「お母さん!!
わたしのネクタイどこー!?」
朝から家中にわたしの大きな声がこだまする。
「そんなのお母さんが知るわけないでしょ!」
お母さんの声も同じようにこだま。
わたしの大きな声は絶対にお母さんゆずり。
だってお父さんはどちらかというと大人しいほうだもん。
どうしてそんなふたりが結婚したのかは、今でも不思議に思うことがある。
「洗濯機の上に置いてたの!!…って、あるじゃーん!!」
無駄な1人乗り突っ込みをして、急いでネクタイを首に巻き始める。
中学のときはネクタイに憧れていて、高校入学したときはネクタイかっこいい!と思っていたけれど、今となっては朝の大事な数十秒をとられるわたしにとっては大きな障害になってしまっている。
たった数十秒で、遅刻するかしないか決まることだってあるんだから!!
「まったくもう、よく見なさい!」
お母さんは呆れたようにため息をついた。
あれえー?さっき見たときは、なかったんだけどなあ。
もしかしてネクタイさん、瞬間移動した?
って、そんな下らないこと考えてる場合じゃなくて!!
「やばいやばい、時間ないよ~、行ってきまーす!!」
勢いよく家を飛び出したわたしの名前は佐倉笑(さくらえみ)。
150センチの身長、幼児体型、童顔のせいで悲しいことに中学生に間違われることもあるけれど、れっきとした高校2年生。
先週、楽しかったゴールデンウィークが明けたと思ったら、あっという間に5月の中旬に突入した。
今日の気温はいつもより暖かく気持ちがいい。
「はあ、はあ…っ」
全力疾走で坂道をかけ上がり、風のなかを通り抜ける。
朝から坂道を全力疾走って、いったいどこの陸上選手だ、なんて自分でつっこむ。
我ながら無駄なつっこみが多い。
すれ違う車やバイクの人たちは、坂道を走って大変そうだなー!というふうに見てくるけれど、もう一年以上も行き帰りしてるから、こんな坂道今では慣れてへっちゃらだ。
おかげで足腰が鍛えられてありがたいくらいだ。
坂道の手前で走る速度を落として鞄につけてあるチャーム型の時計で時間を確認してみると、もう走らなくてもホームルームに間に合う時間になっていた。
よし、ここからはいつも通り歩いて行こう。
走ったせいで乱れてしまった肩につく長さの茶色の髪を整えながら、坂道から平坦な道へと顔を出したそのとき、自分の足は一気にブレーキがかかった。
「……っ……」
ためらいもなく坂道を走ってきたというのに、今のわたしは、遠慮なく足を動かすことができない。
それはなぜなら…………数メートル先に、遥斗の後ろ姿を見つけたから。
二宮遥斗(にのみやはると)。
わたしの同い年の幼なじみ。この道を遥斗も今歩いているということは、もちろん、高校も一緒だ。
実は、わたしの……好きな人である。
走ったせいで額に少しだけ汗がにじんでいる。
その汗とはちがう汗が、手のひらににじむ気がした。