「的井は恋愛してんの?」

「ゲホゲホッ……!」

先生が唐突にそんなことを聞いてくるから、コーヒーが気管に入ってしまった。


「大丈夫かよ」

先生は半分笑いながら、私の背中を擦ってくれている。



「な、なんですか、急に……」

「なにって普通の恋バナだろ」

「………」


先生が普段でも生徒たちとそういう話をしてることは知っていた。

先生は本当に友達みたいだから「お前誰と付き合ってんの?」とか「好きなのに告らないの?」とか躊躇なく聞いてくるらしいし、みんなも気軽に相談してる姿を目撃したことはある。


でも、だからって……私に聞く?



「してるわけないでしょ」

分かりきってることをわざわざ言わないでほしい。



「わけないって、なんでだよ」


「恋愛なんて違う星の人たちがするものだと思ってますから」


そもそもドラマでも映画でも小説でもラブストーリーは好まないし、どちらかといえば避けてるほう。


恋愛に関心がないから共感できないし感動もしない。

大半の女子たちが彼氏の話で盛り上がったりしてるけれど、つくづく私とは無縁のことだなって思ってる。





「寂しい考え方をするなよ。カメでも恋愛するっていうのに」


そう言って先生がカメの水槽を私の目の前に置いた。


日光浴ができてすっかりご機嫌になったカメは、ガリガリと爪を立てて水槽を登ろうと頑張っている。



「こいつ元々は2匹で飼われてたんだよ。でもメスのほうが病気で死んじゃって、暫くはすげえ落ち込んでたよ」


「……カメに感情があるんですか?」


「感情ってのがなにを指すのか俺は生物学を取ってないから詳しくないけど、人間以外の生き物にも感情脳が存在するらしいから、少なくとも嬉しいとか悲しいとかはカメでも鳥でも虫でも感じるんじゃないかって俺は思うよ」


先生は再び苦いコーヒーに口をつけた。



「でも決定的に人間とそれ以外の生き物の違いは、いくら寂しくてもムカついても憂さ晴らしができないってところだよな」


「憂さ晴らし、ですか?」


「だって人間は酒を飲んで嫌なことを忘れたりできるし、遊びにいって気分転換もできるだろ?贅沢だなって思わない?」



……贅沢、か。

そんなこと考えたこともなかった。けど、そういう考え方ができる先生が羨ましい。



「だから水槽の中でしか飼うことができないカメのために、せめて可愛い彼女でもまた探してやらなきゃなって思ってるんだけど」


先生は目を細めて、カメを愛しそうに見てた。





命を大切にできる人。

生き物の気持ちを分かろうとしてる人。

自分以外のものに優しくできる人。


それって、なんだか素敵な人。




「……先生は、彼女いるんですか?」


たぶん人生で同じ質問をしたのは、これが初めてかもしれない。



〝子供のお前には関係ない〟


しつこくすれば、そうやって心ごと拒絶されてしまう怖さを知っているから。



でも、今は聞きたいと思った。

はぐらかされても知りたいと思った。




「俺も可愛い彼女募集中」

先生ははっきりと答えてくれた。



モテる先生が誰とも付き合ってないなんて、すごく意外だ。

でも、もっと意外だったのは先生の答えを聞いて私は何故か少しホッとしていた。


なんでだろう。自分でもよく分からない。



「先生、コーヒーに変なものでも入れました?」

「なんでだよ」


ふわりと、準備室の窓から春の風が入ってくる。


暖かくて穏やかな昼休み。
 

チャイムがこのまま鳴らなければいいのに、なんて思ってることは先生には秘密だ。










黒板の右上に書かれていた〝五〟という数字が消えて、今日から六月になった。


月初め早々に衣替えというイベントがあり、全校生徒がブレザーからワイシャツへ。冬生地だったスカートも通気性のいい薄い生地のものに変わった。


去年も経験したけれど、やっぱり六月の初めはまだ暑いという感覚はなく、ワイシャツだと肌寒く感じるくらい。


そういう生徒は学校指定のベストなら着ていいことになっているので、私はもちろん着用して学校へと登校した。




「はいはい。みんな席につけー」


騒がしいクラスメイトたちを宥(なだ)めるようにして、郁巳先生は教壇に立つ。

今日は朝の点呼だけではなく、一時間目も引き続きホームルームをやることになっていた。その理由は……。




「では、体育祭の種目選抜を決めたいと思います!」


今までの決めごとは生徒たちに任せっきりだったのに、心なしか先生の目が輝いているように見える。






「えー体育祭とか面倒くさい」

「雨が降って中止になればいいと思います」

「バカ。体育祭こそ高校のメイン行事だろうが」


だらけているクラスメイトたちに先生が一喝した。

やる気満々の先生を見て「夏のボーナスが出たから機嫌がいいんじゃないか」とかみんなが色々と疑っていたけれど、そうではないらしい。



「優勝したら優勝旗がもらえるじゃん。あれ一年間教室に飾るのカッコよくない?」


先生が張り切っている理由はコレだったようだ。



「別にもらってもうちら得しないし」

「だったら食えるもんがいい」と、ごねるクラスメイトたちに先生は不適な笑みを浮かべた。




「分かった。じゃあ、優勝したら打ち上げ代は全部俺が出す!」


すると、みんなの声や表情が一気に変わった。



「まじで!?俺、焼き肉!」

「私はお寿司がいい!」

「食べ放題のイタリアン!」


どっと、うるさくなる生徒たちを見て先生はしてやったりって顔。

いや、もしかしたら今までの会話も全部想定どおりのシナリオだったのかもしれない。






やる気に火がついたクラスメイトたちの種目決めは早かった。


100メートル走や障害物競争などは体力や足に自信がある人たちが立候補してすぐに決まった。

また面倒なことを押し付けられたら、と不安に思っていたけれど、今回は大丈夫そうだ。



「まだ二個目の種目が決まってないヤツいる?」

先生に言われて、私を含めた数人が手を挙げた。



ひとり二つの種目に参加しなければいけない規則があり、私はすでに全員参加の玉入れに入っている。


枠が残っている種目は、綱引きとクラス対抗リレー。

もちろん私は綱引きだろうと油断していると……。




「俺、クラブ対抗のほうに出るからクラスリレー無理」

「あ、私も」



部活に所属してる人たちが次々と綱引きのほうへと流れていく。


どうしようと思っている間に、綱引きの選抜は満員になり、クラスリレーの女子二枠が残ってしまった。



「じゃあ、必然的に的井と城田(しろた)がリレーってことになるけどいい?」


先生の確認に、クラスメイトたちがざわつきはじめる。



「えー的井さんと城田さんがリレーってヤバくない?」

「足が速い人のほうがいいし、調整して決め直せば?」



私と一緒に残ってしまった城田さんとは話したことがない。けど、たしか名前は菜穂(なほ)だった気がする。







クラス対抗リレーと言えば体育祭の最後の見せ場の種目。

なぜそんなに目立つ競技が残ってしまったのかは分からないけれど、どう考えても私じゃ役不足だ。



「おいおい、的井と城田が足遅いってなんで決めつけるんだよ」


私は断りたいのに、先生がフォローする。



「体育の授業を見れば大体分かるじゃん」


「授業と体育祭は別物だよ。すげえ潜在能力が開花するかもしれねーだろうが」


せ、先生……?

待って。全然今は庇ってくれなくていい。


城田さんの意見は分からないけど、少なくとも私は参加したくない。



「いいじゃん、別に。菜穂のことうちらは全力で応援するし。ね?」と、城田さんの友達たちが後押しする。


そんな城田さんは「自信はないけど頑張るよ」と笑って受け入れていたけれど、机の下で強くなっていた握り拳に私は気づいた。



……城田さんって、もしかして……。


意識が別の方向へといっている中で、先生がゴホンッと咳払いをした。



「じゃあ、残りのクラス対抗リレーは城田と的井で決まり!異論があるヤツはいつでも俺のところに来い」


そう締め括ったと同時に、終業のチャイムが教室に鳴り響いた。






「異論があります」

「はやっ」


教室を出ていった先生を私はすぐに追いかけた。

 

先生の足は職員室ではなく人気のない非常階段で止まった。重圧な扉を閉めたあと、先生はすぐにタバコに火をつける。



「私、リレーなんて無理です。綱引きに代えてください」

「そう言われても定員がね」


切羽詰まる私とは真逆に、先生はタバコの煙を美味しそうに空へとはいた。



クラス対抗リレーの選抜なんて、冗談じゃない。


ただでさえ団結力が求められる体育祭は苦手だっていうのに、どうして一番目立つ競技に出なければいけないのか。

考えただけで、逃げたくなる。



「……私だけじゃなくて、たぶん城田さんもやりたくないと思います」


「的井が人に関心を持つなんて珍しい」

「……だって」


私の唇が途中で止まる。


城田さんのことはよく知らないけれど、さっきの雰囲気からしてなにかを我慢しているように感じた。

いつも一緒にいる友達は私から見れば派手な人たちばかりで、城田さんはその中だと落ち着いているほうだと思う。





「城田は自分に合ってる友達を分かってないんだよな」


非常階段の手すりに寄りかかりながら先生が言う。



教室で見てる限り城田さんはいじめられているわけではないし、邪険にされてるわけでもない。

でも、笑っていても笑っていないように感じたのは私だけじゃなかったようだ。



「お前はひとりでいることで自分を守ってるだろ?でも城田は自分を守るためにみんなといるって感じかな」


タバコの灰が散り散りになって、裏庭の土へと落下していく。


先生は、やっぱりすごい。

私のこともクラスメイトのこともしっかりと見ていてくれている。



「まあ、集団生活の中でぼっちが楽だって思ってんのはお前ぐらいだよ。大抵は怖がる」


心配しているのか、からかっているのか。先生はタバコを唇から離してフッと笑った。



「……友達なんて、しょせんなにか不都合があればすぐに離れていくものですよ」



私は実際にそれを経験した。


友達は作るものじゃなくて、選ぶもの。

だからコミュニケーション能力が乏しいと判断された私は弾かれた。


弾かれるぐらいなら、最初からひとりでいたほうがいいと思うのは当然のこと。