「そう。勘違いさせたならごめん。
……俺、花の絵描くの好きだから、そういうの結構知ってて」


「……たしかに、花ばっかり描いてるよね」


「……?知ってるの?」



学校中知っているか、と言われるとどうかはわからないけど。



彼は、自分が校内で結構有名なのを知らないのだろうか。



少なくとも、この美術部で知らない人は絶対にいないと思う。



美術部じゃなくても、同学年なら噂で知っているという人が大半だろう。



もう何度もコンクールで賞を取っているし、さらにイケメンときた。


……そりゃあ、有名にもなるよね。



体育館で表彰されていた時に、周りの人が「あの人イケメンじゃない?」と囁き合っていたのを覚えている。



……と、いうか。



今の言い草といい、さっきの職員室での出来事といい、何かおかしくない……?


違和感を感じて、やっと心臓が落ち着いてきた私は、ゆっくりと成宮くんを振り返る。


きょとんとした成宮くんと目があった。



それから、視線を少しずつ下にずらしていく。



……成宮くんの手には、今さっき準備したばかりの私の絵の具が握られていた。



『エリカ』と、1つ1つに名前が書いてあるやつだ。





「あの……私。美術部だからね?」


「え。…………。ごめん、知らなかった」



…………やっぱりかあ〜!



さっきから、どうもおかしいと思った。



だって、美術部だって知っていれば職員室に鍵を取りに来てたのも不思議に思わないだろうし。



自分のことを知ってても何ら不思議じゃないはずだもん。



妙に会話が噛み合わなかったのはそのせいか。



もう一年半も同じ教室で絵を描いてきて、それでも覚えられていないっていうのはちょっとアレだけど……。


やっぱり、成宮くんほどの天才となると周りの人なんていちいち気にしていないのかな。


周りの目を気にしてしまう私とは違って。



成宮くんはちょっと申し訳なさそうに、目をそらしながら手を後頭部に当てる。




「……俺、人の顔とか、名前とか覚えるの苦手で……ごめん」


「いいよ。私、目立たないし」



ずっと黙っているわけじゃないし、暗いわけでもないと思うけれど。


積極的に話す方でもなければ、成宮くんを絶賛する人々に混じって声を上げるタイプでもないから、そりゃあ目立たないだろう。



……いや、もしかしたら人には暗いと思われているのかもしれない。


それは、わからないけど。



私はいつも、感情を素直に表に出すのが苦手で。


今だって『やっぱりか〜!』なんて心では思っているけど、多分表情はあんまり変わってない。


……人からするとわかりにくいんだろうなって、自覚はある。


でも、どうすればいいのかよくわからなくて。人との接し方が、いまいちピンとこなくて。



だからかな。成宮くんの『孤独。寂しさ』って言葉が、やけに頭に残っている。







気付いたら私は、無意識に口を開いていた。



「私なんかにはぴったりかもね」


「え?」


「エリカの花言葉」


「……どうして?」


「一人だから。寂しいから」


「友達、いないの?」


「いるよ。クラスにも、美術部にも」


「……?じゃあ、一人じゃない」


「うん。一人じゃないよ」


「…………。何が言いたいのか、理解できない」


「……ごめんね。なんでもないよ、忘れて」



眉をひそめて怪訝な顔をする成宮くんに、自嘲気味に笑顔を返す。



……あぁ、なんでこんなこと言っちゃったんだろう。


今まで、誰にも気付かれないように隠してきたのに。



一回、言い当てられたと勘違いしたせいか。


それとも、私が成宮くんを良く思っていないからか。


または、成宮くんの浮世離れした雰囲気のせいか。


ずっと心に秘めていた言葉が、ポロリとこぼれ落ちてしまった。



なかったことにしたくて、私は何もなかったように絵に向き直って筆をとる。


えぇと……とりあえず、青をだそう。



気持ちを落ち着けるように、青い絵の具をパレットに広げた。



そんな私を見てか、しばらくして、後ろでも画材を準備しだすような音が聞こえてきた。



よかった……。


もしこれ以上言及されたら、どうしようかと思った。


できることなら、本当に忘れてくれはしないだろうか。



意味のわからない私の妄言なんて、丸めて今すぐにゴミ箱に捨てて欲しい。


今になって、人前でこんなことを漏らしてしまった自分が恥ずかしくなってきた。



ちょっと暑いような気がして、立ち上がって窓を開ける。



……そういえば、成宮くんの表情が変わったの、初めて見たな。



いつも無表情な彼の、眉をひそめた怪訝な顔。


あと、ちょっと申し訳なさそうな顔も見たか。


間違いなくレアだ。



成宮くんにも表情、あるんだなぁ。


なんとなく失礼なことを思いつつ、パレットに新たな色を足す。



青一色だったパレットに、少しだけ紫が混じった。














「ねぇエリカ。ちょっとおつかい行ってきてくれない?」



日曜日、家でゴロゴロしていた私にそう話しかけてきたのはお化粧途中のお母さんだった。


お化粧はまだ完成していないようで、お母さんは片手に何か化粧道具を持っているけれど。


私には十分完成しているように見えるのだから不思議だ。



そもそもそんなに濃いメイクをするわけじゃないんだから、してもしなくてもあんまり変わらなくない?


お母さんにそう言ったことがあるけれど、絶対変わる!と即座に否定されてしまった。



ほんのちょっとの外出、例えばコンビニに行くだけでも必ずメイクをするお母さん。


メイクをしたことのない私にはわからない感覚だ。



「えぇ〜。お母さん今日仕事でしょ?
帰りに寄ってこればいいじゃん」


「それじゃあ間に合わないのよ!
これなんだけどね、今日までだったのすっかり忘れてて」



渋る私にお母さんが押し付けてきたチラシには、たくさんのメイク道具が載っていて。


その中のセール品と書かれている1つのファンデーションに、赤い丸が大きく付けられていた。


見ると、その店の閉店時間は6時半と書かれている。


7時過ぎ、遅い時は8時を回ったころに帰ってくることもあるお母さんでは、確かに間に合わないだろうけど。



でも、ちょっとお使いって程度じゃない。


だってこの店、電車に乗らないといけないような、隣町の店って書いてあるんだよ?



歩いていける近所の店ならまだしも、隣町って。


行ったこともないよ、そんな場所。






「どうしても今買わなきゃダメ?
今日、出かけるつもりなかったんだけど」


「お願い!多めに渡すから、余ったお金で好きなもの買ってきていいし!
ファンデーションもうすぐ切れちゃうのよ〜!」


「はぁ……。今日の晩ご飯、卵焼き作ってよね」


「いつものやつね!了解!」



はぁ…………。


ウインクを残して慌ただしく洗面所に戻っていったお母さんに、再度ため息をつく。



いつもなら、日曜日なんてもっと遅くまで寝てるのに。


今日に限って朝の、まだお母さんが仕事に出かける前に起きてしまったのが運の尽きだ。



チラシに書いてある住所をスマホで調べてみると、高校とは逆方面で、距離的には高校よりも遠いらしかった。


私の家から高校までは電車込みで約30分。往復1時間。


それよりもかかるとか……今日は一日ゴロゴロする予定だったのに!



その店の最寄駅からもそこそこ歩くみたいだし、道に迷いそうだよ。


基本絵を描いたりとインドア派の私は、活動範囲が狭い。


だから余計、初めて行く場所なんて調べて行っても迷うことがある。


……方向音痴は否定しない。



だって、入り組んだ道の地図を見たって、わかんないじゃんそんなの。


最近のスマホは現在地を表示してくれるからなんとかなっているけど、紙の地図だったら絶対に迷う自信がある。



「じゃあお母さん行ってくるから!
テーブルにお金置いといたから、頼んだわよー!」


「はーい。いってらっしゃーい!」



玄関からの大声に返事を返して、時計を見る。


……お母さん、大丈夫かなぁ。


いつもお母さんが出かける時間より10分くらい遅いけど。


仕事に遅刻したりしないよね?



若干心配になりつつ、はぁ、と3度目のため息をつく。




外でお昼を食べるのも面倒だし、もうちょっとのんびりして、お昼を食べてからすぐに出かけようかな。


それでさっさと行って、さっさと終わらせよう。


善は急げって言うしね。


いや、こういう時に使うのが正しいのかはわからないし、全然急いでない気もするけど。



どうでもいいセルフツッコミをしながら、私はもう一度ベッドに顔を埋めた。















「えーっと……?こっち?」



結局全然行く気が起きなくて、随分とゆっくりした結果、午後3時過ぎ。



のろのろと家を出てきた私は、電車に揺られてたどり着いた駅で、さっそくスマホと格闘している。



えぇと。一番出口から出て、コンビニが右手に見える方を前に進めばいいから……こっちかな。



行き交う人々は、迷うこともなくまっすぐ歩いて行くけれど。


大人は、仕事の関係で知らない土地に行かなきゃいけないこともあるんだよね。


そういう時って、やっぱり迷うのかな?



でも、人の多い駅なんかでもみんなやっぱり迷いなく歩いているように見える。



その中には今日初めてこの街に来たっていう人もいるんだろうか。


いるんだとしたら、すごいなぁ。



将来、車とか運転できるのかなあ、私。


車なんて大きなものを操作しながら地図を読むなんて、できそうにないんだけど。


……私が車に乗る頃には、もっとコンピュータの性能があがってたりしないかな。


ほら、運転しなくても目的地まで勝手に行ってくれるとか。


今のカーナビはだって、アナウンスしてくれるのがちょっと遅い時とかあるんだもん。


『次の交差点、右に曲がります』なんて、丁度交差点に差し掛かった時に言われたって遅いよね。


後部座席から聞いてて思うけど、お父さんもお母さんもよくあれで運転できるよなぁ。


お父さんなんてカーナビほとんど使わずに運転してるイメージだし、世の中のドライバーはみんな頭に超高性能地図でも入ってるの?



それとも、運転してみれば何か変わるんだろうか。


意外とすんなりできるものなのかな。


まったく想像つかないけど。







「あれ……本当にこっちであってる?」



色々考えながらしばらく歩いていたけれど、なんだかだんだん人気のない方に迷い込んで行ってる気がして、足を止める。



さっきまではすれ違う人もいたのに、今はあんまりいない。


というか、大通りから住宅街に入ってしまったらしい。


周りを改めて見渡すと、そこにはたくさんの一軒家が立ち並んでいる。


丁度仕事に出払うような時間帯だから、人通りが少ないのだろう。



一本曲がる道間違えたのかな……。



一旦来た道を戻ろうと、くるりと踵を返す。






「……えっ……!なにあれ。温室!?」



振り向いた瞬間、私は右側に見えた家……というか、その横に建っている小屋に釘付けになった。



スマホばっかり見ていて気付かなかったけど。


丁度私が今通り過ぎたばかりだった家の横にはなにか白い建物があって、そのガラスの向こうにたくさんの花や葉っぱが見える。


円柱に屋根が乗ったような形をしたその小屋は、いろんな色をギュッと詰めた魔法の瓶みたいだ。



思わずその家に駆け寄る。



こんな家、本当にあるんだ!


すごい。外から見ただけで綺麗!


中から見たら一体どんな景色なんだろう?



人の敷地に勝手に入るわけにもいかず、敷地外から背伸びをして中を覗く。



中で咲いている花たちは全く名前も知らないようなものばかりで、様々な種類、色とりどりの花が顔を揃えている。


あ。あの赤い花、すごい綺麗!


一輪一輪が大きなその花は、たくさんの花の中でも一際存在感を放っている。


なんていう花なんだろう?


あれ、絵に描きたいなぁ。



中に人は見当たらない。



ただ、この温室にはまだ奥があるようで。


たくさんの植物で隠れているけれど、その奥に続く道が私の好奇心をくすぐる。



植物が好きな人の家なのかな。


どれもこれも綺麗に手入れされていて、すべての花が生き生きと輝いて見える。



天井もガラス張りになっているところがあって、光が差し込んですごく綺麗だ。



いいなぁ、こんな家!


私の家はそもそもマンションだから、温室なんて夢のまた夢なんだけどね。





そろそろ覗くのもほどほどにしておかないと通報されそうで、ゆっくりと来た道を歩き出す。


目線だけはなかなか外せなくて、ずっと温室の方を見たままだけど。



この道、人通り少なくてよかったなぁ。


人の家を背伸びして覗くなんて、普通に不審者だよ。


あと、中に人がいなくてよかった。


もし目があったりしたら、それこそ通報ものだもんね。



「あのさ」


「っふぇっ!!!?」



なっ、なに!?


いきなり進路方向から聞こえてきた低めの声に素っ頓狂な声が出てしまったその勢いのまま、条件反射のようにバッと勢いよく顔を向ける。



少しだけ目を見開いた顔と目が合った。



……その瞬間、目をもっと大きく見開いたのは私のほうだ。



いや、近っっ!?


横を向いて歩いていたせいで、あとちょっとでぶつかりそうな今の距離まで私は気付かなかったらしい。


声をかけてくれていなかったら、絶対ぶつかっていた。



……でも、それより断然驚いたことがあって。



「な……る、みやくん?」


「そうだけど」


「…………え、なんで?」



頭が一向についていかない私と違って、彼の顔はすでに無表情に戻っている。



学校でしか見かけたことのない成宮くんの、初めての私服を見てしまった。


白いワイシャツに黒いズボンという、学校の制服となんら変わらないオシャレでもなんでもない格好。


なのに、なんでこんなにカッコいいんだ。



学校にいるときよりちょっと首元のボタンが開けられているからか、それともいつもはズボンにインしているシャツが緩く出されているからか。


いつもと同じような服装なのに、いつもと違ってラフに着こなして軽く腕を捲ってコンビニ袋を片腕に下げて立っている姿は、なぜかすごく様になっている。



……いやいや、別に、だからといってどうということはないんだけど。





ちょっとでもカッコいいと思ってしまったことが悔しくて慌てて頭の中で否定していると、成宮くんから思わぬ言葉が飛び出た。



「エリカ……って、よく人にぶつかるの?」


「えっ。そ、そんなことはないけど……」


「そう?……俺、ついこないだもこんなことあった気がするから」


「うっ……それはその……なんか、ぼんやりしてる時に限って成宮くんが前にいてですね…」



……我ながら説得力ないな。


前回思いっきりぶつかったのはほんの数日前の話だし。


こんな短期間に二度もやっていたら、そう思うのも無理はないよね。



……いや、断固として否定しておきたいところではあるけど。



「っていうか。……もしかして今の、見てた?」


「……人の家、覗いてるのを?」


「…………あぁ〜……」



成宮くんの淡々とした返事に脱力する。



か、完全に見られてた……。


誰もいないと思ってたのに、知り合い……しかも、よりにもよってあの成宮くんがいたとは。


最悪だ。


例えるなら天敵に弱みを見せてしまったような、そんな気分。


恥ずかしい。『穴があったら入りたい』っていうのはこういう時に使うのか〜って納得しちゃうほど恥ずかしい。



私、完全に変な子確定じゃん……。


ただでさえ、ついこの間知り合った……というか、存在を認識されたばっかりなのに。


さっそく『エリカ=よく人にぶつかる、他人の家を覗いてたおかしい人』なんてイメージがついちゃうのは、天敵相手でもさすがに嫌だよ。


さっそくじゃなくても成宮くんじゃなくても、そんなの嫌だけど!