲也に、なぜか自分も熱くなる。
 真っ直ぐに目を見られなかった。



「一目惚れ。だけど、ずっと勇気なかったから」



 言葉を選びながら話す咲也。花奈は黙って聞いていた。



「……ずっと好きだった」



 咲也の言葉を聞いてはいたが、花奈は立ち止まらない。
 肩を落とした様子の咲也が再び横に並ぶ。



「ねえ、一つ聞いていい?」

「なに?」

「なんで、わたしのこと知ってたの?」

「ああ、言ってなかったっけ。商店街で花奈ちゃんとすれ違ったから。ジャックと散歩してる花奈ちゃん見つけてびっくりしたんだよ。花奈ちゃんのところの犬だったのかって」

「そうなんだ」

「揚げ物屋のおじさんが、花奈ちゃんって呼んでてさ。それで――――」



 外に出ると、すでに部活動を始めている姿がちらほらとあった。


 花奈は急ぎグラウンドを横切り、奥にあるテニスコートに足を踏み入れた。咲也もそれに続く。



 ――――ジャック。あなた、こうなることわかってた?



 すでに新入生や先輩たちがコートにいた。
 今日は挨拶だけなので、みんな制服を着たままだ。