「希愛…!しっかりしろ…希愛っ!!」
その言葉を最後に、あたしの意識はプツリと切れた。
目を覚ました時には、病院のベッドにいた。
「気分どう?」
すぐ横から聞こえるお兄ちゃんの声。
目線だけお兄ちゃんの方に向けると、服装はそのままだった。
良かった…。
日付変わってない。
その日のうちに目が覚めたと分かったら、少しだけ安心できた。
「…大丈夫」
苦しくて、痛くて、死んじゃうかと思った。
だけど、意外と死なないものなんだね。
あたしが思っている以上に人間は丈夫にできている。
それなのに…。
安心よりも、不安の方が何倍も何十倍も勝っているのはどうしてだろう。
「…ふぇっ」
突然漏れる嗚咽。
その直後、大粒の涙が溢れた。
拭うことさえ出来ず、髪の間を通る涙が気持ち悪い。
「希愛?」
いつ死ぬとか。
いつまで生きなきゃいけないとか。
毎日のように考えてきたことなのに。
忘れた日なんて一度も無かったのに。
「あたし、自分が病気だってこと忘れてた。だから、発作が起こった時、怖かった…」
苦しくて、このまま死んだらどうしようって。
二度と目が覚めなかったらどうしようって。
不安と恐怖に押しつぶされそうになった。
「お兄ちゃん……。あたし、死にたくないよ……っ」
死ぬことを怖いと感じてこなかったのは、あたしが生きたいと思わなかったから。だけど、生きたいと思うだけで、こんなにも死ぬことが怖くなるんだ。
今まで生まれてこなかった感情が、今、ようやく生まれた。
これが、自分の死と向き合うってことなんだ。
「大丈夫。希愛はこれかも生きる。ドナーだって絶対に見つかる」
「でも…。もしも見つからなかったら、あたしは…「死なない!」」
お兄ちゃんは、あたしの言葉を遮った。
その声は力強いのに震えていて、強さと弱さが混ざり合った声だった。
「絶対大丈夫だ…」
握られた左手に伝わる温もりは全くと言っていいほどない。
大きな冷たい手。
声だけじゃなく、手まで震えていた。
あれから1カ月。
本格的な冬の寒さが肌に伝わり始めた。
「おはよ…」
リビングに向かうと、ご飯を食べている2人がいた。
「今日、冷えるみたいだから温かくして出かけろよ」
「うん、ありがと」
今日は颯斗とお出かけをする日。
退院して体調も安定しているから、最近はよくデートしてるの。
もちろん無理はしないという条件付きで。
「最近よく出かけているみたいだけど、友達でもできたのか?」
お父さんはあたしと颯斗が付き合っていることを知らない。
それどころか、颯斗という存在自体知らないと思う。
お兄ちゃんも話してないみたいだし。
「うん。入院中に仲良くなった子。とってもいい人なの」
「そうか。機会があったら連れておいで」
お父さんの言葉に、否定も肯定もしなかった。
その日が来るか分からない。
だけど、いつかちゃんと紹介したいな…。
ハーフアップに結った髪。
ベージュのチェック柄のワンピース。
下には黒タイツ。
白のコートを羽織ってヒールになっている黒ブーツを履いたら完成。
ポケットにはカイロも入れた。
マフラーは巻こうか悩んだけど、なんかダサかったからやめた。
長い髪がマフラー代わり。
12時半には家を出て、待ち合わせの公園に向かう。
約束の10分前に颯斗は来ているから、それに合わせてあたしも向かう。普通に歩くと、10分くらいの道だけど、疲れないようゆっくり歩くと倍の時間がかかっちゃう。
公園に向かうと、時計台に寄り掛かっている颯斗を見つけた。
スマホに夢中で、あたしには気づいてない。
その姿さえもかっこよく思えたせいで、ほんの少しの出来心。
鞄からスマホを取り出すと、カメラアプリを開いた。
こっそり隠し撮り。
───カシャ…
…やばい。
シャッター音消すの忘れた。
あたしに気づいた颯斗は、鋭い目であたしを睨む。
そして、そのままあたしの方に近づいてきた。
「盗撮?」
「うん。今の颯斗、すごくかっこよかったから記念に」
否定はしなかった。
もうばれちゃってるし、意味ないもん。
「あのなぁ…」
颯斗の呆れ顔。
だけど、そのあとすぐに笑った。
「今日はどこに連れて行ってくれるの?」
「プラネタリウム」
颯斗の返事に、あたしの顔は、ぱぁっと明るくなった。
「星すき!」
楽しみだなぁ…。
それに、颯斗と星見るの、すごい久しぶり。
ふと、目線を下におろすと、颯斗の左手に目がいった。
「颯斗…。手、繋いでもいい?」
思わず、そんなことを訊いたら
「どーぞ」
って、差し出してくれたから、ぎゅって握った。
「颯斗の手、冷えてる」
「希愛の手はあったけぇな…」
「カイロ持ってたから。颯斗の冷えた手、温められるかな?」
颯斗の手に比べると、あたしの手は小さい。
こんな小さな手でも、颯斗のこと温められたらいいのにな…。
あたしの熱が颯斗に移って、プラネタリウムに着いた頃には同じくらいの温度になっていた。
チケットを買って、中に入るとシートに腰掛ける。
静かに席が倒れると、視界いっぱいに星空が広がった。
アナウンスと共に変わっていく星空は、本物の星空じゃ見られない光景。
それなのに、まるで本物の星みたい。
…変な感じ。
本物そっくりなのに、実は偽物って。
「こうやって星見ると、あの日のこと思い出すな」
「屋上でのこと?」
「そう。俺たちが付き合った日。初めてのデート」
「初めてのデートは病院の売店でしょ」
「あれはノーカウントだろ」
颯斗の言葉に思わず、ははっと笑い声が漏れた。
確かに、颯斗にとっては何気ないことだったかもしれない。
だけど…。
「あたしは楽しかったよ」
あの出来事がなければ、今がなかったわけだもん。
あたしたちが話すこともなかった。
ましてや付き合うことなんて考えてもみなかった。
あの時の何気ない言葉が、何気ない行動が、今に繋がっている。
そう考えると、颯斗と過ごした時間は全部意味のあるものになるから。