だめだめな完璧美少女

俺は思わず、その美しい黒髪をそっと撫でた。

一切の絡まりのないその髪は音を立てずに指からこぼれおちていく。

「ほんっと無防備……。」

襲おうだとかそんな下劣なこと考えないけれど、
もう少し男の部屋にいるって意識してくれてもいいんじゃないかな。

「んー」

「あ、ごめん、起こした?」

「とわも一緒に寝よ」

さっき触ったので起こしてしまったのか目覚めた陽菜が早々に素っ頓狂なことを言う。

「え、は?!お前何考えてんの!?」

「ほら、寂しいからこっちきて。」

陽菜が袖元をひっぱっている。

「こ、こっち来てじゃない!!
お前は女で俺は男なの、わかってんの!?」

俺は思わず叱咤する。

「わかってるもん。
だけどほら寂しいし寒いからさ、とわ一緒に寝ようよ?寝て、くれないの……?」

この天然め。

俺が陽菜のお願いに弱い事を知ってやってんのか?

……まさかな。こいつはそんな人の行動を計算して行動できるやつじゃない。


「わかったよ。しょうがないなー」

「ほんと!?やったー!!」

大喜びする陽菜を横目に見ながら、OKしてよかったななんてこっそりと考えてしまっていた。
一人暮らしの俺の部屋には当然シングルベッドしかないし、他に敷布団もないので、シングルベッドで一緒に寝ることになった。



「とわーこっち向いてよー」

俺は完全に陽菜に背を向け横になる。

「疲れたから寝る」

そう素っ気ない返事を返すと、陽菜が後ろから抱きついてきた。

「ちょ、お前、それはさすがに!!」

理性が持たない!

陽菜の方へ向き直り即座に彼女を押し戻す。

「だめだって!!」

我ながら余裕のなさが情けない。

「なんで?」

俺とは対照的にぽかんとしている陽菜の無垢さを恨めしく思った。

「お前は女で俺は男!それはどうしてもくつがえせないことだからに決まってるだろ!!もう、もう……昔とは違うんだよ!!」

一息でそうまくし立てるように言いきった。

しかし彼女の顔を見た瞬間、やってしまったと気づいた。

陽菜は明らかに傷ついた顔をしていた。

「あはは、そ、そうだよね……
わ、私が自分勝手にごめんね、
も、もうやめるから。」


幼稚園の時から責任感が強くて自分一人で抱え込みやすい陽菜を支えてきたのは、他でもない自分だったのに。

陽菜は小さい時から言っていた。

"本当の私を見たらみんな幻滅しちゃうから見せちゃいけないんだ"

"でもときどきそれがものすごく寂しくなるんだ
嘘をついてるようで辛い"

と。

その俺が、陽菜の唯一素でいられる場所を奪ってしまった。

なに、してるんだ、俺。

陽菜は本当はさびしがりやだ。

学校では1人でずんずん突き進んでいく強い生徒会長だけど、今は、違う。

こいつを守ってやれるのは、自分だけだ。
俺は衝動的に陽菜を抱き寄せていた。

華奢な体が驚いたように硬直している。

「ごめん。ひな、ごめん。」

そう言うと、硬直していた陽菜の力がふわっと
ぬけた。

「なにが……?私別になにも謝ってもらうこと、ないよ?」

陽菜は一切拒もうとしない。

ただされるがままに、こちらに体をあずけてくれる。

「ひなを傷つけた」

「そ、そんなこと……。」

「ひなを支えるのは俺なのに。」

副生徒会長になったのも、同じ高校に入ったのも、
全部この危なっかしい幼なじみを支えるため。

「もう十分支えてくれてるよ、とわは。
これ以上支えられたら、私、学校でもしっかり出来なくなっちゃうかも。」

陽菜は少し笑いながらそう言った。

「でも私、これでも学校では頼れる生徒会長なんだよ。私がやらなきゃ。学校を動かさなきゃ。」

今度は陽菜が自分からそっと俺から離れた。

「やっぱり自分の部屋で寝る!
ありがとうね、とわ」

陽菜はベッドから体を起こした。

「おう、おやすみ」


ドアが閉まる音が聞こえ、冷たい風が少し吹き込んだ。
「こちらが今回皆さんに配布してもらうポスターとパンフレットになります。
ポスターは私が、パンフレットは篠崎くんが手伝ってくれました。」

後輩達の手にそれらを配ると、おおっと小さな歓声が起きた。

「これを入口のところで、来校した方に手渡ししてください!必ず笑顔は忘れずに!」

「はい!」

陽菜は、後輩達の元気な返事に満足そうにうなずいたあと、ひと呼吸おいて言った。

「会計の栗谷さんは少し残って下さい。
ほかの皆さんは解散になります。
ありがとうございました。」

「ありがとうございました。」



栗谷灯里。栗谷さんは、会計を担当している1年生。
今回がはじめての仕事となる。

「す、すみません、私何か失敗したんでしょうか……?」

おずおずと陽菜の元に向かった栗谷さんはすでに泣きそうだ。

「あ、灯里ちゃん。
初めての仕事なんだから、そんなに気に病むことは無いの。大丈夫だよ。」

「は、はい……」

「実は、クラスの出し物に使う金額が全てのクラス、決定版で出した紙と違うって言われたの。
もしかしたら、打ち込みの欄がズレたりとか、計算ミスをしているかもしれないから、とわーーー!」

案の定、呼ばれた。

「はい」



「とわ……えっと篠崎くんも一応会計監査だから、一緒に修正をお願いします。」

「おっけー。じゃあ栗谷さん、隣の教室でやろうか。」

俺は、陽菜から書類を受け取り、歩き出した。

栗谷さんも慌ててついてくる。
「あ、あの本当にすみません、
篠崎先輩まで巻き込んでしまって……」

栗谷さんはとなりの教室に入ってからもずっと泣きそうだ。

「栗谷さん、そんなに落ち込むこと、ないよ?
最初だし、ミスはつきものだよ。」

俺はさっき陽菜が言った言葉をもう一度繰り返す。

この子は本当に責任感の強い子だ。

実力が身につけば、来年度の生徒会長を任せられる人材になるかもしれない。

「篠崎先輩も初めての仕事の時、ミスしたり、しました?」

「いや、俺は…………してない……」

ここは「したよ、でも先輩がこんなふうに声をかけてくれて。」とか言う場面だろ!

でも仕方ない。

俺は数字にすごく強い。

小さい時そろばんや、フラッシュ暗算とかが好きでやっていたからだと思うけど、正確性はピカイチだと思う。

「やっぱり……。
私、篠崎先輩みたいになりたいんです!!
篠崎先輩に憧れて、生徒会に入ろうって思ったんです。」
「え、ひなじゃなくて、俺?」

「はい」

確信を持って頷く栗谷さんに、思わず理由を聞かずにはいられなかった。

「なんで?」

「実は私、新入生オリエンテーションの時、途中で気持ち悪くなってしまって外に出たんです。
もともと人混みが苦手で。」

新入生オリエンテーション……。

「でもトイレが分からなくて、タオルで口を抑えたままキョロキョロしてたら、篠崎先輩がさりげなく「大丈夫?トイレだったらあっちだよ」って声をかけてくださったんです」

そんなことあったっけ。

「……きっと篠崎先輩にとっては、当たり前のことをしただけだから、覚えてないと思いますけど、
私にとってはすごく嬉しかったんです。」

やばい。照れる。

「栗谷さん、修正しないと!」

平静を装って話題を変える。

後輩に褒められるってこんな嬉しいんだな。

「あ、脱線してしまってすみません!」

栗谷さんも俺の動揺には気が付かなかったようだ。
よかった。

「……じゃあ、また同じミスをしないように少し丁寧にやっていこうか。」

「はい!」




「ほら、そこ。
1260+3750の計算間違ってる。
5010だよ。」

「は、はい!」

「ここからは、打ち込みがズレてるだけだから、ひとつずつずらして行って。」

「はい!」

数秒の沈黙のあと、栗谷さんがおずおずと口を開いた。

「あの、篠崎先輩は帰らないんですか?」

何度も言うが、この子は本当に責任感の強い子だ。

「同じ仕事の後輩が残ってるんだから残るのが当然でしょ。」

「あ、ありがとうございます。」
無音の教室にカタカタとキーボードの音が響く。

計算は少し苦手そうな栗谷さんだが、タイピングの速さはピカイチだ。

「し、篠崎先輩と陽菜先輩は、幼なじみ……
なんですよね。」

栗谷さんは手をとめずにそう聞いてくる。

「そうだよ、幼稚園の時から。」

嘘をつく必要もないので、俺は本当のことを答えた。

「……陽菜先輩ってずっとあんな感じなんですか?」

「うん、そうだね。
表に立つところではずっとあんな感じかな。
ちっちゃい時からしっかりしてて、温厚で、リーダー気質だったから。
ひながいると、みんながついてくるんだよね。」

後輩の前ではカッコつけたいだろうから、あえて家での側面は言わなかった。

「陽菜先輩ってすごいですよね。」

「そうだよね、俺もそれはずーっと思ってる。
本当、尊敬してる。」

学校での陽菜は。

っていうのも言わないでおく。




「篠崎先輩は……陽菜先輩のこと、好きなんですか?」

「え?」

かたっとキーボードの音が止んだ。

「な、なんでそんなこと聞くの。」

俺は自分が動揺してるってことはどういうことか分かってしまった。

俺は……


「私が永遠先輩のことを好きだからです。」

「え、」

「もちろん恋愛的な意味でです。
今回ミスしたのも全部、全部永遠先輩とふたりきりになりたくて、計算してやりました。」

呆気にとられている俺をよそにどんどん話が進んでいく。

「だって永遠先輩いつも陽菜先輩と一緒だから。
どうやって邪魔者を引き離そうかって考えたんです。」

ミスした時、泣きそうだったのも、全部演技だったのか?

抑えようとしても、ふつふつとした怒りが止まらなくて。

「どれだけひなが一生懸命考えて、会計を栗谷さんにしたか知らないくせに。
そうやって、ひなのきもちを踏みにじるようなことするな!」

気がつけば叫んでいた。

栗谷さんは驚いたような顔をしてから教室から走っていった。

「とわ!!」

陽菜がかけてくる。

「どうしたの、とわ。」

全然、声が耳に入らない。

「とわ、とわ!!」

帰ろうとする俺をぎゅーっと陽菜が抱きしめる。

「私も一緒に帰るから。」
「とわ、どうしたの?」

俺は何と聞かれても答えないと心に決めていた。

陽菜を傷つけるやつは絶対に許さない。

俺は帰り道、陽菜と一言もしゃべらなかった。



「とわが言いたくないなら無理に聞かないでおくけど、さっきからとわ、ものすごく辛そうだよ……。」

陽菜はベッドに身を投げた俺の顔を覗き込もうとする。

陽菜の手が優しく俺の頭を撫でた。

「ひなの……気持ちを……踏みにじったから。」

「え?」

「栗谷がひなの気持ちを踏みにじったから!
俺、許せなくて!!」

俺はベッドに顔をうずめたまま、そう叫んだ。

そのままの勢いで、あの状況になった経緯を話した。


「……わ、私の為に怒ってくれたの……?
優しいね、とわは。私とわのそういうとこほんと大好き。
でもさ、それって灯里ちゃんの気持ちをないがしろにしてることにならないかな?」

いくらなんでもそれは。
「ひなは優しすぎる。」

「ひなは全体のこと考えて、栗谷のこともちゃんと考えて、悩んで悩んで、ミスしてもあんまり傷つけないようにって。
なのに、あいつは、わざとミスしたし、
ひなのことを邪魔者だって言った。」

ああ、だめだ。

黒い気持ちが。怒りが溢れ出して止まらない。

こんなこと言っても優しくて純真無垢で白くて柔らかい彼女の心を傷つけるだけなのに。

それなのに。

陽菜は俺をぎゅーーーっと抱きしめた。

「とわありがとう。
私のことを大事に考えてくれてありがとう。」

「私だって、灯里ちゃんのこと大好きだもん。
あの子は本当にいい子だってわかってる。
だからこそ、そんな灯里ちゃんをかえてしまうくらい、灯里ちゃんは本気なんだよ。
ちゃんと、返事してあげなくちゃね。」
「でもあいつはひなを傷つけた。」

「もう、もうそれはいいの。
私ちっとも傷ついてなんてないんだから。」

陽菜はへらりと笑う。

「だから灯里ちゃんにちゃんと返事してあげなくちゃ。そしたら、そしたら、もしできるなら、また」

陽菜の目から大粒の涙が1粒溢れ出して、彼女の膝を濡らした。

「大好きな灯里ちゃんと一緒に生徒会、できるかな?」

不謹慎だけど、陽菜の涙がすごく綺麗だと思った。

一切の穢れがなくて、目が離せなくて。

心が、洗われたような気がした。

「……俺、ちゃんと返事する。
絶対栗谷生徒会に連れて帰るから。」

俺、情けないな。

だめだめな陽菜を支えてるつもりが、いつの間にか陽菜に支えられてる。

陽菜も成長してる。

俺は早く陽菜をまた追い抜かなきゃ。

そして、支えてやらなきゃ。