「エリカ」
たくさんの思い出に浸りながらアトリエに戻ると、セイジがいつものように名前を呼んで手を差し出してきた。
……オレンジの青薔薇の一件があってからというものの、セイジはこの仕草がすっかり恒例になった。
何のことはない。例の絵の具の要求だ。
近頃はついに要求の言葉すらなく、ただ名前を呼ぶようになった。
さらには、私の選んだ色だけで描くのではなく、もともと何か構想があって描いているだろう絵の最中に、急に要求されることさえ増えてきた。
「はい」
私はセイジが白いクレオメをピンクベースで描いているのを見て、私のイーゼルの近くにあった黄色を渡す。
黄色を受け取ったセイジは、とても満足そうに絵に向き直った。
正直、セイジが今何色を欲しがっているのかなんてことはわからない。
でも、何回も絵の具を指定された時の経験が感覚になってなんとなくわかるようになったのか、それとも本当は違う色が欲しくても私が選んだ色で良いとセイジが思っているのか、直感で渡した色を拒まれることはたったの一度もなかった。
……ちょっとだけ、セイジの世界を私も理解できているような気がして。
この絵の具を渡す行為が、私はとても好きだった。