「あ、そうだ。今日はありがとう」

沈黙が降りると貴時は手を止め、深く頭を下げる。

「それは無事帰れてから言った方がいいよ」

「送り迎えもそうなんだけど、」

溶け始めたアイスクリームを、とりあえずすくって口に入れて続ける。

「指導対局のとき、河村さんを連れて行ってくれたでしょ?」

「ああ、あれね」

河村のことなど、緋咲はすっかり忘れていた。
それより溶けるアイスクリームをスプーンですくう方が大事だ。

「たまにいるんだ。指導してるのに後ろからいろいろ言ってきたり、ものすごく近くで覗き込んだりする人」

指導対局のやり方は、基本的に棋士に委ねられている。
棋士と指導を受ける人がやり取りして、その日の方針を決めているのだ。
従って、例えおかしな手を指したり気になることがあっても、外野から口を挟むのはマナー違反。
時間とお金をかけて指導を受けている人の権利を奪う行為なのだ。
それでも指導対局を観覧すること自体は自由なので、棋士やスタッフはなかなか厳しく対応できない。
そこは個人のモラルに頼っているのが現状だった。

「河村さんには指導中だからってやんわり言ったんだけど聞いてくれなくて」

「あの人、話聞かないからね」

「本当に困ってたから助かった」

「助けるつもりじゃなくて、単に流れっていうか、自然とああなっただけなんだけど」

あれが河村ではなくまったく知らない人だったら、緋咲では場を収められなかっただろう。
うまくいったのは結果論だ。

「大槻先生なんか感心してたよ。『見事な手腕だ』って」

「えへへ、そう? じゃあそういうことにしておいて」

「あ、ごめん。『多分たまたまです』って言っちゃった」

「あんた、私に感謝してるんじゃなかったの?」

ブルーベリーヨーグルトは甘いのにさっぱりとして、するすると喉を通っていく。
溶けるペースに合わせてスプーンを動かすから、あっという間に半分ほどになっていた。