兄によると、私を椿高に転校させる予定だったらしく。そうなれば、海里とはもう二度と会えないところだった。
「俺にとっては振り出しに戻った感はあるけどな」
……そうだった。
海里との同居を解消した今。
彼にとっては敵の高校、しかも恋敵である薫兄さんと私がまた一緒に暮らすことになるなんて、モヤモヤした気分になるはず。
私が海里の立場だったら絶対に嫌だ。嫉妬で狂ってしまいそう。
「でも。一生会えないわけではないから。会いたいときに会えるなら、それでいい」
小さく微笑んだ海里はそっと私の髪を撫でた。
「そういえば海里、兄と何を話してたの?」
いつもよりストレートな彼の言葉に気恥ずかしくなった私は海里の腕から離れ、校舎へ繋がる雪の道を歩く。
「いや、別に」
「え、何か兄に言われてたよね。見たよ私」
「……優希奈を大事にしろってさ」
「あとは?」
「門限までに帰ってくるなら、二人で会ってもいいって」
「門限?」
「19時」
「……過保護でごめんね」
父も兄も、門限までに帰ってくるのを条件に、海里と会うことを制限しなかったそう。
「たぶん、理希の父親と同じことになって欲しくなかったんだと思う。俺も、優希奈には辛い思いをさせたくない」
海里は私の手首を掴まえ、真剣な瞳で私のことを見つめた。
「……だから、軽い気持ちで手は出さないし、覚悟もないうちから気軽に結婚しようなんて言わない。……約束する」
結婚、だなんて海里の口から出てくるとは思わず、半開きの口のまま固まってしまう。
「俺は、ずっと離したくないくらい優希奈のことが大切だし、……好きだから」
語尾が風にとけて消えそうなほど小さかったけれど、私の耳にはちゃんと届いて。頬が瞬時に熱を帯びていくのがわかった。
冷たい風が髪を揺らし、つかの間の沈黙が訪れる。
「──海里って、いつから私のこと気になってたの?」
「さあな。同じクラスになったときから、いつの間にか」
私とは目を合わさず、海里は腕につけた黒いブレスレットに視線を落とす。
「……それって、けっこう前だね」
「吹雪の日に倒れているのを見かけたときは、焦ったな。気になっていた女が死にかけているように見えたから……」
そういえば、如月先輩が言っていた気がする。海里が私のことを大事そうに抱えていたって。
もしもあのとき海里が助けてくれなかったら。今頃私はまだ、自分の居場所を見つけられていなかったと思う。
「……海里。大好きだよ」
いつも助けてくれる彼への想いが溢れてきて、私は自分から彼に飛びつき、強く抱きしめた。
「っ、優希奈」
ちらっと彼を見上げると、焦ったような顔をしていて頬の辺りが赤く染まっている。
「何をいきなり……。ここが外だってこと、忘れてないか」
「海里だって、さっき抱きしめてくれたでしょ?」
「いや、あれは俺からだから、いいんだよ」
「ふふ、もしかして照れてる?」
「……そういうことは言わなくていい」
自分の顔を見せないようにするためか、それとも無意識なのか。
海里は私を胸元に押しつけるように抱きしめ返してくれた。
ふと、晴れているにも関わらず空から雪が降ってきて、私と海里の肩に静かに降り立つ。
「こうしていると、一秒すら離れたくなくなるな」
そんな風に思ってくれていることが嬉しくて、私も彼の背をさらに強く抱きしめる。
「……じゃあ、ずっと抱きしめていてね」
あたたかな海里の腕の中。
ずっとここに居ていいと、認められた気がした。
Snow Doll ~離れていても君を~【完】
Snow Doll
《afterstory》
『大切な人へ』
最近、触れ合いがない。
そう気づいたのはバレンタインの前日だった。
元々、海里はベタベタと触ったり甘えてきたりするタイプではないのはわかっている。
けれど、あまりにもスキンシップが足りない。
クラスで私達が付き合っていることを知っているのは、ほんの数人。
教室で海里が話しかけに来ることもなければ、一緒に登下校することもなかった。
冬休みが明け、同居を解消してからは一度も海里のマンションに呼ばれたこともなく。
これでは、付き合った意味があるのかどうか……。
悩んだ私は、とりあえずケイに相談してみることにした。
*
「ふふ、可愛い悩みね」
校内にあるコミュニティルームの窓際の席でケイに打ち明けたところ、返ってきたのは微笑ましいと言わんばかりの笑顔だった。
「笑い事じゃないの、真剣に悩んでるんだから」
頬を膨らませた私はテーブルへ、トン、と拳を打ちつけた。
「もしかして、海里は私と付き合ってると思ってないとか……」
あり得そうで怖い。
以前から、海里は『彼女は必要ない』と言っていたくらいなのだから。
「それはさすがにないんじゃない? 照れてみんなの前では、そういう態度を取れないだけじゃないのかな」
「そう、なのかな」
ケイの言うとおりならいいのだけど。
「明日はバレンタインだし、それとなく伝えてみたら? ユキの気持ち」
「うん……そうだね」
「それでも駄目なら、海里に直接『私がユキのこともらうから』って言ってあげる」
悪戯っぽく笑い、ケイは私の髪を撫でた。
バレンタイン当日。
いつもより早起きした私は、まず出勤直前の父にプレゼントを渡した。
それからリビングへ行き、コーヒーを淹れていた兄のそばへ行く。
「薫兄さん、ガトーショコラ作ったの。良かったら食べてね」
「ありがとう、後でいただくよ」
「それでね、今日……海里の家で、晩ご飯を食べてきてもいいかな?」
おずおずと切り出した私へ、兄が視線を上げる。
晩ご飯を食べてからということは、門限の19時を越えるということだ。却下される可能性がある。
「──いいよ」
少し考え、兄が答えを出した。
「今日は特別な日なんだろうから」
「本当……?」
ホッとして笑顔を見せると、兄は寂しげに微笑みを返す。
もしかして、私にまだ想いが残っているの……?
そう思えるほど、切ない笑みだった。
「大切な人には、幸せになって欲しいしね」
「……ありがとう、薫兄さん」
その後、兄が淹れてくれたコーヒーと一緒に、生クリーム添えのガトーショコラを食べた。
兄の幸せそうな笑顔をいつか見たい、と願いながら。
*
登校前にもう一人の父にメールをしてみると、今日は夜勤ということで、今から渡しに行くことにした。
父は海里の家からわりと近いマンションに理希と二人暮らしをしているそう。
「おはようございます」
敬語で挨拶をし、リビングに上がらせてもらった私は、まだどこか他人のようにぎこちない。
父の名は、理人という名前らしい。
でも理人さんと呼ぶのも変だし、理希のお父さんと呼ぶのも他人行儀過ぎる感じがして、どう呼んだらいいものか悩んでいた。
「お、優希奈。久しぶりだな」
理希の父は気さくに頭を撫でてくれる。
何だか懐かしい。小さい頃、家に遊びに来てくれたときも、こうされた記憶がうっすらとある。
理希はすでに学校に行ったあとで、父一人しかいなかった。
「これ、ガトーショコラです。良かったら理希と二人で食べてください」
「ありがとう、美味そうだな」
理希と似た笑顔で、ニッと笑う父。
「今度、3人でどこか旅行に行こうか。相原が許してくれるなら」
──私の育ての親の許可。
それを優先してくれる父もまた、一線を引いた関係を築いていくつもりなのだろう。過去の過ちを自分のせいだと後悔しながら。
「あの。お父さん……」
勇気を出して呼ぶと、理希とよく似た父の目が見開かれる。
「楽しみにしてます、旅行」
私の言葉に、泣きそうに歪んだ父の表情。
「どこに行きたいか、考えとけよ」
父は私の髪をぐしゃぐしゃにする勢いで撫でてくる。
私の目からも涙が零れそうになり、「考えておきます」と笑顔を作った。
全てを許すのは難しいかもしれない。
でも、これから時間をかけて、母との思い出を聞かせてもらえれば、と願った。