それからだった。

美術館の定休日の水曜日に動物園に通い出したのは。

ゾウは大人になった今見てもすばらしく大きかった。

ゆったりとした動きは、この世の慌ただしい時間を忘れさせてくれる。

そしてあのつぶらな優しい目は何もかも見透かしそうで、でもどんな存在も許してくれるような懐の大きさを感じた。

描けばかくほど、その姿に魅了されていく。

でも、自分の心の中をそのゾウに投影するほど私の技量はない。

ただ、ひたすら目の前にいるゾウを描いていた。

誰に見せるわけではない絵だけれど、館長に言われたように私の心の鬱積は描いている時だけは完全に忘れられる。

季節の移ろいもゾウの檻の周りの風景を眺めながら感じ、ようやく世界から見ればちっぽけな自分の存在を自分自身が許せるようになっていった。

一年前から、ようやく家を出て一人暮らしも始めた。家族は最初心配していたけれど、私自身が驚くほど一人の生活は心地いい。誰にも邪魔されない、唯一信じられる自分と向き合える時間が。


「和桜ちゃん」

ある日の朝、館長に呼ばれた。

「はい」

デスクでパソコンを開いていた私は顔を上げる。

「来月、『無名の芸術家たち』っていうタイトルで30点ほどの絵画展が行われるだろう?僕も他の展示会で出たり入ったりで忙しくなりそうだから、急で申し訳ないんだけどその絵画展のメイン担当を和桜ちゃん引き受けてもらえる?」

「え?」

メイン担当を頼まれたのは初めてだった。

いつも先輩で学芸員の植村さんの補助的な仕事をしていたから。

メイン担当の仕事は、搬入搬出の手配や当日までの絵画展の設営準備、タイトルの打ち込み、HPでの案内作成など。不安がないといえば嘘になるけど、植村さんに助けてもらいながらやればなんとかなるかもしれない。

「はい、がんばります」

そう言うと、館長はうれしそうに笑って頷いた。