昼食を終えた緋咲は、ミルクティーの紙コップも片付け、貴時より20分遅れでホールに戻った。
指導対局は始まっていて、貴時は真剣な顔で指したり、少し悩みながら質問に答えたり、目線を合わせやさしい表情で話しかけたりしていた。
その様子を見守る人たちもたくさんいて、参加者と一緒になって貴時の話しに聞き入っている人もいる。
小学生の後ろには父親らしき男性が立っていることもある。
参加者以外もあんなに近くで観覧してもいいのだとわかったけれど、緋咲にそんな勇気はなく、結局遠目に貴時を追うばかりだった。

さすがに少し疲れた緋咲は、車で二時間ほど休憩してからホールに戻った。
指導対局は三組目に入っていて、これが終わればイベントもまもなく終了となる。

貴時は、参加者ではなく、その後ろに立つ男性と何か話していた。
しばらく見ていても、男性は一向にそこから動く気配がない。
連れている男の子も飽きてTシャツの裾を引っ張っているけれど、構わず話し込んでいる。
自分の指し手に悩んでいる参加者はいいけれど、すでに指し終って貴時を待っている人は、不機嫌そうにその様子を見ていた。
時折貴時も、参加者たちに目を向ける。
困っているのだな、と緋咲は感じたし、スタッフもそわそわして見ているのに、誰も出てこようとしなかった。
一体何を話しているのだろうと、緋咲はゆっくり近づいていった。

「あれ? 河村さん!」

横から男性の顔を覗き込んで、緋咲は思わず声を上げた。

「お久しぶりです。お元気でしたか?」

男性も緋咲を見て表情を明るくしたけれど、言葉に詰まっている。

「久しぶり。えーっと、えーっと」

「301の守口緋咲です」

「そうだった、緋咲ちゃん! 懐かしいなあ。元気だった?」

「はい。おかげさまで」

河村に笑顔を向ける視界の端で、貴時がそっとその場を離れ、小走りで席を移動していくのが見えた。

「今日はお子さんの遊び相手ですか?」

「そうなんだよ。それでついでに寄ったら見たことある子が将棋やってたから」

河村は数年前まで緋咲たちと同じ団地に住んでいた。202号室で、緋咲の家からは斜め下、貴時の家の真上にあたる部屋だった。

当時から河村は、悪気はないのだが、自己中心的なところがあって、資源ゴミを回収日の10日以上前から出したりして、問題となっていた。
やんわり注意しても「生ゴミじゃないから問題ない」と聞き入れてもらえず、河村が引っ越すまで結局直らなかった。

「こんにちは」

河村の隣で緋咲を見上げていた男の子に挨拶すると、途端に河村の背中に隠れてしまった。
2~3歳だろうか。
河村が団地にいたときには生まれていなかったため、緋咲とは初対面。

「あっちにおっきい将棋あるんだけど、見に行かない?」

男の子は返事をしなかったけれど、河村が興味を持って、キッズスペースに移動した。