「やっぱすごいや……今回も金賞間違いなしだね!」


「いやほんと、これで金賞じゃなかったら審査員の見る目がないって!」


「マジそれな〜?」



そっとセイジの方を覗き見ると、ちょうどセイジも絵が完成したところのようで、周りの部員がわいわいと騒いでいた。


あ、セイジ、困ってる。


学校にいるセイジは温室にいる時よりもずっとずっと無表情だけれど、それでもなんとなく感情がわかった。



昔は何を考えているのか全然わかんないなと思っていたものだけど、セイジは元来素直な表現をする方だし、そうしていない時だってよく見たらちゃんと変化がある。


私がただ目を逸らしていただけだ。



「……そんなことはないよ。
それじゃ、先生に見せに行くから」



返答に困ったセイジはそれだけポツリと言い残して、先生のもとへと逃げていった。



間違いなくセイジの絵はすごいし、私もきっと金賞なのだろうなと思うけれど、面と向かってそう言われる気苦労は計り知れない。


だってこんなにもてはやされておいて、もし何かの間違いで金賞を逃したら、何を言われるのか、どう思われるのか。


そのプレッシャーを常に背負いながら絵を描いているのだと思うと、なるほど確かに、他の人から見られながら描くくらいはなんてことないのだろうなと思った。






「はー……、クールでカッコいいなあ……」


「あ〜あ〜また見惚れちゃってぇ。
もう告白しちゃえばいいのに!」


「え!で、でも、もしかしたら彼女とかいるかもだし……」


「そんな感じしなくな〜い?絵一筋ってカンジで。
一緒のクラスっしょ?女と喋ってるとこ見たことある?」


「それは……あんまりないかも……」


「ならやっぱいないんじゃん?
いいじゃんいいじゃん、狙いどきっしょ!
いっちゃいなよ!」


「うぅ〜……!」



近くの席から、そんな話し声が聞こえてくる。



……今の、もしかしなくてもセイジのことだよね。


そりゃあ、天才的に絵が上手くて、芸術品かってくらい整った顔で、ちょっと不思議な雰囲気で、落ち着きがあって、お金持ちのお家で……って、それだけ条件揃ってれば、女の子が放っておくわけがない。


いつか、セイジを見てカッコいいと囁き合っていた女の子たちを見たこともあったし。


それは元々わかっていたつもりだけど……。



“告白”の2文字を含む会話に、ついドキリとしてしまった。






セイジって、告白されたことはあるのかな。


誰かと付き合ってたこと、あるのかな。


絵以外のことには無頓着で、でも幼馴染だという女の子が連れ回す時はちゃんと荷物持ちに付き合ってあげるらしくて、そして温室にいる時は無邪気で優しくて柔らかい。


そんなセイジが好きになるのはどういう人なんだろう。


好きな人の前ではどんな感じなんだろう。




……今の子、同じクラスなんだ。


いいなあ。


クラスの中のセイジは、どんな風なんだろう。



告白は……するんだろうか。


もし告白して、成功してしまえば、きっともう私はあの温室には行けなくなる。


今の特等席には、いられなくなる。


だってそもそも私が今あそこにいられるのは、私がいることで描ける絵の幅が広がっているから、セイジはそれを面白がっているのであって。


彼女ができたら、その役目は彼女のものになるのだろう。


その前に、その目新しさがなくなって、役目自体がなくなる可能性だってある。


恋愛的な要素のない、絵だけで繋がった関係。




胸が、チクリとした。








時は日曜日。夕方頃。


いつものようにセイジの家で過ごしていた私は、1人キッチンで飲み物を注いでいた。



今この家には、私1人しかいない。


セイジは元気がない花があるからと、1時間ほど前からフラワーフロアに相談に行っている。


今までもコンビニに行くなどで度々留守を任されることはあったが、ここまで長いのは初めてだ。


長くなるようなら念のため私も一緒に行くか、外に出ていようかと申し出はしたけれど、セイジはにっこり笑って「クレオメも終盤でしょ?描いててよ。早く見たいし」と立ち上がりかけた私を制止した。


もちろん私に悪さをするようなつもりは一切ないし、留守を預けるくらい信頼してもらえてるのは嬉しい。


でも、もうちょっとセイジは人を疑うということを知った方がいいような気もした。



……現に、クレオメを描き終えた私は手持ち無沙汰になってしまい、ふと湧き出てしまった“家の探検でもしてやろうかな”という煩悩を抑えながら飲み物を注いでいるのだから。


ここに通うようになってからというものの、セイジは家の全てを自由に行き来することを許してくれていて、温室、アトリエを拠点に、時折こうしてキッチンに来たり、過去の絵がしまってある地下室に行ったり、廊下を眺めたりしている。


しかし、特に用事のない他の部屋、特に2階は一度セイジが倒れた時に入ったっきりで、完全に未知の世界だ。




やっぱり気になるのは……そう、セイジの部屋だよね。


ここに住んでいる以上、どこかには寝泊まりしている部屋があるんだろう。


ろくに電気もつけていない家の有り様を見るに、もしかしたら部屋も無頓着な感じなのかもしれないが、それでも好きな人の部屋というのは気になってしまう。



今なら、ちょっとくらい覗いてもバレないかも———。



そんな邪な気持ちを抑えつけ、すっかり使い慣れたうさぎのコップにミルクティーが十分注がれたのを確認すると、もちろん探検なんてことはせず、まっすぐアトリエに戻る。






「…………えっ」



アトリエに戻った私の第一声は、それだった。


当然のように無人だと思っていたアトリエ。


しかしそこには、先ほどまではいなかったはずの、金色の髪の毛を可愛くくるくるのツインテールに結んだ女の子が立っていた。



ぱっちりまつ毛にうるうるのリップ。


血色感のあるチークが、白くて綺麗な肌をより際立たせていた。



あの制服は黄野高校だ。


ここら辺でよく見かける特別可愛い制服をよく着こなした彼女は、周りの花も相まって、おしゃれな雑誌の1ページから飛び出してきたのではないかと思うほどだった。



その子は後ろで手を組みながら、先ほど描きあげたクレオメをじーっと見ている。



甘い顔立ちで、いかにも可憐で守ってあげたくなるような女の子。


あんな顔で甘えられたら、女の私でさえメロメロになってしまいそうだ。



しかし、なんだろう。以前どこかで見たような……?


ほのかに既視感を感じるものの、どこで見たのかは思い出せない。



知り合い……?


いや、それはないか。


こんなに可愛い子、一回話したら忘れないだろう。



だとすると……どこかで見かけた……?




そこまで考えたところで、私の思考は止まった。


唐突に、私の視線を感じたのか、女の子が顔を上げてこちらを見たのだ。


未だ驚きの余韻で固まったままの私と、大きくてつぶらな瞳を持つ彼女の視線がバチっとぶつかる。




瞬間、彼女は思いっきり顔をしかめた。





「……誰アンタ」



トゲトゲしい口調が私を貫く。



「えと……私は……その」



見た目の印象からは想像もしていなかったキツめの口調につい狼狽えてしまい、目が泳ぐ。



私は……えっと、何なんだろう……?


友達……?でいいのかな。


それとも共同制作者?絵の協力者?



咄嗟に上手い語句が見つからず、口ごもる。



すると彼女はそんな私に不信感を抱いたのか、ますますその顔は険しくなっていった。



「え何?泥棒?」


「えっ!?」


「てかそのコップあたしのなんだけど。
勝手に使わないでくんない?」


「あ、えっと、あの……」



次々と強めの口調で言葉を投げかけられ、何も言えなくなってしまう。


さっきまでの可憐な雰囲気はどこへやら、その子のまとう空気は紛うことなき“強い女”だった。


普段関わることのないタイプの子の登場に、完全に萎縮してしまう。



ど、どうしよう。


なんて説明すればいい……?



なおも私を睨んでいる女の子と目を合わせることができなくて、下を向く。


何も言わないと不審がられたままだし、何か言わなくちゃいけないと思うのに、ぐるぐると混乱した頭からは何も言葉が出てこなかった。





「ただいま。ごめんエリカ、ちょっと遅くなった」



困り果てたその時、温室の入り口からひょっこりと花を抱えたセイジが顔を出した。


張り詰めていた雰囲気が、一気に和らぐ。



よ、よかった。帰ってきた……!


その顔を見て、どっと安心感が押し寄せる。


女の子の視線がようやく私から外されたことで緊張も解け、救世主の名前が口をついた。



「セイジ……!」


「あれ?なんで亜希奈がいるの?」



セイジの視線が女の子に移る。


きょとんとそう問いかけながら、セイジは持っていた花を近くの棚に置いた。




亜希奈———?


その名前を聞いた瞬間、とある光景がフラッシュバックする。



そうだ。こないだ、温室から出てくるこの子を見たことがある。


『バーカ!』という捨て台詞がやけに耳に残っていて、それでいてその後はすぐ綺麗な笑みを浮かべていた、そのギャップが印象的だった。



セイジは、その子こそが幼馴染だと言っていた。



なるほど。この子が噂に聞く、幼馴染の亜希奈さんか……!!!






「……あーーー!!!!!
もしかして、セイジの彼女!?!!?!?」


「へっ!?」


女の子の正体にやっと合点がいった瞬間、当の彼女はすごい勢いで私とセイジとを見比べ、そう叫んだ。


思いがけない言葉に素っ頓狂な声が出る。



「へー!!!セイジったら、絵ばっか描いて友達の1人もいないと思ってたのに!!!
隅に置けないじゃ〜ん!?」



さっきまでとは打って変わってテンションを上げた彼女は、ジロジロと私を観察する。


頭のてっぺんから足の先まで全部を見られているような感覚がして、そわそわした。


私を眺め回す彼女は私より背が小さく小柄で、くりくりと可愛い目が興味津々な様子で私に向けられている。


ただ着るだけの私とは違って、短くアレンジされた制服のスカートと、スクバにジャラジャラとつけられた多種多様なストラップが、彼女が私に近づいた一歩で大きく揺れた。


巻かれたツインテールからふわりといい匂いがする。



とても女の子らしい子だと思った。


私の周りにはここまでしっかりメイクをする人がいないからか、まるで違う世界に住んでいるかのような錯覚を覚えた。



「こら。エリカが困ってる」


「あ。ごめんごめーん、テンション上がっちゃった!
最近セイジ変わったな〜って思ってたんだ。
まさか彼女ができたからだったなんてね〜!?」


「ごめんね、エリカ。
これ、幼馴染の亜希奈」


「ちょっと。これって何よこれって!
どーも、亜希奈っていーます!」


「あ、エリカです……はじめまして」



とびきりの笑顔でこちらを見る亜希奈さんに、にこりと笑みを返す。



こんなに可愛い子が、幼馴染……。


改めて実感したその事実に、胸が少しチクンとした。






「エリカね!高校は緑原?何年?」


「そうです。セイジとおんなじ、2年生で」


「えー!同い年じゃん!
ねね、セイジのどこがいーの!?
こんな引きこもり絵画バカ、めんどくない!?」


「え、えっと」



その前に、彼女じゃないんです。


そうは思っても、セイジの彼女だと思われてることが存外嬉しくて、すぐに否定できない。



「はいはい、そこまで。
一体何しにきたの」


「え〜?ちょっと暇んなったから遊びに来ただけだけど〜?
あっでも彼女来てるなら邪魔だよね!?
おっけー帰る帰る、けどその前にさ、もしかしてエリカも絵描ける人?」


「あ、はい……一応」


「やっぱり〜!この絵、すごいセイジっぽいけど、描いたの多分エリカでしょ?
セイジの絵より人間味あってすごいいーなって思ったんだ!
そんだけ!お邪魔虫退散!じゃね〜!」



亜希奈さんは私に向かってそう言い残すと、大きく手を振って温室を出ていった。


バタバタバタンと、入口が慌ただしく閉まる音がする。


騒がしかった空間が、シンと静まり返った。