しかし、いざエスケープするとなると、やっぱり気が重くなってくる。
 

別に、向日葵がどうとかの問題じゃなくて、俺自身の問題だ。
 

エスケープした後にのこのこ家に帰ったら、たぶん母さんはものすごい勢いで、俺を罵倒するだろう。

怒るんじゃない、罵倒だ。
 

怒るというのは教育の一環で、その子のためを思って怒鳴るわけだから。

でも、多分母さんは、自分の子供が自分に従わなかった、自分の子供が最悪の順位を獲得してしまった(出場を辞退した場合には、順位は最下位になる)と、自分自身のプライドが崩れることにショックを受け、崩れたのは俺のせいだと責める。
 

操り人形が自分に従わなくなり、怒りに任せ操り人形を壊す操り人形師、といった状況が、一番比喩として最適だろう。
 

でも…。
 

『観客にも、ピアノにも、日向君自身にも失礼だよね』
 

…そうだ。母さんや俺がどうこうの前に、観客に失礼だ。
 

先生も言っていた。自分の演奏に私情を織り交ぜてしまった、それは演奏家として一番やっちゃいけない事だ、と。
 

もしも、それが演奏家として本当の事なら、俺は多分、コンクールでそのあるまじきことをしてしまうだろう。


だったら、エスケープしてしまうのもいいかもしれない。
 

今まで、十分俺は母さんの期待に応えてきた。一人になろうと、罵倒されようと、一生懸命頑張ってきた。
 

でも、もう疲れた。