元治元年8月 池田屋事件以降、禁門の変など新選組が認められつつあった。 そんな中、会津藩主松平容保に非行五ヶ条が提出された。 新選組の活躍とともに局長である近藤勇の態度も大きくなっていた。 それを受け、永倉、斎藤、原田、島田、尾関、葛山が提出したのだった。