夏海は片手に畳んだ椅子を五脚ほど抱えて歩く。わたしもそれに続く。あと少しで全部片付きそう。
何だかんだで生徒会とヘルプで十人は集まったから早い。それにしても、みんな知らない顔ばかり。生徒会も様変わりしたな。
「ねえ、雪乃。どうして髪が伸ばせるの? 途中で切りたくならない?」
「そこが女子っぽくないのよ」
「もう、私は男子になる!」
「いやいや、男子になってどうするの」
椅子を舞台下ストッカーに入れながら、バカみたいな話をする。わたしたちの会話っていつもこんな感じ。
だから、真剣な話ってなかなか出来ない。
悩み相談したいけど自分のことあまり話したことないし、どう切り出そうか。
「意地悪雪乃!」
「意地悪してない」
「にゃあ」
「……にゃあ? 夏海、何言ってんの」
「私じゃない」
わたしたちは振り返って声の主を探す。それはすぐに見つかった。足元に擦り寄ってくる真っ白な猫。
「ああ、中に入っちゃ駄目だよ。シロ」
夏海は知っているみたい。学校で飼われているとか? そんなことないか。気まぐれで来ちゃったか、迷子かな。
「シロってネーミングセンス単純すぎない?」
「ホワイトにする?」
「そういうことじゃないって」
わたしはその白猫を抱き上げる。種類はよくわからないけど、毛が短くてキリッとした目がカッコイイ。
「オスだね」
「雪乃、えっちー」
「コラ! 動物見たらとりあえず確認するでしょ」
「そう?」
「家でわたしも猫飼ってるし、何となく?」
猫か。家にいるのも白。だけど、尻尾と耳だけ茶色いんだよね。あの子はメスだけど。
「夏海。この猫は?」
「去年くらいから学校に居座ってるみたいよ。モジャが言うには、追い出しても帰ってきちゃうらしくて。今じゃこの高校のマスコットってところ?」
「ふうん」
この子にとっては楽しい場所なのかな。人はいっぱいいるし、みんな構ってくれるもんね。
「会長! 終わりました!!」
猫に構っているうちに、後ろでは椅子の片付けや飾りの撤去が終わったみたい。
「ありがとう。みんなお疲れ様! 戸締りはするから先にあがって。それから、そこのダンボールはモジャからの差し入れだからジュースとお菓子一つずつ持って帰ってね」
疲れていたみんなの顔が明るくなった。生徒会とはいえ、こんな雑用任されちゃ気分が滅入るよね。
わたしも去年やったからわかる。すごくわかる。ちゃんとジュース用意するとか、やるじゃないモジャ。
「お疲れ様! 気をつけて帰ってね!」
「はーい、お疲れ様です!」
夏海もみんなに慕われてる生徒会長。
羨ましい、のかな。羨ましいというより、キラキラしてて眩しくて、近づけない。
何か、悩み相談なんてとても出来ない。
「雪乃、戸締りするから。シロは外に出しておけば、勝手に遊んでると思うから」
「ごはんは? どうしてるの?」
「それもモジャが世話してるみたいよ」
「本当にマスコットね」
外に出ると夕焼け空だった。
空を切り裂くような飛行機雲が、まるでわたしの心まで傷つけるみたいで。
でも、そう思ってしまう自分がすごく惨めだった。
***
「あ……」
「あ、雪乃か」
ラッシュの時間に当たらなくてよかったなんて、ぼーっと電車に乗り込んだら見知った顔があってびっくりした。
何となく気まずくて、見上げたものの何を話したらいいかわからなくなってしまった。
背が高いのは相変わらず。でも随分と変わった。
睨むような鋭い目は穏やかだし、髪は赤から黒になった。スーツ姿も似合ってる。
「この時間に会うの久しぶりね」
ドアが閉まって電車が動き出す。わたしたちは席が空いているけれど、ドア近くに立ったままでいた。
「そっか。お前のとこ入学式だったんだな」
不破《ふわ》秋《しゅう》。
彼は同じ高校に通っていた一つ上の先輩で、元ヤンキー。あ、でも途中で学校を辞めちゃったんだよね。
わたしのせいで。
だから、彼を見ると罪悪感とあの日の思い出で黒く染まっていく感覚に陥る。
でもその中に光るものがあるから、わたしは彼の隣にいたいって思っていた。
秋くんはどうなのかわからないけれど。
「それ」
わたしが秋くんの唇を指差した時、電車が揺れる。
よろめいたわたしを支えてくれて、肩に乗った手のあたたかさにドキドキしてしまった。
「何?」
秋くんが訝しげにわたしを見る。そういう所が、ちょっとヤンキーだな。
わたしは落ち着いてさっきの話の続きをする。
「唇のピアス痕でしょ? 塞がらないの?」
唇の端に絆創膏をして隠してる。仕事の時は隠してるんだろうな。
穴を開けたこと、もしかして後悔してるんだろうか。
「こいつはちょっとでかかったからな。無理かもな」
「さすがにいつかバレるんじゃない?」
「理解ある職場だから大丈夫だ。今日は営業みたいなもんでさ」
「へぇ、そうなんだ」
まさか秋くんに会えるとは思わなかった。
毎朝、同じ電車には乗ってるけど、帰りに会うことは全くなかったから。
「その営業のおかげで秋くんに会えたみたいね。まだ午後四時だけど、仕事終わったの?」
「まあな。今日は直帰で会社には戻らねえし」
流れる景色はあっという間にわたしの最寄り駅になってしまう。
もう少し話したかったけれど、仕方ないかな。
電車の中じゃどうしようもない。いつでも時間通りだもの。
「なあ、雪乃」
「ん?」
「少し、時間あるか?」
真剣な目で見つめてくるから、ドキリと心臓が跳ねた。
でもわたしの向こうに違う誰かを見ているって気づいてる。わたしじゃないんだよね。
「うん、あるよ」
それでもわたしは、あなたの誘いに乗ってしまう。まだ、もっと秋くんと話したいって思ったから。
「じゃあ……」
「秋くん、せっかく社会人になったんだから何か奢ってよ」
「は?」
「最近、気が滅入ってて。ハッピーになれる何か奢って」
「おい、勝手に決めるなよ」
そう言いながら口角を上げて嬉しそうにしてる。
「秋くんの最寄り駅。あそこに喫茶店出来たって聞いたんだけど」
「そういえば駅前にあったな」
「行きたい」
素直に言ってみれば秋くんの頬が少し色づく。
恋人とか、好きな人ってわけじゃないけど。こういう友達みたいな関係が好き。
何か、男子とよく遊ぶ夏海の気持ちがわかってきた。
「女子ならカフェとかの方がいいだろ」
「秋くん、甘いもの苦手でしょ?」
「そうやって人に気遣ってばかりいると疲れるぞ」
「性格なの。ほっといて」
言うと秋くんが噴き出して笑う。
何だろう。ちょっと可愛い。
「誰かとどこかに出かけるの久しぶり」
「あれ。夏海は?」
彼の口から飛び出した名前に少し胸が痛む。
「生徒会長に時間あると思う?」
「あー、確かにな」
そんな会話を繰り返しながら電車は目的の駅に辿り着く。
あまり降りない駅だから、方向がわからなくなったわたしを秋くんが案内してくれた。
バカにしたように笑いながら、わたしの手を引いてくれる秋くん。
後ろ姿が大人そのもので、時間の経過を思わせる。
わたしだけが置いていかれて、流れに逆らって立っているみたいだった。
・・・
すごく大人!!
第一印象はそんな感じ。だから喫茶店に入った時、わたしは思わず怯んでしまった。
明かるすぎない店内。暖色の明かりが各テーブルを照らし、カウンターにもそれはあった。
まだ時間的に早いのか、お客さんはわたしたちと常連らしきカウンター席の二人。
「何突っ立ってんだ。行くぞ」
「あ……うん」
秋くんが堂々と奥のテーブルに歩いていくから、何となくカッコイイなんて思ってしまった。
席に着くなり、秋くんはメニューを片手に落ち着いている。わたしも同じようにメニューを見る。
程なくしてカウンターの中にいた男性が水を持ってやってきた。
「ご注文は?」
「オレはアメリカン。雪乃は?」
「あ。えっと……」
わたしは混乱した。
珈琲のメニューが多すぎて何が何やらわからない。これ適当に選んだら、恥をかくやつじゃないの?
秋くんはアメリカン? アメリカンってよく聞くけど、すごく苦いやつ? それとも普通の珈琲?
え、珈琲で合ってるんだよね。わたし、珈琲とかあまり注文しないからわからない。
確か、前に秋くんと一緒に自動販売機で買ったやつ……学校帰りに、秋くんが選んでくれたアレは何だった?
「仕方ない奴だな」
メニュー表の見たことのないカタカナがわたしの頭を回り始めた瞬間、ひょいっとメニューを奪い取られる。
メニューがなきゃ注文出来ないんだけど。いや、あっても注文出来なかったのは確か。
「ホットケーキのセット。ドリンクはカプチーノで」
カプチーノ! それ!!
前に自動販売機で買った美味しいやつ。
覚えてくれていた? まさか、ね。
「かしこまりました」
秋くんがウィンクしてメニューをしまう。何か、バカにされた気分。
珈琲とか知らなくてすみませんね。わたしは子供ですよ、子供。まだ社会に出てないお子様です!
今流行りの珈琲チェーン店にさえ行ったことがないガキですもん。
「何むくれてんだよ」
「別に」
「言わなきゃわかんねぇよ」
「だって秋くん変わりすぎて、自分が子供みたいなんだもん」
「ほう? オレ、大人に見える? それは嬉しいな!」
「一人で喜ばないでよ、元ヤンキーのくせに」
「それ関係ないだろ!」