「それから……」


そう言って、遥が急に黙り込んだ。

余程言いにくい事なのか、彼は視線を伏せて暫く黙っていた。
伏せられた遥の睫毛の長さに、こんな時なのに……本当に綺麗な人だな、なんて思う。

遥は今まで自分の事をほとんど話してくれた事はない。
だからこそ、これは彼に取ったらとても苦痛を伴う事なんだろうな、と遥の袖を握りしめていた手をそっと外して、彼の手を上からふわりと自分の手で包んだ。

するとほんの少しだけビクリと手を動かした遥は、私の顔をチラリと見て、苦しげに眉間を寄せたかと思うと、またゆっくりと顔ごと視線を伏せる。

だけどすぐにまた、意を決したように顔を上げて私を真っ直ぐ見つめて来た。



「……道徳に反していると分かっていても、俺は興信所を頼った。どうしてももう一度、なっちゃんに会いたかったから。だけど……多分罰が下ったんだろうね。俺はその後すぐに、トラックによる追突事故に遭って、意識不明の重体で病院に運ばれた」



過去の出来事なのに、なんだか言い様のないショックを受けて、私は目を見開き遥を見る。

同時に、“彼も見掛けなくなった”と話していた花田さんの言葉も思い出して、胸が締め付けられるような痛みを覚えた。


「俺は後部座席に座っていた事もあって、酷い状態だったみたいで……目を覚ましたら、全ての記憶を一時的に喪失していた」


そんな事が過去にあったなんて、何も知らなかったとはいえ目頭がジワリと熱くなってくる。

そんな私を見て、遥が寂しげに小さく笑った。


「……だけど、記憶を失った事によって俺は、過去の自分がどんな人間だったのか思い知らされた。……目が覚めた時、俺の側には心配してくれる人なんて誰もいなくて。いたのは、俺の秘書だと名乗る男一人だけ」


遥がぎゅっと私の手を握り返して来た。
そこから、遥の悲しみが流れ込んでくるようで、目の淵にぶわりと涙が溜まる。

遥は小さく息を吐き出すと、目を細めて私を見た。






「……俺が相良の会社にいた頃の裏の呼び名はね、“悪魔”。人間じゃないって、言われてた」