「知ってるっつーか、病院に来たらいつもロビーにいるから覚えてる。希愛の兄貴だったのか…」
いつも…?
嘘だよ…ね?
颯斗の言葉は信じ難かった。
だってお兄ちゃんは、全国的に有名な大学の医学部に通っていて…。
バイトまでして、おまけに学校と病院は逆方向なんだよ?
あたしなんかのために、病院に来ている時間、ないよ…。
「希愛、一回ちゃんと話がしたい…」
震えたお兄ちゃんの声。
「あたしは、話すことなんてない…」
その震えがうつったかのように、あたしの声も震えた。
「頼むから…。このままじゃ、ダメな気がするんだ…」
「今さら何を話すっていうの!?あたしがお母さんを殺したこと?今頃になって責める気になった!?」
お兄ちゃんは何も悪くない。
こんな風に責める言い方、間違ってる。
そんなこと、分かっているはずなのに…。
なんで、こんな言い方しかできないんだろう…。
先生と話しているときもそう。
話せば話すほど、どんどん最低なあたしになっていく。
だから余計話したくないんだ。
1つも悪くない人を傷つけることしかできないから…。
「違う!誰も希愛のこと責めるつもりなんてない。なんで分からないんだよ…っ!」
分からないよ…。
なんで責めないの?
なんであたしを助けたの?
全部、分からないよ…。
じんわり目頭が熱くなり、大粒の涙が溢れた。
止めどなく頬を伝う涙は、拭われることなくシーツにシミを作り続ける。
「俺が言うのも違うけど、一回ちゃんと話せ。希愛と向き合おうとしてんだから、逃げんな」
ボロボロの胸に響く、颯斗の言葉。
背中をさする優しい手。
不思議なことに颯斗の言葉は信用できる。
くれる言葉があたしを前に進ませてくれる。
今まで、拒んで、逃げてきたのに…。
今なら話せる気がするのはきっと颯斗のおかげ。
「おにい…ちゃんは…、知ってるの?」
あたしが知らないこと。
全部、お父さんから聞いてるの?
「あぁ」
短い返事が返ってくるのに時間はかからなかった。
颯斗には病室を出て行ってもらい2人きりの病室。
なんなんだろうね…。
お兄ちゃんなのに、なんか緊張する。
颯斗といる時とは違うドキドキ。
「いつも、来てたんだね…。大学忙しいのに…なんかごめん」
気まずい雰囲気になるのが嫌で、とっさに思い付いた言葉。
「これ、渡そうと思って。どうしても直接渡したかったから…。タイミングいいのか悪いのか分からないけど…」
渡されたのは1枚のDVD。
「なにこれ?」
思わず、訊いた。
だって、本当に意味が分からないんだもん。
「母さんの部屋にあった」
たったそれだけの返事。
だけど、それだけで、なんとなく予想がついた。
お兄ちゃんは鞄からピンク色のDVDプレイヤーを取り出すと、セットした。
「あはっ」
なんでよりにもよってピンクなの?
似合わなさ過ぎて、思わず笑った。
「なに?」
不思議そうにあたしを見るお兄ちゃん。
「ごめん、ピンクとか予想外。しかも結構女の子向け…」
「かわいいだろ?」
真顔でそんなことを言うものだから、余計におかしくなった。
ダメ、なんかツボッた。
おなか痛い。
「さすがに笑いすぎ」
ポンって頭を軽く叩かれた。
さっきまでの空気が嘘みたい。
あたし、普通に話せてる。
全然、気まずくないや。
DVDが再生されると、1人の女性が画面に写った。
「この人…お母さんだよね?」
写真でしか見たことないけど、すぐに分かった。
「そ。目元が希愛そっくり」
自分の顔、まじまじ見たことないから分かんない。
でもね、あたしより美人。
「これ、お母さんが何歳の時?」
「希愛ができた時だから27」
そんなことを話していたら、画面の中のお母さんがカメラに向かってしゃべり始めた。
『へーちゃんに報告があります!今日ね病院に行ったら、2ヵ月だって言われたの』
嬉しそうに微笑むお母さん。
その直後、お父さんの声も聞こえた。
『望夢くん、お兄ちゃんになるんだよ~』
今度は、椅子に座ってジュースを飲んでいる小さな男の子が写った。
お兄ちゃん、昔は可愛かったんだ…。
腕のお肉、ぷにぷにしてる。
『子どもって、あたしたち親の希望なんだよ。望夢には希望の“望”をつけたから、この子には“希”をつけるの!何がいいかな~』
明るい声。
眩しいほどの笑顔。
お母さん、あたしができた時、こんなにも喜んでいたんだ…。
『今日ね、検査に行って来たら性別が分かりました!なんと女の子でした~!可愛いお弁当作って、毎日髪結ってあげるの。大きくなったら、一緒に買い物する!楽しみだなぁ』
画面に写るお母さんは、どれもきらきらしていて、幸せいっぱいって感じがした。
『へーちゃん…。今日ね…』
だけど、後半に差し掛かったころ、お母さんの表情が一気に変わった。
あの眩しかった笑顔が嘘のよう。
涙で、顔はぐちゃぐちゃで。
優しい言葉をかけるお父さんの声が途切れ途切れに入っていた。
『この子、心臓に異常があるかもしれないって言われた…。詳しいことは、もっと大きな病院じゃないと分からないって…』
お母さんの涙の理由。
あたしの病気が分かった頃。
あたしが、お母さんの笑顔を奪った…?
『やっぱり病気なんだね…。長く、生きられないって…信じたくないよ…っ!!』
お父さんに抱きしめられながら泣き叫ぶお母さん。
胸が痛くなった。
『へーちゃん…。あたし、この子産みたい。結婚したら、子どもは2人産むって決めてたの…!2人合わせて“希望”にするの。この子の代わりなんていない…。病気だとしても…長く生きられないとしても、この子はあたしたちの子。それは変わらないから…。へーちゃんにも、望夢くんにもたくさん迷惑かけちゃうけど、それでも産ませて…』
お母さんが自分を犠牲にしてまで守った命。
たとえそれが、小さくて、短い命だとしても守りたかったんだ。
『名前、“希愛”がいいな…。病気だからこそ、たくさんの希望をもって、たくさん愛されるの。強く生きて、幸せいっぱいの毎日を過ごすの。…どうかな?』
お母さんの、泣いた後の照れ笑い。
ずっと疑問だった。
“のあ”って名前、普通なら“乃愛”ってするはずなのに。
なんで希望の愛にしたのか。
だけど、今、その理由がやっと分かった。
お母さんはあたしに生きて欲しかったんだ。
病気だとしても。
…ううん、病気だからこそ。
生きて、たくさんの希望をもって。
幸せな毎日を過ごして欲しかったんだ。