確か、前に秋くんと一緒に自動販売機で買ったやつ……学校帰りに、秋くんが選んでくれたアレは何だった?
「仕方ない奴だな」
メニュー表の見たことのないカタカナがわたしの頭を回り始めた瞬間、ひょいっとメニューを奪い取られる。
メニューがなきゃ注文出来ないんだけど。いや、あっても注文出来なかったのは確か。
「ホットケーキのセット。ドリンクはカプチーノで」
カプチーノ! それ!!
前に自動販売機で買った美味しいやつ。
覚えてくれていた? まさか、ね。
「かしこまりました」
秋くんがウィンクしてメニューをしまう。何か、バカにされた気分。
珈琲とか知らなくてすみませんね。わたしは子供ですよ、子供。まだ社会に出てないお子様です!
今流行りの珈琲チェーン店にさえ行ったことがないガキですもん。
「何むくれてんだよ」
「別に」
「言わなきゃわかんねぇよ」
「だって秋くん変わりすぎて、自分が子供みたいなんだもん」
「ほう? オレ、大人に見える? それは嬉しいな!」
「一人で喜ばないでよ、元ヤンキーのくせに」
「それ関係ないだろ!」
あ、笑った。
こんなふうにまだ話せるんだ、わたしたち。あの日に終わったわけじゃなかったんだね。
ただ通う場所が変わっただけ。わたしは学校、秋くんは会社に。それだけのこと。
全く動いてないライングループ。秋くんとのやり取りは、就職が決まった時で終わっている。
離れていくような気がした。
そばにいてくれた時は感じなかったこと。
秋くんの隣は居心地がよかった。不器用だとしても、優しくしてくれることで心を感じたから。
わたしは誰かに縋っていないと、歩くスピードを緩めてしまう。どこへ行けばいいかわからなくなってしまう。
自分で決めなきゃならないのに、進学先さえ見つけられない。
「どうした?」
「ううん、何でもない」
考え込んでいるうちに、カウンターの方から店員さんがお皿を持ってやってきた。
「こちらアメリカン。こちらホットケーキセットとカプチーノです。砂糖、ミルクはこちらをお使いください。これはホットケーキのシロップです」
「どうも」
「では、ごゆっくり」
うわ、これは思った以上に美味しそう。
シンプルにバターが乗っただけのホットケーキだけど、分厚い小さめホットケーキが可愛い。溶け始めるバターが食欲をそそる。
「あ」
「何だよ、いきなり」
「秋くんは何か頼まなくて良かったの? ほら、ナポリタンとか?」
「オレはこれから実家で飯だからな。やめとく」
一緒に食べたかったとか言えない。
「秋くんって実家通いなんだね。てっきり一人暮らしかと思った」
「中卒程度の学歴じゃ、一人暮らしなんてまだ無理だ。そうだな五年はかかりそうだ」
「……ごめんね、わたしのせいで」
「違う! お前のせいじゃないって、何度も言ってるだろ!」
怒りながら言う秋くん。
それでもね、責任感じちゃうんだよ。わたしが秋くんの未来を台無しにしてしまったんだから。
「……美味しい」
誤魔化すようにホットケーキを口に入れたら、本当に美味しい。また食べに来たいな。
「実はさ、高認試験受けようかと思ってる」
「高認試験?」
「会社が高認試験合格したら任せたい仕事があるって言っててさ。給料も上がるし、多分一人暮らしも出来る」
明るく話してくれる秋くんは未来を見ている。将来を考えて行動している。
わたし、そんな秋くんに憧れてる。
たくさん悲しいことがあったのに、いつも前向き。そんな彼がカッコイイと思う。
「それ……」
「ん?」
「受験勉強、わたしに手伝わせて!」
秋くんを苦しめてしまったことに、ずっと責任を感じていた。だから、少しでも力になりたかった。
違う。助けたい。
わたしはずっと助けられてばかりだったから、今度はわたしが――――。
「だって、雪乃も大学受験控えてるだろ」
「同じことだって。勉強する範囲そう変わらないよ」
「でもな……」
「やらせて。お願い!」
本当は秋くんに会う口実が欲しいかもしれない。
この罪悪感が少しでもなくなることを願っているのかもしれない。
全部、自分のためじゃない。
本当に嫌な女。
「いいのか?」
「もちろん!」
「うわ、マジで助かった!」
意外な言葉に、わたしは秋くんをまじまじと見てしまう。
実は困っていたの?
「高認試験の過去問見たんだけどさ、さっぱりわからなくて。聞けるやつはいないし、塾だの学校は無理だし」
「悩んでたの?」
「ちょっとな」
言ってくれたらよかったのに。
わたしたち友達なんだよ。そりゃ、ちょっと疎遠になっていたけどさ。
「どうした?」
「ううん。嬉しい。じゃあ、これからの計画立てなきゃね。今日はもう時間ないし、あとで連絡しても大丈夫?」
「ああ、待ってる」
すっかり冷めてしまったカプチーノに口を付ける。
冷めているはずなのにとても温かい味がした。
ほろ苦い珈琲と柔らかいミルクが重なって、嬉しさと切なさが混じり合うような……そんな口当たりだった。
***
もしもあの時、わたしが本当のことを言っていたら何か変わっていただろうか。
過去に戻れるわけがない。変えられやしない。全てわたしがやってしまったこと。
きっと誰にも理解されない。あの時のわたしの心なんて。
歪んだ心が間違った選択をして、秋くんを傷つけた。夏海を困らせた。わたしはすごくバカなことをしたんだ。
「にゃー」
「アメ、慰めてくれるの?」
ベッドに寝転がっていたら、飼い猫のアメがお腹に乗ってきた。
今日も尻尾を手に乗せて、何か構って欲しそうにしている。茶色い耳をピクピクさせて、なぜか首を傾げてる。
「かわいこぶってるの? それとも、また悩み聞いてくれる?」
過去のこととか秋くんのこととか、わたしの悩みは本当に絶えない。
どうやっても答えにたどり着かない。そもそも答えなんかなくて、勝手に一人でもがいているのかもしれない。
「あーあ」
夜も遅い。そろそろ寝なきゃとは思うけど、なかなか寝付けない。
わたしが連絡することは知っていたはず。それなのに返事が全くない。仕事で疲れているんだろうとか、急な用事でスマホどころじゃないってのはあるかもしれない。
それでも今日は楽しかったから、一言が欲しかったのに。
「あ。メッセージだ」
持っていたスマホが震えて通知があったことを知らせる。わたしは慌てて画面にタッチした。
そこには思っていたのと違う人の名前。夏海だ。
少しだけがっかり。
"明日なんだけど、少し付き合ってくれない?"
機械音痴な夏海が珍しくラインを使ってる。絵文字がないところが彼女らしい。
場所を知らないのか、知ってても使いたがらないのか。まあ、後者の方かな。
付き合えってどういうことだろう。生徒会で忙しいはずなのに珍しいな。
"一大イベントが控えてるの! 明日は金曜日で次は休みでしょ? だから付き合って。"
ちょっと待ってよ。その一大イベントって何なのよ。
一番大事なことを言い忘れてる。本当に夏海らしい。
"彼の誕生日"
そっか。もうすぐ誕生日ってことで、何かプレゼントを用意したいわけね。
結局、惚気てくれちゃって。ため息が出るほど幸せオーラがすごいんだから。
「いいよ。付き合ってあげる」
夏海と出かけるなんて、最近じゃあまりなかったから嬉しい。
わたしは夏海にメッセージを残して、すぐに布団の中に入った。
・・・
「ごめんね雪乃、誘っちゃって」
「いいの。出かけるの久しぶりだし、わたしも何か買いたいから」
放課後、制服のままバスに乗り込む。
行き先はひとつ先の停留所。この幸せカップルがよく行くカフェ雑貨屋さんらしい。
わたしは初めて行く所だから、わくわくとドキドキが混ざって楽しい。
今度、秋くんを誘ったら……って何を考えてるの、わたし。秋くんとは勉強会の予定立てなきゃなのに遊びに連れ出してどうするのよ。
勉強に困ってる人を連れ出して、不合格にでもなったらそれこそ責任感じるでしょうに。
「雪乃?」
「あ。えっと今から行くお店、はぴねすだった? どんなところなの?」
「オムライスが美味しいの!」
「わたしが聞きたいのは雑貨の方なんだけど」
にこっと満面の笑みで言うところ、本当に夏海らしい。
プレゼントを探しに行くのに、どうしてカフェの方の話をしちゃうかな。
それ、多分楽しかったデートのことを思い出して言ったんだろうな。そんなものわたしが塗り替えてやる! ちょっとした意地悪くらい許してよね。
「夏海。今日大丈夫?」
「何が?」
「買い物が終わったら、夕飯一緒に食べない?」
「え。雪乃、いいの!?」
「わたしはいつでもオーケーよ」
そんな会話をしていたらバスのアナウンスが次の停車を伝える。わたしたちは降りる準備をして立ち上がった。
「まずはプレゼント探しね」
バスを降りると夕方ということもあって少し肌寒い。わたしはバッグに入れていたカーディガンを羽織った。
「ちょっと寒いね」
「夏海。アイス食べるとか言わないでね」
「なぜバレたし!」
あきれた。寒いってわかっていてアイス食べたくなる神経わからない。
冬に発売するアイスとかも本当に意味がわからない。まあ、好きだけど。
「風邪ひくよ? これからイベント盛りだくさんで、生徒会長不在とか有り得ないからね」
「大丈夫だって」
どうしてそう楽観的なのかな。だから憎めないのもあるけど。
落ち込んだ時、悩みがある時、夏海のそばにいると落ち着く。明るくなれる。
だから彼氏くんもそんな夏海が好きになったんだろうな。