「何か言ってよ、環」

 暫く黙っていると、梓はと身を乗り出して僕の顔をのぞき込んだ。その顔は悲しそうに歪んでいる。

 ……そんな顔をしないで欲しい。離れるのが辛くなるから。

「梓の笑顔を見てたら、言えなかった。ずっと一緒に居たいと思った。だから、ぎりぎりまで言えなかった」
 梓の瞳から涙が一筋流れ落ちた。

「本当に、行っちゃうの?」
 僕は黙って頷いた。

 梓と過ごした3ヶ月の出来事が蘇ってきて、僕まで泣きそうになった。

 不良から梓に助けてもらったこと、それがきっかけで一緒にコムギに餌をあげるのが習慣になったこと、初めて友だちになったこと、僕のお母さんのことを理解してくれたこと、一緒に遊びに行くようになったこと、夕ご飯を一緒に食べたこと……。

「海外に行ったら、連絡も取れなくなるの?」
 梓のアイスはどんどん溶けて、膝を濡らしていく。僕はアイスの棒をゴミ箱に捨て、代わりにポケットからハンカチを取り出して、梓に差し出した。

「濡れてる」
 梓はハンカチを受け取ると、涙とアイスを拭き取った。僕はベンチに置いたランドセルの中からノートを取り出すと、紙をちぎり、パソコンのメールアドレスを書いた。

「このメールアドレスがあれば、離れていても梓と連絡を取れる」
「めーるあどれす?」
「パソコン同士でやり取りできる手紙みたいなやつ。梓の家にもパソコンあるでしょ」
 梓は頷いた。
「お父さんに頼んで、送ってみる」

 梓はアイスの棒をゴミ箱に捨ててハンカチを膝の上に置くと、紙を大切そうに折りたたんで、ランドセルを開けて文房具入れにしまった。

「メールでやり取り出来ても、やっぱり直接会えなくなるのは寂しいね」
 寂しげに微笑む梓を見て、僕はふと、梓の手を握りたい、と思った。

 でもそんな思いが浮かんだ自分が何故か恥ずかしく思えて、気持ちを打ち消す様に立ち上がり、右手をそっと差し出した。

「ずっと友だちなんて要らないと思ってた。でも、この三ヶ月、梓が僕の友だちになってくれて、良かった。……ありがとう」

 でも、梓は僕の手を握らなかった。