今日は7月の最終日。
 色と翠が契約をした、家庭教師の最後の日だった。










 仕事中もボーッとしてしまったり、お客様が来ると色だと期待してお迎えしては、一気に気が沈む。そんな事を繰り返してしまい、周りのスタッフはまた体調が悪いのではないかと翠を心配して見ていた。
 
 そんな時だった。
 店先に1人のお客様が来ていた。翠は、その人を見て、ハッと顔をあげた。
 しかし、同時に悲しく泣き出してしまいそうになった。
 
 そこには、ピンクベージュのブラウスに茶色のタイトスカートを着た、綺麗な女性が立っていた。


 「神崎様………。」


 神崎は、翠を見つけると少し驚いた表情を見せた後に丁寧にお辞儀をした。
 

 翠は、神崎をVIPルームに案内をした。
 

 「神崎様、今日はどのような物をお探しですか?」
 「今日は買い物をしに来たわけではありません。私があなたに話を聞きたくて来ました。」
 「え………そうなのですか?」


 翠は神崎の話しを聞いて、驚いてしまった。
 てっきり色の用事を頼まれたのかと思ったからだ。色は、自分に会うのを拒んでいる。そんな風に思ってしまい、神崎を見たときにショックを受けてしまったのだ。
 それが勘違いだと知り、安心したものの用件が何なのかわからなかった。



 「単刀直入にお聞きします。色社長はどこに行ったのですか?」
 「………え?」

 
 予想しなかった言葉に、翠は驚きを隠せなかった。頭の中が真っ白になった。

 
 「その反応ですと、あなたもご存知ないみたいですね。」
 

 そう言うと、用件は終わりだと言うように、神崎はソファから立ち上がった。
 

 「待ってください!どこに行ったとはどういう事ですか?いなくなってしまったのですか?」
 「……それを私があなたに教えるとでも?」
 「お願いします!………話を聞かせてくれませんか?私が冷泉様に会った日の事もお伝えしますので。冷泉様のことが心配なんです……。」


 翠はソファから立ち上がり、必死になって頭を下げながらお願いをした。
 すると、神崎は、少し考えた後に大きくため息をついて「座って話をしましょう。」と言ってくれてのだ。


 「まず、あなたのお話を聞かせてくれませんか。」
 「私が最後に会ったのは、1週間前なんです。それ以来連絡も来ていません。」
 「そうですか。時期は一緒ですね。……色社長は花火大会に行くといってから4日後の夜に、出掛けてくると退社した後、次の日から会社に来ていません。」


 それ聞いて、翠は声を失ってしまう。翠が色の家を飛び出した次の日には、色がどこかへ行ってしまっているのだ。
 一瞬で恐いことを想像してしまい、翠は青ざめてしまう。


 「も、もしかして………事故にあったり事件に巻き込まれてたり。まさか、病気だったり………。」
 「あぁ。それはないと思います。」
 「………え?」


 あっさりと否定する神崎を、翠はポカンとした顔で見てしまう。
 何故、それがわかるのか。分かるということは、彼がどうしているか、知っているのだろうか。


 「色社長は、前日に大量の仕事をこなして、ここ1週間のスケジュールをすべて自分で変更してましたので、ご自分で何か予定を入れたのだと思われます。」
 「……………そうなんですか。また、冷泉様は、無理をなさっていたのですね。」
 「いなくなるなら、当然の事です!」
 「え?」
 「しかも、色社長の車が空港にあったらしいので、どこか遠くへ行かれたみたいなんです。本当に、勝手にスケジュール変更したり、どこかに行くなら早めに言って欲しいものです。私の立場っていうものが、色社長にはわかってないのです!」


 神崎は、ダンッとテーブルを強く叩いてから、怒った口調でそう言った。神崎は、色が心配と言うよりも、勝手にいなくなって困っている、ようだった。
 彼女があまり心配していないところを見ると、色はふらりといなくなってしまう事が多いのかもしれない、と思ってしまった。

 そうであったとしても、翠は色の事が心配だった。どこにいて、何をしているのか。彼のことだから、無茶をしていないか、しっかりと寝ているのか。そんな事を気にしてしまう。


 「明後日のスケジュールは変更になっていないので、それまでには帰ってくるかと思っています。」


 そう言うと、「お仕事のお邪魔をしてしまってすみませんでした。」と、神崎は立ち上がり、部屋から出ていこうとした。
 

 「こちらこそ、いろいろ教えていただき、ありがとうございました。神崎様。」


 神崎を見つめながら、お客様を見送るように丁寧にお辞儀をする。すると、神崎は部屋を出る前に足を止めた。


 「…………色社長は、ギリシャ語の勉強をとても楽しそうにしていました。どんなに忙しくても、必ず本とノートを傍に置いて、似合わないウサギのペンを持っていました。………一葉さん、あなたは家庭教師に向いているのかもしれませんよ。」
 

 視線は前を向いたままだったが、神崎の言葉は、翠に向けられているのがわかった。
 照れくさそうにしている横顔を隠すように、部屋を出ていく神崎の背中に、「ありがとうございます。」と小さな声でお礼を言い、神崎の後ろをゆっくりと付いて歩いた。




 

 神崎を見送った後。
 すぐに岡崎が翠へ近づいてきた。
 何故か顔は、少し緊張気味だ。何かあったのかと、翠は身構えてしまう。