てっきりまた怒鳴られると思ったが、色の返事はなかった。
おそるおそる彼の顔を見ると、そこにはもう鋭い表情はなく、何故か泣きそうな目をしていた。それは、怒られて悲しむ子どものようで、何故色が怒らずにそんな顔をするのか、翠にはわからなかった。
けれど、大好きな人が自分の言葉で傷つく姿を見ていられるはずもない。翠は逃げるようにベットから体を下ろした。
「助けていただいて、そして、看病までしていただき、ありがとうございました。もう大分楽になったので、帰ります。」
ドアの前で色の顔を見ないようにそう言うと、足早に寝室から飛び出した。
ダイニングにあった自分の持ち物を持って行こうとすると、テーブルにあるたくさんの物に気がついた。沢山の種類の薬、果物、スポーツ飲料、ゼリーや缶詰もあった。そして、その横にはギリシャの本も置いてあった。全て翠のために買ってきた物だとわかり、翠は瞳にじんわりと涙が溜まるのがわかった。
それらから逃れるように玄関に行く。
そこには、懐中電灯と少し汚れタオル、泥がついている色のシューズがあった。
それに気づくと我慢していた涙が、ポツポツと流れ落ち、床を濡らした。乱暴に目を擦り、色から貰った下駄を履くとすぐに家を飛び出した。
ダボダボのシャツと、ズボンに下駄。そして、ポーチや財布、スマホを抱き締めるように抱えている。
エントランスに出ると、マンションコンシェルジュが少し驚いた顔で翠を見たが、すぐに「おはようございます。」と挨拶をしてきた。
翠はタクシーをお願いし、それに乗って久しぶりの自宅へ戻った。
部屋に着くと、すぐにベットに飛び込み、そのまま大声を出して泣いた。
「っっ………冷泉様、ごめんなさいっ………私、嘘ばっかり言って…………。冷泉さまぁ…………大好きです。……冷泉様が、好きなんです………。」
嗚咽をこぼし、涙を流し、色の名前を呼び続けた。けれど、翠の言葉には誰も答えてはくれない。
体や服に残る白檀の香りを抱き締めるように、翠は体を丸めた。彼の最後の顔を思い出しては、涙を溢して泣き続けた。