法要が終わり、母屋へ移動してお茶を出してもらった。。

お爺ちゃんだから歩くのは遅いけど、元気そうだなぁ。

いくつなんだろう?


ただ静かにお茶を飲んでいると、お坊さんが聞いた。

「生活は安定されましたか?」

「は、はい。そうですね。ボチボチです」


また、静まり返った。

思い出して、気になることを聞いてみた。

「あの、さっき松井さんが来てるって聞いたんですけど」


お坊さんは、うなずいた。

「ええ、あの方はあなたのお母さまの御命日に来られました。お父さまのご供養にも来られました」

「そんな・・・」


そんなことってある?

あたしだって、初めてきたし、来年は来るかどうか分らないのに。

次は三回忌でいっか、と思ってるのに。



「松井さんに会わないといけないのは分かってるんですけど・・・昔のことが蘇りそうで怖いっていうか・・・」


怖いって、改めて思った。

ようやく安定した生活を捨てなきゃいけなくなるんじゃないか?

思い出したくもない時代の事を思い出すのも怖い。

松井さんの想いに、答えられもしないし・・・。


だけど、ずっとこのままでいられる?

ずっと、ゴウの後をくっついて、ずっと・・・



「私に、私に松井さんと会う資格なんかあるんですか・・・?私、死のうとしたんです。もう何もかも終わったと思って」

お坊さんは何も言わない。

表情も変わらない。


「色んな人を見てきたんで、もう死んじゃいけないっていうのは、わかったんですけど、でも・・・」


ずっと心に閉じこめていた思いを

ようやくここで自覚した。


「・・・私が好きな人は、絶対に私のことを・・・好きにならない」


言葉にした瞬間、全身が崩れそうになった。

分かってたことなのに、ずっと避けてきたんだ。

マグマが吹き上がるように、口から悲鳴のような声が出て、思わず口を押さえた。


坊さんが急に口を開いた。

「彼はあなたが居なくなると知っておりました」

「え?」

「覚悟していらっしゃいました。それでも『ただ生きていてほしい』それだけを願って、あなたのそばにいらしたのです」


知ってる。

私もその感情を知ってる。



お坊さんが続けた。

「覚悟はしていらした。それでもあなたが去って、声を失ったのです」


息が止まりそうになった。

思わず、口を手で抑えた。


「声が・・・でない?」


そうだ、ゴウも言ってたじゃないか。

でも風邪じゃない。


「そ、それって、あの」

「失語状態であるということです」


もう涙を拭うこともできない。

なんで、そんなこと。



「『死んでゆくことより、生きてゆくことの方が辛い』」


私は、顔を上げてお坊さんを見た。

「あなたの仰ったことは、まこと真実です」

お爺ちゃんは、見えているのかよく分らない瞳で私を見つめた。


「あなたは『インパール作戦』をご存知でしょうか?」


知らない。

聞いたことない。


「太平洋戦争の末期に行われた、人間を人間として扱わない。最も醜悪な作戦です。戦闘で死んだ人数より、餓死や病気で死んだ人間の方がよほど多いという、そういう戦いです」

どこかで、大きなトラックが通りがかったらしい。

家が震えた。


「私は、そのインパール作戦の生き残りです」

「生き残り・・・」

「私は昭和18年にインドへ向かいましたが、そこはすでに地獄でございました。

空腹を抱えたまま、敵に囲まれ撤退することもままならず、私の部隊はただ歩き続けました。

歩いた先に、食料があるわけではございません。ただ死に向かって歩いているだけという、そういう状況でございました。

次々に仲間は倒れて、まだ息はあっても連れて行く余裕などありません。

『死体を食べた』などという話もありますが、そんな元気なぞ、とうにございませんでした。

私の部隊は4人ほどになり、英国軍の攻撃を受けたのです」


なにそれ・・・映画?

でも本当なんだ。

目の前の人が、そういう目に遭ってたんだ。


「気がつくと、私は一人きりでした。みんな形が分からぬほど、千切れてしまって・・・そこで、私はジュウケンを探しました」

ジュウケン?

「ジュウケンとは、銃に先の細い刀が付いたものです。私はこれを探して、喉を突き、もうすべて終わりにしようと思ったのです」



その感覚を私も知っていた。

死に向かって突き動かされる瞬間を。


「探してさがして、途方もなく長い時間が流れたように思いますが、定かではありません。これが全く見つからないのです。

そもそも部隊長と思われる肉体が、一部しかございませんから。

そうこうしている内に、英国人に見つけられ、そのまま捕虜になり、翌月に日本へ帰ってまいりました。

もう、戦争はほとんど終っておったのです。

それを私共は知らなかった。

まったくの無知。まったくの無能。まったくの無意味」


最後の言葉には、

憤りと

深い谷を覗くような暗さがあった。


「僧侶になってからも私はずっと・・・あれからもずっと銃剣を探しております」



体に衝撃が走った。

「ずっと・・・?」


お坊さんは、うなずいた。


「ずっと、死にたかったってことですか?」

「その通りです」

「ずっと死のうと思ってたんですか?今でも?」

「さようです」

「ずっと死にたいと思いながら、生きてたってことですか?」

「ええ。82になった年に、知り合いの医者から『おい、坊主。新しい心理テストの被験者になれ』と言われましてね。テストをいたしました。結果が出て、医者が驚きましたことに、私が完全なる鬱病を患っているというのです」



な、なにそれ・・・

そんな事できない。

私は、一生鬱々としながら、

死にたいと思いながら生き続けるなんて出来ない。


「できないです」


そう言ったけど、それ以上言葉が出ない。




「銃剣を手にすることは、もうできはしません。

あなたもお相手の心は得られないと考えておられる。

その心をそのままに、『存在するもの』を自覚なさい。

それがゴミであれば拾って捨てる。

洗いものであれば洗う。

愛らしいものであれば、せいぜい愛でる。

それで良いのです」


「だけど、気持ちが着いてこないと・・・」

「気持ち、気分はどうにもなりません。ご自分の生活を行動本位に移してゆくのです。

赤ん坊のように、今この場の確かなる感覚だけをご覧になるのです。

楽になりたい、死にたいと思いながら、ゴミ一つでも拾ったその瞬間に、もう問題は『解決せずして解決しておる』ということです」