「あのアンチャン元気かい?」

「アンチャン?」

「あの店長さん」

「あ、はい。これから会う予定です」

「会うの?」

「ハイ、会います」

原さんは、嬉しそうに目を細めた。

「イイ男だもんな。アレを逃す手はねーやな」

「原さんは・・・体調は?」


そう聞いた声が聞こえていないのか、

原さんは言葉を繋いだ。


「男はダメだねぇ。俺も母ちゃん死んだ途端にガックリきちまって。病気一つしたことねぇのに。情けないねぇ」

「奥さん亡くなったんですか?」

「俺ぁね、福島の薄ら寒い浜辺の生まれなんだよ」


聴こえてないっぽいな・・・。

あ、補聴器つけてない。


「親もいねーで、兄貴にいつまでも厄介になってられねーだろ?だから、コッチに出てきたんだ。ハッキリ言ってさ、ヤクザもんと変わらねぇ暮らしだったよ」

「奥さんとどこで知り合ったんですか?」

「田舎もんだって馬鹿にされて、必死でコッチの言葉に直してさ。兄貴が原発の相談してきた時も俺ぁ言ってやったんだ。『売っちまえよ。いつまでも漁業だ、農業だの時代じゃねーだろ』って。結婚してからは、あっちこっちでビル建設やってさ」


この話が、どこに行くのか分らない。

もう諦めよう。


「だけど、こうなっちまうとしみじみ思うんだよなぁ。便利が何だってんだ。アンタに美味い魚食わしてやりてぇと思ったって、もう・・・たったそれだけのことが果たせねぇんだ。俺は、こんな世の中にしちまったのが、本当に本当に情けねえんだよ」

原さんは、しだいに涙声になっていった。

見ちゃいけない気がして、私は白いシーツだけを見続けた。

「あんたらに申し訳ねぇ。年寄りどもは言うだろ?『オレだって必死にやって来た』『アタシだって苦労してきた』だけど今の時代、あんたらが同じ必死さで同じに苦労しても、俺らのような生活まで届かねぇ。そうだろ?」

シーツが波打った。

「『何をしてきた』なんかじゃねぇ、若いモンに『何ができるか』ってことを考えてやらなきゃいけなかった。それが努めだった。それをアンタと会って、ようやく気がついたんだよ・・・俺は、それが・・・申し訳ねぇ・・・本当に申し訳ねぇ・・・」

思いつめたように泣き始める原さんの腕をさすった。

「大丈夫ですよ」

って言った。

聞こえてないだろうけど。


「幸せになんなよ。あの男を離しちゃダメだぜ?あの人が望むなら、結婚してやんな。あの人は、一緒に苦労していける男だよ」

ハイと、頷くより他になかった。

一緒に苦労していける人・・・。

確かに、そうだ。


報われないことばっかだったけど、

あの人だけは何度も体当たりでぶつかって来た。

手応えのある人。

それは松井冬馬しか居なかった。


「これから会うんだろ?」

「いや、まだ、あの、夜からなので・・・」

「いいから、いいから、行ってやんな。来てくれて、ありがとうな」

原さんは、私の顔も見ずにシッシと手で追い払った。


「さようなら」

聞こえたかは分らない。

これが、本当のさようならになった。