あれは小学四年生のときのこと。
今から思えば、私は昔から不器用だった。
「小鳥ちゃん、鈴木くんと図書の受付をやってくれる?」
図書係はひとクラスから三人選ばれる。
活動としては週替わりで
昼休みと放課後に図書室の受付をする
くらいなのだけれど、
受付の人員はふたりなので
結果としてひとりあぶれる。
だから、あまった人間は
ほかのクラスの図書係の子と組まなければならない。
話しかけてきた彼女はそれが嫌だから
先手を打つように、私に
「ほかのクラスの子と組んでひとりになってほしい」
と、ひどいお願いをしてくる。
こういうとき、
「嫌だ」とか「私も同じクラスの子と組みたい」という
否定的な意見が頭に浮かんできてもすぐに消し去る。
私の中で誰かの意見や考えを拒むという行為は、
絶対にしてはならないことだった。
そう思うようになったのは、
いつからだっただろう。
共働きの両親は私が小さい頃から
家を空けることが多かった。
弟ができるまで、
私の話し相手はいつもクマのぬいぐるみ。
当然、話しかけても返答はなくて、
それが寂しくて仕方がなかった。
お父さんやお母さんに学校のことを話そうとしても
『今忙しいから』と口癖のように
つき放されてしまうので、
だんだん自分の話は面白くないのかもしれない、
どうせ聞いてもらえない、
それは私がつまらない人間だから、
私という存在に興味をもてないからなのだと
内気になっていった。
その弊害なのか、
私は思ったことを人に伝えることが苦手だ。
相手に好かれる方法ばかり探していたから、
自分から友達を作るなんておこがましくて論外だった。
だから本当はやりたくないことでも「いいよ」と
うけおって、友達になってくれた人から
嫌われないようにふるまうのが癖になっていた。
今回も、同じ図書係になった友人たちから、
「私たちふたりで受付をやりたいから
別のクラスの男の子と組んでほしい」なんて、
そんな理不尽なことを言われても
作り笑いを浮かべてうなずいてしまった。
普通はこういうとき、どうするんだろう。
やっぱり断るのかな。
だとしたら、普通のことができない私は、
ほかの人と比べて努力しなければ
誰にも好かれない欠陥品なんだろう。
そして、しぶしぶ組んだ鈴木くんという男の子は、
背が高くニコリともしない無愛想な子だった。
一緒に受付をしていてもひと言も会話はなく、
係の週が回ってくると昼休みと放課後の時間は
憂鬱で仕方なかった。
「係のとき、鈴木くんとどんな話をしてるの?」
ある日の昼休み、
図書係の三人で廊下で話していたら、こう聞かれた。
図書室の受付の仕事は先週で二回目を迎えたのだけれど、
鈴木くんとの仲は相変わらず進展がなかった。
カウンター席にふたりで座っていても、
会話がないから暗いムードが漂っている。
「えっと……鈴木くん怖くて、なにも話せてないんだ」
素直に思っていることを打ち明けた。
べつに彼のことが嫌いというわけではなく、
私は鈴木くんに限らず人が怖い。
会話がないからなにを考えてるのかわからないし、
私から変なことを言って嫌われたらどうしようって
思ったら言葉が出なくなる。
「嫌なことをされたの?
だったら、あたしたちが言ってあげるよ」
もしかしたら、私をひとりにしたことに
うしろめたい気持ちがあったのかもしれない。
私の言葉に過剰に反応し、勝手に想像を巡らせて、
女の子たちは鈴木くんのクラスへ駆けていく。
「えっ、そういうことじゃないの! だから待って!」
呼び止めたくてその背を追いかけるけれど、
すでにふたりは鈴木くんにつめ寄っているところだった。
「ちょっと、小鳥ちゃんをいじめないでよ」
「そうだよ、うちらの友達なんだから」
ふたりの勘違いに巻き込まれた鈴木くんは、
いぶかしむような表情でふたりを見下ろしていた。
「べつに、俺はなんもしてないけど」
「嘘だよ、小鳥ちゃんがいじめられたって
言ってたんだから!」
「ふざけんなよ、それこそ嘘だろ」
大きくなっていく言い合いの声と
集まってくる野次馬に足がすくんだけど、
混乱を招いた原因は口下手な自分にあるので
見て見ぬふりはできない。
「――あの、違うの!」
思いきって叫ぶと、
教室の入り口に立っている鈴木くんたちが
私を振り返った。
怖かったけど、みんなに近づいて深呼吸をした私は
しどろもどろになりながら事情を説明する。
「雰囲気が怖くて……その、話せなかっただけ。
イジメとかじゃないの……っ」
「なにそれ、小鳥ちゃん嘘ついたの?」
説明を終えた私にかけられたのは、
図書係の友達の冷たいひと言だった。
「嘘もなにも……私は鈴木くんとうまく話せないだけで、
嫌なことをされたなんて言ってないよ!」
私にしてはめずらしく、つい語気を強めてしまった。
普段めったに意見しない私が
はっきり主張したからだろう。
自分たちの先走った行動に気づいたらしい
友人のふたりは、ばつが悪そうな顔をする。
彼女たちにも、
勘違いさせるような私のもの言いのせいで
傷つけることになってしまった鈴木くんにも、
ちゃんとわかってもらおうと思いを伝える。
「ふたりは、私の話を最後まで聞かずに行っちゃったから……」
「うちらのせいみたいに言わないでよ」
私の言葉をさえぎった女の子の顔から、
表情が消えていくのがわかる。
説明は逆効果だったのかもしれない、
そう気づいたときにはすでに引き返せないところまで
関係にヒビが入っていた。
「あたしたちは小鳥ちゃんのために怒ってあげたのに、
小鳥ちゃんはあたしたちをかばってくれないんだ」
友人から、友人だったはずの彼女から向けられるのは、
子どもにもわかる確かな敵意。
鋭い眼光とトゲのある声から、
本能的に恐怖を感じる。
――怖い、怒らないで、嫌わないで。
そんな不安が胸の中にひたひたとにじんでいき、
やがて私の心を絶望で満たしていく。
「そうじゃないのっ」
――ひとりになりたくない。
ふるふると首を横に振り、
必死に誤解だと訴えようとしたら
喉が締まって苦しくなる。
「おまえ、俺を巻き込むなよ。
嫌なら係に行かねえから」
私を迷惑そうな表情でにらんだ鈴木くんは、
そう言って教室に戻ってしまう。
「ごめん、でも違っ……」
さっきから私は「そうじゃない」「違う」って
そればかりで、どんな弁解も彼らの心には
なにひとつ届かない。
「小鳥ちゃんって冷たいよね」
「友達だと思ってたのに」
つき刺さるような言葉のナイフを投げるだけ投げて、
私から離れていくふたりの友人の背に手を伸ばした。
「そうじゃない、違うの……」
廊下のまん中で立ちつくし、
私はほかの生徒たちの好奇の視線を浴びながら
つぶやくだけだった。
それしかできなかった。
これ以上どうすれば彼女たちの信頼を取り戻せるのか、
私にはわからなかったから。
この日から、鈴木くんは宣言どおり係に来なくなった。
友達のふたりは
「小鳥ちゃんが鈴木くんにいじめられたって言ったんだよ」
「私たちだってだまされたんだ」
と嘘を吹聴して、みんなの同情を買うと、
クラスで同調する仲間を増やしていった。
私は鈴木くんと仲のいい男子からも無視されるようになり、
クラスで疎外されるだけでなく、
学校でも完全にひとりになってしまった
そんなつもりはなかったのに、
鈴木くんを傷つけてしまった。
私の伝え方にも非があったと思うけれど、
信じていた友達は勝手に誤解して鈴木くんに
つめ寄ったくせに、私だけを悪者にした。
しかもそれだけでは飽きたらず、
私の悪いウワサを流して仲間を増やすために利用し、
簡単に裏切った。
これも私のひと言が招いたこと、
思いを口にするってなんて恐ろしいんだろう。
決して心が通いあっていたとは思えないけれど、
それまで一緒に行動する人がいた私は
物理的には孤独ではなかった。
表面上では人とぶつかることもなく、
平和だった私の「学校」というの名の世界。
それが言葉のすれ違いだけで、
瞬く間に戦場へと変わってしまった。
傷つきたくない、傷つけたくない、嫌われたくない。
だから話すのが怖い、人と関わるのが……怖いんだ。
今から思えば、私は昔から不器用だった。
「小鳥ちゃん、鈴木くんと図書の受付をやってくれる?」
図書係はひとクラスから三人選ばれる。
活動としては週替わりで
昼休みと放課後に図書室の受付をする
くらいなのだけれど、
受付の人員はふたりなので
結果としてひとりあぶれる。
だから、あまった人間は
ほかのクラスの図書係の子と組まなければならない。
話しかけてきた彼女はそれが嫌だから
先手を打つように、私に
「ほかのクラスの子と組んでひとりになってほしい」
と、ひどいお願いをしてくる。
こういうとき、
「嫌だ」とか「私も同じクラスの子と組みたい」という
否定的な意見が頭に浮かんできてもすぐに消し去る。
私の中で誰かの意見や考えを拒むという行為は、
絶対にしてはならないことだった。
そう思うようになったのは、
いつからだっただろう。
共働きの両親は私が小さい頃から
家を空けることが多かった。
弟ができるまで、
私の話し相手はいつもクマのぬいぐるみ。
当然、話しかけても返答はなくて、
それが寂しくて仕方がなかった。
お父さんやお母さんに学校のことを話そうとしても
『今忙しいから』と口癖のように
つき放されてしまうので、
だんだん自分の話は面白くないのかもしれない、
どうせ聞いてもらえない、
それは私がつまらない人間だから、
私という存在に興味をもてないからなのだと
内気になっていった。
その弊害なのか、
私は思ったことを人に伝えることが苦手だ。
相手に好かれる方法ばかり探していたから、
自分から友達を作るなんておこがましくて論外だった。
だから本当はやりたくないことでも「いいよ」と
うけおって、友達になってくれた人から
嫌われないようにふるまうのが癖になっていた。
今回も、同じ図書係になった友人たちから、
「私たちふたりで受付をやりたいから
別のクラスの男の子と組んでほしい」なんて、
そんな理不尽なことを言われても
作り笑いを浮かべてうなずいてしまった。
普通はこういうとき、どうするんだろう。
やっぱり断るのかな。
だとしたら、普通のことができない私は、
ほかの人と比べて努力しなければ
誰にも好かれない欠陥品なんだろう。
そして、しぶしぶ組んだ鈴木くんという男の子は、
背が高くニコリともしない無愛想な子だった。
一緒に受付をしていてもひと言も会話はなく、
係の週が回ってくると昼休みと放課後の時間は
憂鬱で仕方なかった。
「係のとき、鈴木くんとどんな話をしてるの?」
ある日の昼休み、
図書係の三人で廊下で話していたら、こう聞かれた。
図書室の受付の仕事は先週で二回目を迎えたのだけれど、
鈴木くんとの仲は相変わらず進展がなかった。
カウンター席にふたりで座っていても、
会話がないから暗いムードが漂っている。
「えっと……鈴木くん怖くて、なにも話せてないんだ」
素直に思っていることを打ち明けた。
べつに彼のことが嫌いというわけではなく、
私は鈴木くんに限らず人が怖い。
会話がないからなにを考えてるのかわからないし、
私から変なことを言って嫌われたらどうしようって
思ったら言葉が出なくなる。
「嫌なことをされたの?
だったら、あたしたちが言ってあげるよ」
もしかしたら、私をひとりにしたことに
うしろめたい気持ちがあったのかもしれない。
私の言葉に過剰に反応し、勝手に想像を巡らせて、
女の子たちは鈴木くんのクラスへ駆けていく。
「えっ、そういうことじゃないの! だから待って!」
呼び止めたくてその背を追いかけるけれど、
すでにふたりは鈴木くんにつめ寄っているところだった。
「ちょっと、小鳥ちゃんをいじめないでよ」
「そうだよ、うちらの友達なんだから」
ふたりの勘違いに巻き込まれた鈴木くんは、
いぶかしむような表情でふたりを見下ろしていた。
「べつに、俺はなんもしてないけど」
「嘘だよ、小鳥ちゃんがいじめられたって
言ってたんだから!」
「ふざけんなよ、それこそ嘘だろ」
大きくなっていく言い合いの声と
集まってくる野次馬に足がすくんだけど、
混乱を招いた原因は口下手な自分にあるので
見て見ぬふりはできない。
「――あの、違うの!」
思いきって叫ぶと、
教室の入り口に立っている鈴木くんたちが
私を振り返った。
怖かったけど、みんなに近づいて深呼吸をした私は
しどろもどろになりながら事情を説明する。
「雰囲気が怖くて……その、話せなかっただけ。
イジメとかじゃないの……っ」
「なにそれ、小鳥ちゃん嘘ついたの?」
説明を終えた私にかけられたのは、
図書係の友達の冷たいひと言だった。
「嘘もなにも……私は鈴木くんとうまく話せないだけで、
嫌なことをされたなんて言ってないよ!」
私にしてはめずらしく、つい語気を強めてしまった。
普段めったに意見しない私が
はっきり主張したからだろう。
自分たちの先走った行動に気づいたらしい
友人のふたりは、ばつが悪そうな顔をする。
彼女たちにも、
勘違いさせるような私のもの言いのせいで
傷つけることになってしまった鈴木くんにも、
ちゃんとわかってもらおうと思いを伝える。
「ふたりは、私の話を最後まで聞かずに行っちゃったから……」
「うちらのせいみたいに言わないでよ」
私の言葉をさえぎった女の子の顔から、
表情が消えていくのがわかる。
説明は逆効果だったのかもしれない、
そう気づいたときにはすでに引き返せないところまで
関係にヒビが入っていた。
「あたしたちは小鳥ちゃんのために怒ってあげたのに、
小鳥ちゃんはあたしたちをかばってくれないんだ」
友人から、友人だったはずの彼女から向けられるのは、
子どもにもわかる確かな敵意。
鋭い眼光とトゲのある声から、
本能的に恐怖を感じる。
――怖い、怒らないで、嫌わないで。
そんな不安が胸の中にひたひたとにじんでいき、
やがて私の心を絶望で満たしていく。
「そうじゃないのっ」
――ひとりになりたくない。
ふるふると首を横に振り、
必死に誤解だと訴えようとしたら
喉が締まって苦しくなる。
「おまえ、俺を巻き込むなよ。
嫌なら係に行かねえから」
私を迷惑そうな表情でにらんだ鈴木くんは、
そう言って教室に戻ってしまう。
「ごめん、でも違っ……」
さっきから私は「そうじゃない」「違う」って
そればかりで、どんな弁解も彼らの心には
なにひとつ届かない。
「小鳥ちゃんって冷たいよね」
「友達だと思ってたのに」
つき刺さるような言葉のナイフを投げるだけ投げて、
私から離れていくふたりの友人の背に手を伸ばした。
「そうじゃない、違うの……」
廊下のまん中で立ちつくし、
私はほかの生徒たちの好奇の視線を浴びながら
つぶやくだけだった。
それしかできなかった。
これ以上どうすれば彼女たちの信頼を取り戻せるのか、
私にはわからなかったから。
この日から、鈴木くんは宣言どおり係に来なくなった。
友達のふたりは
「小鳥ちゃんが鈴木くんにいじめられたって言ったんだよ」
「私たちだってだまされたんだ」
と嘘を吹聴して、みんなの同情を買うと、
クラスで同調する仲間を増やしていった。
私は鈴木くんと仲のいい男子からも無視されるようになり、
クラスで疎外されるだけでなく、
学校でも完全にひとりになってしまった
そんなつもりはなかったのに、
鈴木くんを傷つけてしまった。
私の伝え方にも非があったと思うけれど、
信じていた友達は勝手に誤解して鈴木くんに
つめ寄ったくせに、私だけを悪者にした。
しかもそれだけでは飽きたらず、
私の悪いウワサを流して仲間を増やすために利用し、
簡単に裏切った。
これも私のひと言が招いたこと、
思いを口にするってなんて恐ろしいんだろう。
決して心が通いあっていたとは思えないけれど、
それまで一緒に行動する人がいた私は
物理的には孤独ではなかった。
表面上では人とぶつかることもなく、
平和だった私の「学校」というの名の世界。
それが言葉のすれ違いだけで、
瞬く間に戦場へと変わってしまった。
傷つきたくない、傷つけたくない、嫌われたくない。
だから話すのが怖い、人と関わるのが……怖いんだ。