「ラウンジに行くとパニックになるかもしれないから、部屋にマスターを呼ぶよ」

 そうだ。そうするべきだ。なんたって、空港には警察の警備隊が出たぐらいだから。

「ここが部屋」

 1部屋以上とれそうな広い玄関を目の当たりにすると、スイートルームに入ったことのない三咲は酔いが若干覚め、辺りを見渡した。

 奥の広い窓からは都内の景色が一望できる。

「すごい……」

「、何が?」

 ブライアンはどうでもよさそうに、靴のまま部屋に進んでいる。どうしようか悩んだ三咲は、一応スリッパに履き替え、夜景目指して進んだ。

「すごい……スイートルームから見える夜景ってこういうことなんですね……」

 窓に手をついて眺めていると、背後から

「それよりも素敵な君の存在を、僕は一体どう表現したらいいのかな?」

「………」

 唇と唇が重なる。

 久しぶりのキスで、ディープキスの仕方を忘れてしまったと気付いた三咲は、怖くて自ら唇を離す。

「さあさ……」

 ブライアンは強引に肩を引き寄せ、扉の奥へと進んでいく。

「……」

 目の前には天蓋付の大きなベッド。ダブル以上の大きさに、ふと我にかえり身体が硬直した。

「どうしたの……」

 優しい声色とは裏腹に、強引にベッドの上に引きずり込んでいく。

「あの…その……」

 色々言わないといけないと心の中では思っているのに、身体は既にシーツの上で、真上からはブライアンのこの世の者とは思えないほど美しく整った顔が見下ろしている。

「……」

 その顔が段々近づいてくる。

 三咲は思わず腕を突っ張って、それを阻止した。

「どうしたの……」

 甘く、撫でるような声。

 細く長い指は三咲の手首を簡単に捉え、シーツに左、右、と順番に押し付けていく。

「そ、その!!」

 慌てて長い指から我が手を解放させると、耐えきれずに自らの顔を覆った。

「なんにも怖くないよ……」

 その言葉に絶対に嘘はないというのは分かる。

 ブライアンは覆った手の甲のキスをすると、

「この手は僕のものだ」

と、そっと左手首を掴んだ。

「……」

 力はそれほど入れられていないが、もはや抵抗もできない。

「…」

 三咲は自ら右手を顔から離した。

 上からは予想通り深いキスが落ちてくる。



「おはーっす」

 どこも見ずに、時間ぎりぎりで出社してドスンとデスクの椅子に腰かける。それがいつもの桐谷のスタイルだ。

 一見ちゃらんぽらんな上、雑でおっちょこちょいのイメージはあるが、ここぞという時には必ず落とさないヒーロー的な一面もある普通の青年だと、鏡自身は認識している。

 その桐谷が、ふうっと一息ついて、辺りを見渡し、

「愛生ちゃんは?」

 と、鏡にも普通に聞いてくる。

 他の課ならその呼び方もアウトだが、このような公開されていない課であるからこそ、なんでもこいだ。

「容疑者の事情聴取の続きだ」

「へー、何時に帰って来たの? あの子」

「…帰って来るとは?」

 鏡は手を止めて、その茶髪の若々しい顔が若干歪んでいるのを見た。

「ここ1週間ずっと外泊。男ができたんスよ」

 それは全く気がつかなかった。

「外に出ても平気になったということか…」

 それはそれで、落ち着いているのならいい。仮眠室もいつまでも使わせてもらえないし、出て行けそうなら促してみるか…。

「いや、署のすぐ側に黒塗りのベンツが迎えに来てて、それがなんと、隣の五つ星ホテルに入ってくんスよ!」

 獲物を見つけたといわんばかりに、桐谷は目を見開いて面白げに話してくれる。

「黒塗りっても怪しいんじゃなくて。本人は隠してますけど、芸能関係かなんかみたいですね。有名人みたいスよ」

 ……先日モデルの警備に当たらせたが、まさかな……。

「暴行犯のことは薄らいだかな」

 それならそれで、問題にならなければ別に構わないが。

「じゃないスかねえ。もうなんか、毎日浮き足だっちゃって! ぼーっと考え事してる時もあれば、ウキウキで食堂行ったり。あーあ、俺も女欲しいなー」

 そういえば休みが入れ替わりになって3日前に会ったのが最後だが、あの時は事件があって、直接は報告事くらいしか話をしていない。

「俺は山本さんとの仲が怪しいと思ってたんだけどなー。クソ―、若い男には敵わなかったか!」

「……」

 ウキウキした声は耳に入らなかったふりをして、パソコンに視線を戻す。

 まあ、外泊ができるくらい元気になったのならそれでいいし、業務に支障をきたしていなければ構わない。むしろ、初体験を暴行犯に奪われた後の彼氏だ。癒されているんだろう。

 次の事に頭を切り替えようとした瞬間、腕時計がバイブレーションし、通話がかかってきたので、手を止める。

 相手は捜査二課長だ。考えながら、ブルートゥースのイヤホンをセットする。

「はい」

『…手は空いてるか?』 

 どうやら謝らなければならない何かが起こったようだ。

「、はい」

『すぐに会議室まで来てくれ。他言しない方がいい』

「はい…分かりました」

 一体誰の何なのか…。

 そうだ、山本の代役を1人申請はしている。それがひょっとしたら二課から配属されるのかもしれない。

 それなら、一番仕事ができないと噂されている男だろうが、それなら、いない方がマシか……。

 順当に考えながら、そっと部屋を出て会議室へと入る。

「失礼します」

「……」

 どうやらそういう話ではなさそうだ。

 誰もいない電気もついていない会議室で、二課長は窓の外を見ていた。黒縁のメガネの奥は笑っていない。

 鏡は己も唇をへの字にして、言葉を待った。

「……ん」

 二課長がおもむろに胸ポケットから差し出したのは、A4のコピー用紙を4つに雑に折った物だった。

「……失礼します」

 手に取り、中を改める。

「………」

 若い女がホテルのドアの中に入ろうとしている。ドアの中からも男の姿が見える。金髪か、ドアの高さからすると、大柄な男のようだ。

「……」

 わけが分からず、二課長の顔を見る。

「その女」

 女の方かとよく見てみる。少し茶色い肩辺りまで伸びた髪の毛はカールされている。服はベージュの薄手のコート。顔はほとんど見えない。

「はい」

 鏡はもう一度、同じ顔を二課長に表した。

「分かんない? それ、あんたんとこの三咲警部だよ」

「!?」

 もう一度よくよく紙を見つめるしかない。

「……誰ですか、この男は」

 言いながらさっきの桐谷の会話を思い出す。この金髪は、ひょっとして…。

「この前警備に当たらせたブライアンだ。そんで俺達麻薬班が目つけてる所に、あんたんとこの若いのが入り込んできた。……まあまさか、プライベートじゃあないとは思う。内偵だとは思うがな、これはこっちが先に見つけたヤマなんだ」

 わけが分からなかったが、それを隠すだけの訓練は身につけている。

 鏡は一瞬だけ二課長と目を合せた。

 これが本当にプライベートで近づいているのなら、事次第では懲戒解雇だ。だが、囮に使えば見逃してやる……そういう事なのだ。

「………分かりました」

 視線を逸らしたが、眉間に皴が寄ってしまうのは仕方ない。

 浮足立っていると言っていたが、まさか……。

「……多分薬が入ってる」

「……」

 その一言を聞いて、鏡は驚きを隠すのを即座にやめた。

 先ほどの桐谷の言葉が蘇る。……連日外泊……初めての男……。

 まさか……。三咲が薬に手を染めている……!?

「このまま囮にならないと、三咲の方が危ないぞ」

 囮捜査中の警察官を薬物検査にかけることはないが、これが、プライベートで関与しているとなると話が違ってくる。三咲に限ってまさか自らということはないと思うが、知らない間にという可能性は充分あり得る。

「……、……」

「毎度毎度、問題持ってくるねー、この娘さんは」

 言葉を失った事にしっかり気付いた二課長は、笑いながら会議室から先に出て行ってくれる。

 本人は真面目で優秀だが、男問題となるといささか持って行き方が難しくなる。その場で5分ほど立ち尽くした鏡は、色々決意と覚悟をし、まず、相原を電話で呼び出した。