「そんな……」

 俺の中で、梨夏さんの言葉を理解出来ずにいる。
 さっきのおやじさんの姿が頭を過った。


「もしもの時、きっと、あの人は凄く悲しむと思うの…… 多分、奏海の事まで気が回らなくなるわ……」

 梨夏さんの言葉は、本当の事なんだと俺に教えるように重かった。


「そんな、もしもの話しないで下さい……」

 俺はしっかりしようと思うのに、震えた声しか出せない。


「お願い聞いて! その時が来たら、奏海の事お願い…… 海里くんには海里くんの事情があって、奏海の事をお願い出来るような立場じゃないって事は分かっているの。だから、奏海が大丈夫になるまでの、ほんのわずかな時間でいいの……」


「何言ってるんですか? 俺は、店からも奏海からも離れるつもりはありません!」

 俺は、これだけはきちんと伝えなければいけないと思い、真直ぐにと梨夏さんの目を見た。

 奏海から離れないという意味の深さを、俺は覚悟をした上で言ったのだが、梨夏さんにどこまで届いたのかは分からない。


 梨夏さんは、俺の言葉を切なそうに聞いていた。

 その姿に、俺は胸の奥から込み上げて来るものを堪えて口を開いた。


「だけど、梨夏さん…… 俺、アホだし…… 何も出来ないですよ…… だから、梨夏さんが、ちゃんと二人のそばに居て下さい」


「ふふっ。そうね、奏海の幸せな姿をこの目で見たかったな……」

 梨夏さんは、病室の窓の外に目を向けた。遠くに、青い海が小さく見える。


「梨夏さん……」

 俺は、言葉を見つけ出す事が出来なかった。
 

「海里くんが居てくれるだけでいいの…… あなたには、堂々としていて人を安心させる魅力があるわ……」


「そんな事あるわけないじゃないですか?」


「あなたの周りには、大勢の人が集まってくる。きっと、仕事でも同じよ。だから、どんな時も、あなたには堂々としていて欲しいの…… それだけでいいの……」

 梨夏さんは、優しい瞳をじっと俺に向けた。


「分かりました……」

 本当は、分かりたくなんてなかった。もし、本当に梨夏さんを失う事があったとしても、俺なんかが何も出来るはずなどない……

 それでも俺は、肯くしかないのだと思った。


「ありがとう……」


 梨夏さんは、ほっとしたように優しい綺麗な笑顔をみせた。
 

 この笑顔が、俺が見た梨夏さんの最後の笑顔だった。