「そっか……ならいいんだけどね。栗山さんが気にしてたからさ、紬がまだ秘書の仕事がしたいって思っているなら、秘書課の部長に推薦してもいいって言ってたよ」

「ヤダ、もう未練なんてないよ。それに来年になれば翔馬が東京の大学に行く予定だし、私まで家を出たら母さんひとりになっちゃうもの」


そう、父さんが昏睡状態になって回復は見込めないと言われた時、私は心の中で誓ったんだ。これからは私が家族を守るって……だから東京には行けない。


唇を噛み締め顔を上げると私達が乗った車の前にタクシーが止まり、並木主任が降りてきた。


あれ? 通勤用の社用車じゃないんだ……あ、そうか。高級料亭に来るのに会社のバンじゃ格好がつかないか。並木主任ってそういうとこ気にする人なんだ。


私達も車を降り、こちらに気付いた並木主任の元に駆け寄ると唯に言われた通り私が無理やり唯を引っ張ってきたと嘘を付く。


「あの、私は断ったんですが、紬がどうしてもって言うので……」


しおらしく上目遣いで女の子らしさをアピールする唯に吹き出しそうになる。


「あっそう。俺は別に構わないよ。じゃあ、行くか」


並木主任の後に着いて大きな門をくぐり、灯篭の柔らかな光に照らされた石畳をおっかなびっくり歩いて行く。


そして立派な日本家屋の玄関を入ると和服姿の品のいい女将が出迎えてくれた。その女将に案内され、日本庭園が一望できる長い廊下を進み通されたのは、立派な透かし彫りの欄間がある落ち着いた雰囲気の和室。