たしかキッカケは小学校の時の作文発表会だった。
元々人前に出るのは得意じゃなくて緊張しいだった私。もちろん前日は眠れずに本番は大失敗。
手に持っていた作文は落とすし、声はひっくり返るし、さらに恥ずかしさ顔はリンゴのように真っ赤っか。
案の定クラスメイトたちからは笑われて、私はそのまま貧血で倒れて保健室へと運ばれた。
その出来事以来、すっかり性格は引っ込み思案になってしまい、今ではもっと重症化。
人の目を見て話すこともできないし、話しかけられればたちまち身体がガチガチになるし、教室では誰とも馴染まずに空気のように過ごしていた。
「じゃあ、次。的井六花(まといろっか)さん」
「……はい」
私は名前を呼ばれて、自分にしか分からないような声で返事をした。
今日は新学年になると必ず行われる身体測定の日。
たしか去年も同じ時期にやった記憶があるけど、私は今と同様にひとりで列に並んでいた気がする。
高校に入学して一年が過ぎ、今年で二年生を迎えた。
変化したことと言えば教室が2階になったことと、くじ引きの席替えで運よく窓際の席になったこと以外は特にない。
身体測定で測ってもらった身長も体重も座高も去年と同じ。
移り変わっていくのは季節だけで、私は本当に変化のない人間だと思う。
「うわ、いくみん。身長178だって!」
「しかも体重63キロとかモデルかよ」
次の視力検査へと移動する廊下で、クラスメイトたちが騒いでいた。その中心には一際目立っている人物がひとり。
「俺のスペックにようやく気づいたか」
「うわ、いくみんが調子に乗ってる!」
みんなを取り囲むようにして話題を集めている〝彼〟を私は冷めた視線で見ていた。
去年から変わったこと。そういえばもうひとつだけあった。
彼の名前は――郁巳雅人。(いくみまさと)
見た目は大学生のように若いけれど、年齢は27歳でれっきとした二年一組の担任の先生だ。
生徒との距離は近くて、まるで友達同士のように接する先生はもちろん学校の人気者。
私はあまり興味がないけれど、他のクラスの生徒たちも「郁巳先生が担任で羨ましい」なんて口を揃えて言ってるし、男子からの女子からも慕われている存在。
「なあ、いくみん。どうやったらそんなに身長伸びるの?」
「地球の重力に逆らわずに生きてれば伸びるよ」
「なにそれ、ウケる!」
親しみやすい口調に、先生とは思えないラフな格好。
おまけにみんなからは〝いくみん〟なんてあだ名をつけられて敬語で話す人は誰もいない。
……正直私は、郁巳先生のことが苦手だ。
本当は去年みたいにベテランな先生が担任になってほしかったし、こうやって生徒の身体測定に混ざって自分も測ってもらってるなんて、大人としてなにを考えてるんだろうと呆れてしまう。
「ほら、次のクラスが来たから視力に移動」
「はーい!」
それでも反抗ばかりの生徒も郁巳先生の言葉になら素直に従う。
先生を先頭にぞろぞろとアヒルの群れみたいに移動するクラスメイトたち。私はもちろん一緒に群れることはなく、離れた場所でわざと歩くスピードを遅くしていた。
はあ……と、深いため息をついた瞬間、頭ひとつ飛び出ている先生と目が合った。
見た目は若くて先生らしくないのに、視線だけは浮いている私をすぐに見つける。
隙を見せれば話しかけられると思った私はすぐに瞳を逸らした。
……やっぱり嫌いだ。
郁巳先生のことも、こういう学校行事も、ひとりを好んでいるくせに堂々とできない自分のことも。
世界は孤独な人に優しくない。
だから協調性を求められる学校で、私の居場所は限られている。
午前授業を潰しての身体測定を終えて昼休み。食堂や購買へと走る生徒たちを横目に、私は人気(ひとけ)のない非常階段に向かった。
重圧な扉を開けると、そこには吹きさらしになっているコンクリートの踊り場。
銀色の手すりが落下防止のために取り付けられているだけで他にはないもない。
私は雑草だらけの裏庭を背にして踊り場に座り、手に持っていたお弁当を広げた。
ここは人の目も気にならないし、生徒たちの騒がしい声も聞こえない。だから昼休みになるといつもこの場所で昼食をとって、予鈴が鳴ってから教室に戻る。
私なりに考えた誰とも関わらなくて済む方法だ。
私は小さいお弁当箱から唐揚げ、ウインナー、卵焼きを順番に口に入れた。
お弁当は毎朝自分で作ってる。早起きは得意だし、ほとんど冷凍食品を詰めているだけだから手間はない。
黙々とおかずを口に運ぶ作業をしていると、すぐにお腹はいっぱいになってくる。
お弁当箱に入ってるおかずとは別に持ってきたおにぎり。中身は梅。安い小粒のやつ。
それもまたぱくりと一口食べて、梅が見えてきたところで私は手を止めた。
なんだかふと、梅おにぎりが自分の姿と重なった。
私は17年間一度も髪を染めたことはない。
顔を出すのが嫌だからショートにはしないけれど長いのも鬱陶しいので、ずっと肩までのセミロング。
生まれつきの直毛でまるで海苔が張り付いているみたいな髪型だし、きちんと第一ボタンまで閉められたブラウスは苦しいけれど決して外さない。
そして色味があるとすればブレザーからわずかに顔を出している赤のネクタイだけ。
黒、白、赤。
私のカラーは梅おにぎりと一緒。
垢抜けることなんてきっとこの先もない。それを宣言するかのように非常階段もまた日が当たらずに一年中じめじめとしている。
私にはお似合いの場所だ。
「なんだよ、お前。こんなところで飯食ってたのか」
突然声がしてドキッと心臓が跳ね上がる。
おそるおそる顔を上げると……そこには何故か郁巳先生が立っていた。
……な、なんで先生が?
バクバクと動揺する中で、先生はお構い無しに私の隣に並んで手すりに寄りかかった。
「いつもひとりで食ってんの?」
「………」
どうしよう。先生とふたりきりなんて無理。
そう頭で思っても力が抜けたように私は立ち去ることもできなかった。
誰も来ないだろうと油断してたこともあるけれど、非常階段の扉は重いから必ず音がする。
でも、今はまったく気づかなかった。
おそらく扉の開閉に手こずるのは私に力がないせいで、先生にとっては音ひとつ立てないぐらい容易いことなのだろう。
「ねえ、吸っていい?」
「……え?」
「いや、吸うわ。我慢の限界」
そう言って先生はポケットからタバコを取り出した。そしてライターで火をつけると、ふわりと甘い煙の匂いが私の鼻をかすめていく。
ふう、と空に向かって先生は何度も煙を吐く。
細いタバコを持っているせいか先生の手がやけに大きく見えて、タバコをこんなに近くで吸われたのも、タバコを吸う男の人の横顔を見たのも初めてだった。